がん医療よ、そろそろ前進する時だ。 がんと共存できる社会確立のために、30年の後れを巻き返す必要がある。
「がんとの共存」、「患者はがんサバイバー」といった用語は耳にしたことはある。しかし、その本質的な意味にまで思いが至っていないのが、日本社会におけるがん医療の問題なのかもしれない。外来投与がスタンダードになり、発症後も、治療中も普通に仕事を続けている「がんサバイバー」たちが普通に暮らす欧米と、いまだそうなっていない日本。社会通念の違いは、つまりは医療の質の違い。そんな、かなり強いテーゼが込められたがん医療の昨今を、柔らかな語り口で教えてくれるのが日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之氏なのである。
腫瘍内科医は、がん医療の総合内科医
腫瘍内科学は日本の医学界が世界に後れをとっている、いくつかの分野のうちのひとつ。
勝俣氏による後れの見積もりは――
「米国でも、日本でも腫瘍内科学の活性化を後押ししたのは法律。米国の米国がん法(National Cancer Act)制定が1971年で、日本のがん対策基本法制定が2006年であることから、約30年の後れだと考えています。
がん対策基本法制定を受けて、日本の多くの大学医局に臨床腫瘍学の講座ができましたが、10年経った現在も充実しているとは言い難い状況です」
腫瘍内科医の数も、いまだ不足しているとのこと。
「10年で約1000名の専門医が育っていますが、日本で必要と算定されている5000名にはまだ遠く及びません。単純比較すると、約15,000名の腫瘍内科医が活躍する米国の15分の1です。2016年の米国の人口が約3.2億人、日本の人口が約1.3億人なので、人口比で考えても専門医数が米国並みになるには6000人弱の腫瘍内科医がいないといけないことになります」
腫瘍内科医とは?
「私はよく、がんの総合内科医だと説明します。欧米では、がんの疑いのある患者さんはまず、腫瘍内科医に受診します。手術の適応判断も、そこで腫瘍内科医が下します。もっとも重要なのは、患者さんを見捨てないこと。初診から最後まで、患者さんをサポートするのが腫瘍内科医の務めです」
そういったがん医療のあるべき姿や、腫瘍内科医の役割は――
「日本ではまだ、医師でも正しい認識を持てずにいる方が多いですね。
がん医療の黎明期に臓器別の、外科医がこの世界を牽引する図式ができ、今も続いています。この図式は明らかに時代遅れと言えます」
抗がん剤治療を受けながら、仕事を続ける患者が増える
腫瘍内科医に受診すると、患者にとってどんなメリットがあるのだろう。
「端的に言えば、抗がん剤治療です。世界的ながん治療の潮流は、すでに抗がん剤がその中心にあります。大変良く効き、副作用も少ない薬剤が開発実用化され、今も多く誕生している。
それらを駆使して薬物療法を中心とした治療計画を立てるには、豊富な専門知識を有した腫瘍内科医が欠かせません。
いまだ過渡期を抜け出せない日本では、抗がん剤への正しい知識を有した腫瘍内科医が少ない分を、外科医が担っている。残念ながら薬剤および、副作用対策に対する知識や経験が不足した医師が薬物療法の適応判断から処方までを行っているケースが多いため、使いこなせているとは言い難い状況が多々あります。
患者さん側に、『抗がん剤は副作用が怖い』という先入観がいまだ強いのも、そのためです。副作用に対して、最も簡単な対応策は、薬を減量することですが、安易に減量してしまっては、効果も減弱してしまう。減量は最後の手段であり、まずは、副作用を減らすための色々な対応策を講じることが大切なのです。十分な副作用対策も講じないうちから減量してしまうことはよく見られます。」
たしかに一般には、「抗がん剤投与で、身も心もボロボロになる」といったイメージがある。
「副作用でボロボロになってしまうのかというと、確かに20年くらい前にはそういった患者さんもいたかもしれません。現代では、副作用に対する薬剤や対応が相当すすんでいて、ボロボロになり、寝たきりになるような患者さんはいません。明らかに前時代のイメージを引きずっていますね。
欧米では、患者さんが抗がん剤投与を受けながら普通に仕事を続けるのは一般的なこと。日本では、外来でできる抗がん剤を、いまだに入院させるといった決定をする医療機関があるようですが、最新の世界的ながん医療の常識に照らせば考えられないことです。入院で抗がん剤をやると、患者さんの生活の質(QOL)が下がってしまいますので、そういった意味でも通院のほうがよい。当院にも、仕事を続けながら抗がん剤治療を受けている患者さんが多くいます。ステージ4で、仕事を続けている方も実在します」
ところで、日本にはがん手術の名医とされる医師が多く存在する。
「確かに、日本のがん専門外科医の技術は、世界のトップレベルです。素晴らしい手技を持った医師は日本の誇りと言っていいでしょう。ただし、ここ最近のがんの治療成績向上への貢献度は、放射線治療と抗がん剤治療によります。外科医も、最先端を行く先生ほどアジュバント療法(術後補助化学療法)の有効性を認識しているはずです」
腫瘍内科医と外科医とのパートナーシップについては。
「必須です。安心して手術を任せることのできる外科医と、いつでも相談できる体制でなければなりません。プロとして尊敬しあい、切磋琢磨し、患者さんのために最善を尽くすパートナーです。
時折、腫瘍内科医とがん専門外科医が患者さんを取り合う敵対関係にあるかのように理解する方がいらっしゃいますが、それは違います。さらに言えば、現在の世界のがん医療は、患者さんを中心にしたチーム医療がスタンダードです。外科医の協力も必須ですし、薬剤師、看護師の力量もQOLを大きく左右します」
見捨てない医療。そして、共存とサバイバー
最高齢86歳で抗がん剤を通院で受けている患者さんと
2012年、日本医科大学武蔵小杉病院での最初の患者サロン
2012年、日本医科大学武蔵小杉病院での最初の患者サロン
腫瘍内科医が中心になって展開するがん医療の理想の姿とは?
