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2021.01.12

【第4回】未曾有のパンデミックに、数理モデルで立ち向かう

京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻教授
西浦 博先生

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが起こった2020年は、社会医学系の知見が大きく社会に貢献した1年でもあります。この新興感染症に対して、あらゆる現象を数式で表す「数理モデル」を武器に立ち向かい、日本政府の政策決定を縁の下で支えているのが、西浦博先生です。感染拡大対策で、人との接触を8割減らすよう提言し、「8割おじさん」として名を馳せたことも印象的です。社会医学系の中でも、決してメジャーな分野とはいえない理論疫学。その道を追求する研究者としての半生を伺いました。

大学4年、中国で理論疫学と出合う

工業高等専門学校に通っていた西浦先生が医学の道へ進み、中でも理論疫学に興味を持ったきっかけを教えてください。

1995年の阪神・淡路大震災のとき、工業高等専門学校に通う電気工学科の2年生でした。神戸の街で罹災した私を襲ったのは、「自分には何もできない」という強烈な無力感です。そんなとき目にしたのが、人道支援に粉骨砕身するNGOの医師たちの姿。医師だからこそできる社会貢献の力を、まざまざと感じました。その鮮烈な体験に突き動かされ、高専に通いながら1年間受験勉強をして宮崎医科大学に合格し、高専を中退して進学しました。そして、災害時にも活躍できる救急医療のプロフェッショナルを目指して学び始めたのです。

社会医学に魅かれたきっかけは、医学生のときに参加したNGO活動を含む国際保健医療協力活動にあります。世界保健機関(WHO)の天然痘根絶計画のリーダーを務めた、蟻田功先生が理事長を務めていた国際保健関係機関のプロジェクトです。蟻田先生の元を訪ね、学部4年生のときにNGO活動にインターン生として参加させてもらいました。中国西部でポリオ流行の制御プロジェクトに取り組んだ際、集落ごとの予防接種率をモニタリングしていました。そこで目にしたのは、過去に起きた流行の様子を正確に表した数式。衝撃を受けました。これが理論疫学との出合いでした。

学部卒業後、荏原(えばら)病院での1年間の研修を経てタイに留学したそうですが、かなり思い切った決断ですね。

画像:西浦教授

社会医学と、私が最初にめざしていた救急医療は、ある意味で対極にある分野だと思います。例えば大規模な交通事故が起きた場合、救急医は次々と運び込まれる患者さんの命を救う、いわば戦士のような存在です。一方で社会医学系の医師は、事故が起こった道路のデータを分析し、原因箇所を改善することで事故の発生そのものを減らすようにアプローチします。「これはすごいな」と感動を覚えました。それまでは、ドラマで描かれるような「緊迫した現場で命を救う」「大変だけどやりがいがある」救急医に憧れていましたが、社会医学への興味がどんどんと頭の中を占めていきました。ところが、当時の日本において、社会医学はマイノリティー中のマイノリティー。体系的で質の高い教育を受け、「手に職」と呼べるような知識や技術を身に付けるためには、海外で学ぶ必要があると考えました。

当時は初期臨床研修が義務付けられていなかったこともあり、学部卒業後の研修は都立荏原病院での1年間にとどめ、留学することにしました。留学先に選んだタイのマヒドン大学熱帯医学校は、熱帯感染症の疫学研究の分野ではメッカのような場所です。まずはそこで集中的に学びたいと考え、思い切って飛び込むことにしました。出発前に、お世話になった先生方へあいさつ回りに伺ったときは、落ちぶれていく人間を憐れむような表情で、「頑張れよ……」と声を掛けられました(笑い)。当時はそれだけ「あり得ないキャリア」だったということでしょう。目にかけてくれていた先輩は「困ったら戻ってこいよ」と言ってくれ、ありがたかった記憶があります。