「ひとつは、前述したように最後まで見捨てない医療であること。緩和ケアへの転換なども、シームレスにしなければなりませんし、腫瘍内科医ならばそれができます。
もうひとつは、がんとの共存という概念。サバイバーという考え方の定着です。がんを克服(?)することがよくメディアでも話題になりますが、がんと診断された時から、すべての患者さんはがんサバイバーとなり、がんとの『共存』を模索していきます。再発の可能性はどんな患者さんでもあり、がんを克服というよりは、がんサバイバーと呼んだほうがよい。進行もしくは再発した患者さんでも、抗がん剤をうまく使うことにより、『共存』が可能な時代になっています。腫瘍内科医はそれを徹底的にサポートするために存在する。そんな、欧米ではもう当たり前の価値観を、早く日本にも根づかせたいと願っています」
がんに対して国民がいだくイメージを、いろいろと変えていく必要があるようだ。
「がんを告白したら仕事を失う社会など、もっての他です。しかし、日本ではまだそれさえ克服できていない。がん闘病記を発信しているブロガーのほとんどが匿名なのも、大きな偏見があることを示しています。がん患者が、あまりにも住みづらい社会ですね。
繰り返しになりますが、抗がん剤治療を受けていても仕事は続けられます。日本では、抗がん剤治療に専念するためにと、仕事を辞めるように勧める医師もいる。
欧米ではもう普通になっているように、仕事をしていても堂々とがんを告白し、社会から差別することなく、自分らしい生活を続けられる社会になるよう診療の現場から患者さんをサポートし、エールを送り続けたいと思います」
治らない病気に立ち向かう姿勢が大事とわかる
医師を目指したきっかけは、小学生の時に読んだ人気漫画『ブラック・ジャック』。卒業文集に「医師になる」としたためたとのこと。
「バリバリの外科医志望で富山医科薬科大学(現富山大学医学部)に入学しましたが、医学を勉強してみたら、あれは漫画だとよくわかりました(笑)。メス一本で何でも治せる病気は少ないと理解するにつけ、治らない病気に立ち向かう姿勢が大事なのだとわかっていきました」
それでもまだ外科医志望の気持ちはあったが、大学医局を飛び出し徳洲会病院で総合診療を学ぶうち、内科の魅力に気づいた。
初期臨床研修必修化以前のことだが、大学医局に残る考えはまったくなかったという。
「卒業生100名のうち、医局に残らなかったのは私を含めて3名。それはそれは、変わり者と言われたものです(笑)。でも、病院で教授回診の大名行列があるような大学医局のカルチャーには、どうしても馴染めませんでした。はっきり言って、嫌いでした」
当時すでにスーパーローテーションのあった徳洲会病院では、3日に1度の当直をこなしながら、4年間、大いに鍛えられたという。離島医療も経験した。総合診療の奥深さを学ぶに従い、外科志望ははっきりと内科志望に切り替わったという。
そして――
「サブスペシャリティの選択をすべき時期が迫ると、自然に腫瘍内科への興味が膨らんでいました。興味の理由は、腫瘍内科に総合内科的な側面を見たから。そして、当時、誰も選ばない道だったからです」
そこで目指したのが、国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院が公募していたレジデント制度への参加だった。約2倍の競争率をクリアして、同院研修医となる。
「当時は日本のがん医療の最高峰といえる同院にさえ、腫瘍内科はありませんでした。多くの研修医は制度に参加して臓器別の専門領域を絞り込んでいくのですが、私だけは将来を見据え、血液内科から始まり、乳がん、肺がん、消化器がんとローテーションしていきました。そんなプログラムも、希望があれば叶えてくれた。学閥もなく、様々な意味で自由闊達な国立がんセンター中央病院だからこそ許してもらえた歩みだと思います」
人を育てるなら大学に。思い切った方向転換で教授職を引き受ける
そして同院入職5年目にして、乳腺科・腫瘍内科の立ち上げにこぎ着ける。
「乳腺科の渡辺亨先生(現浜松オンコロジーセンター)が私の取り組みに理解を示してくださったこともあり、乳腺科でがん医療に取り組みながら腫瘍内科開設の下地作りを進めました。国立がんセンターでも内科医が対応していなかった婦人科がんや、原発不明がん、肉腫の抗がん剤治療に取り組みました。また、一環として腫瘍内科のトレーニングが積めるローテーションも構築しました」
そして、19年半勤めた国立がんセンターから、移籍となる。