世界各地で培ったスキルで未知のウイルスに挑む

その後も、イギリス、ドイツ、オランダ、香港とさまざまな土地で研究に従事したということですが、特に大きなターニングポイントになったのはどんな経験でしたか。

移り気に場所を転々としているように見えるかもしれませんが、それぞれ数年前から明確な目標を定め、意図を持ってデザインしたキャリアです。イギリスを選んだ目的は、感染症の数理モデルにおける名著で、私が大きく影響を受けた“Infectious Diseases of Humans”の執筆者であるAnderson教授への弟子入り、理論疫学の総本山であるインペリアル・カレッジ・ロンドンで研究手法を学ぶこと、研究者としてのネットワークの構築でした。ドイツには統計学的推論の技術を身に付けるために行きました。オランダには数理モデルの定式化や解析的なモデルビルディングを勉強しに向かいました。香港は、自分のチームを持って、プロジェクトを主導する経験を積むために教職員として勤務しました。

どの国での経験も貴重なものでしたが、最も大きな影響を受けたのはドイツ(チュービンゲン大学医系計量生物学研究所)です。私のボスだったのは、数学領域出身で統計学者のKlaus Dietz教授。とても厳格な先生で、研究発表の際に何かしら数理上の間違いがあると、資料をパタッと閉じてそれ以降は聞いてもらえなかったことを覚えています。これ以上ないだろうと思うほど厳しかった一方で、若手研究者にも真剣に向き合ってくれました。研究室は田舎町にあって、研究しかしていない生活。日曜の午後に顔を出すとボスがいて、私が黒板にカチャカチャと書き込んで質問すると、にこにこ答えてくれました。間違ったことを言ったときは、「チッチッ」と言って正しく教えてくれました。生物統計学を一から学び直し、グッと鍛えられた2年半。あの経験があったから、今の自分があると思える期間です。本当の意味で「研究者」になれた気がします。

この研究室では、家屋を3軒ほど借り切って仕事場としていたこともユニークでしたね。冬場は積雪でドアが埋まってしまうため、「巣ごもり」できるように炊飯器や日本のレトルト食品を備えつつ、研究漬けの日々を送っていました(笑い)。

帰国から7年後の2020年、COVID-19の対応に携わった経緯について聞かせてください。

ちょうど家庭を持った後に、東京大学で数理モデルのできる人を探していると聞きました。いろいろな人から誘われていたこともあり、2013年に東京大の准教授として日本へ戻りました。それ以降もたくさんの新興感染症が流行して研究テーマには事欠きませんでしたが、インパクトが一番大きいのは言うまでもなくCOVID-19です。

20年1月初頭から、かつての同僚である香港大学の研究者たちが尋常ではなく多忙な様子だったので、新型ウイルスの流行で間違いないのだろう、ヒト―ヒト感染もあるだろうと思っていました。当時、武漢の感染者は40人ほどといわれていました。でも、1月半ばにタイ、日本、韓国で感染者が出た時点でヒトからヒトへの感染が起きていることは明らかで、数理モデル上ではすでに数千人の感染者が出ている計算になりました。これはパンデミックになるなと認識しました。

1月から2月初めまでは、COVID-19が広がるメカニズムをとらえる基礎的な研究を行っていましたが、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染を契機に、分析することになりました。「船内に隔離している人々を開放しろ」という海外からの声が大きくなり、船から降ろさなければいけない段階に差し迫ったころのことです。乗船者の中にどれくらいの感染者が無症状で潜んでいるのか、そのうちどれくらいが検査をしても偽陰性になってしまうのかといった点を推定する役回りでした。そのとき得られる情報をもとに、できるだけ正確にリスクの範囲を提示しなければなりません。COVID-19のパンデミックでは、緊急事態宣言の発令など、社会・経済に極めて大きなインパクトを与える判断を迫られます。判断のベースとなる数理モデルには高い妥当性が要求されます。プレッシャーは相当なものでした。

その後、厚生労働省のクラスター対策班として協力することに。2月下旬に厚生労働省の緊急対策本部が立ち上がった際には、空きスペースに長机を並べて、電話線を引いて……とゼロからスタートしました。みんなでパソコンを持ち寄って、モバイルWi-Fiルーターを20機くらい用意して、あとはコピー機が置いてあるくらい。手元のパソコンでは膨大な計算の負荷に耐えられないので、計算は北海道のサーバーにつないでやっていたのですが、作業自体はすごく地味です。6月まではほぼ都内のビジネスホテル暮らし。ホテルに帰ったらシャワーを浴びて寝る、あるいはそのままベッドにバーンと倒れて気づいたら朝、というのが平日休日問わず続きました。

後進を育成し、いずれは新分野の開拓に着手したい

数理モデルを用いる理論疫学の魅力は、どんな部分にあると考えていますか。

画像:西浦教授

すべての現象とそのメカニズムを、数式で理路整然と記述できることです。複雑怪奇に見える現実社会の物事を筋道立てて説明できることに、非常に魅力を感じます。中でも感染症に関しては、数式や数値を使って、「何が起こっているのか」「何をしなければならないか」をクリアに提示できます。仮に自分が計算を間違えるとパンデミックがひどくなるかもしれないという大きな責任を背負っていますが、研究成果が政府の政策につながり、形になったときの喜びは計り知れないものがあります。他の専門性を持つ方には見えないだろう見方で流行データに対峙できるのです。

こうした仕事は自分一人でできるわけではありません。クラスター対策班でも、それぞれの専門性を生かしながらチーム一丸となって課題に取り組みました。具体的には、まずは国立保健医療科学院の健康危機管理研究部の齋藤智也部長や厚生労働省の医系技官が、計算可能なように課題を整理してくれました。そして、私のチームが、その課題を数理的に定義化します。例えば、東京都で夜間の外出や、営業の自粛要請があったときに、実効再生産数はどれくらい落ちるだろうかということを計算していくわけです。そのために必要なデータを東北大学の押谷仁教授とチームメンバーが集めてくれました。結果の分析は、国立感染症研究所の鈴木基センター長らと役割分担して検討し、ようやくリリース可能な情報に変わっていく。重要な問題であるほど、かける人数は多くなります。

最後に、西浦先生自身のこれからの目標と、社会医学系に興味を持つ医学生や医師たちへのメッセージをお願いします。

私個人としては、意外に思われるかもしれませんが、いつかは感染症分野を「卒業」することが目標です。感染症は引き続き重要な問題ではあるものの、開発途上国でも死因としては割合が低下しつつあります。そんな中で、ずっと野望として持っているのは、数理モデルを使った「がん」の予測です。加えて、「糖尿病」「アルツハイマー病」についても、分析に着手し、新たなフィールドとして開拓したいという思いがあります。

そして、もう一つの目標が後進の育成です。2020年8月に赴任した京都大学大学院では修士課程を担当しているので、理論疫学の明日を担える研究者の成長を助けていくことに力を注ぎたい。COVID-19の対応に関していうと、自分がかなりマニアックな分野で研究しているため、同じように専門的な理論疫学の視点で意見したり、指示を出したりするのは簡単なことではないと思っています。今後を見据えて、同じような危機が起こったときのために、日本にこの分野を根付かせて研究を活発にし、対応力を高めていきたいと思っています。そのためには、かつて日本の大学院でよくみられた丁稚奉公式の教育ではなく、体系的なカリキュラムや相談の場の整備を含めて、より良い研究環境を作り上げるべきだと考えています。研究のメンタリングそのものを良くしたいのです。

社会医学分野に魅かれている方に対しては、自身の「肌」で感じることの大切さを伝えたい。たしかに、日本の大学の公衆衛生の大学院もとても良くなってきています。ただ、疫学や生物統計に関しては、ハーバード大学やロンドン大学などとは100年くらいの歴史の差があります。キャリアを考えると、できるだけ早い段階で留学し、系統立った教育を修士課程だけでも身に付けておくといいと思います。興味があるフィールドへ積極的に挑戦する機会を、貪欲に求めてほしいと考えています。

画像:西浦教授プロフィール写真

PROFILE

西浦 博(にしうら・ひろし)

宮崎医科大学医学部卒業。都立荏原病院で1年間の臨床研修後、タイ・マヒドン大学熱帯医学校へ留学。客員研究員として英インペリアル・カレッジ・ロンドン医学部感染症疫学教室で学んだ後、広島大学大学院保健学研究科修了。独チュービンゲン大学、蘭ユトレヒト大学などで研究に従事。香港大学公共衛生大学院助理教授として経験を積み、2013年に帰国。東京大学大学院医学系研究科准教授、北海道大学大学院医学研究院教授を経て20年8月から京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻教授。