「その頃にはもう、日本における腫瘍内科の確立には、人材育成が喫緊の課題とわかってきていました。そう考えると、国立がんセンターは純粋な教育機関ではないためにいくつもの限界があるともわかった。なにしろ初期研修医もいなければ、学生もいないわけですから。
移籍を決断した最大の理由はそこです。前述したように、私には大学医局が肌に合わない自覚がありますが、あえて進むべきだと思った。日本医科大学からのお声がけに感謝しつつ、清水の舞台から飛び降りるつもりでお話を受けることにしました」
同院に開設された腫瘍内科の診療方針は。
「まず、院内の外科医のみなさんから信用され、信頼される腫瘍内科にすべきだと心がけています。現体制では、がん患者さんを担当する医師は、ほとんどが臓器別の外科医ですから。
まずは、乳腺外科、婦人科との間で合同カンファレンスを根づかせ、ついで、消化器外科、呼吸器科、泌尿器科と合同カンファレンスの場を増やし、少しずつがんに関する相談を寄せてもらえるよう努力してきました。
直近の課題としては、外科医と手術の適応の判断まで、一緒に話し合える信頼関係の構築ができれば理想的と思っています。乳腺外科、婦人科との間には、それが確立してきています」
同院キャンサーボードでは、腫瘍内科のイニシアチブができあがっている。
「月に1度のキャンサーボードは、腫瘍内科がオーガナイズする形になっています。今後は、治療方針の決定に大きな発言力が発揮できるようにしていきたいですね」
2017年、教授就任から6年目の心境は――
「まだまだ道半ばです。当面の課題は、人を増やすこと。医局員が私を含めて3名では、できることに限界がありますから。この世界への若手医師や学生の興味が少しでも膨らむよう、あらゆる努力をする覚悟です」
EBMとNBMを統合した、理想のがん医療を目指して
取材を進める中で、気づいたことを率直に聞いてみた。がん医療の理想の姿を知った上で、そこに遠く及ばない日本の現状に失望や焦燥はないのだろうか? もちろん、そんなものに心を絡め取られていては、成せることさえ成せなくなるとわかるのが賢者。勝俣氏もそのひとりであることは想像に難くないが、それにしても嘆いたり、怒ったりの感情表現を回避した淡々とかつ端的な語り口には感銘を受けた。あまりに先を歩きすぎて、孤高である自覚が芽生え、愚痴や文句のひとつもあって不思議はないはずなのに、見事にセルフコントロールしていると感じたのだ。
「こう見えて、実はけっこう短気な気質です。家族や医局秘書などの、近しい人々にはとっくに見抜かれていると思うのですが(笑)。また、患者さんとのコミュニケーションを専門と言っている割には、スキルは低いほうだと自覚しています。その点に関しては、いまだに修業段階です。自分の感情に向き合うこと、コントロールすることの難しさを日々実感しています。
ご指摘の部分ですが、自分が緻密で冷静で技に長けているなどと自認していないのが奏功しているのかもしれません。医師なのだから、しっかりとエビデンスを中心にしたお話ができるよう心がけねばと自分に言い聞かせています。また、セルフコントロールは上手ではないが、かといって目の前の困難から逃げるのは間違っている。そんな、自分への叱咤を繰り返しながら仕事と向き合っています。逃げた先には、無関心、無感情という最悪の結末が待っていて、それでは前に進めなくなるということだけはわかっているつもりですから」
がん医療のこれからについて聞いた。
「患者さんに言ってはいけない言葉があります。それは、『断定的な余命宣告』と、『がんばれ』の一言。
断定的な余命宣告は、患者さんにとっては、残酷な死刑宣告ととらえられてしまいます。いまだ診察室で、良かれと思って余命を言う医師が多くいるようですが、間違っています。なにしろ、医師の余命計算などまったく当たらないという研究結果もあるのです。
患者さんとの間に篤い信頼関係があり、患者さんに意見を求められて参考程度に見解を述べるなら別ですが、それ以外はいたずらに宣告すべきではありません。同様に、『もう治療法はない』も禁句です。積極的治療が困難となっても、緩和的治療は最後まで可能だからです。
『がんばれ』がだめなのも、患者さんの立場に立てばわかるはずです。ただでさえがんばって苦しんでいる人に、こんな残酷なアドバイスはありません。『一緒にがんばりましょう』と言いたいですね。
私は、若手医師には、余命を言う代わりに『最善を期待して、最悪に備えましょう』という言葉を勧めています。
余命宣告はもちろんのこと、「がんばれ」さえ患者を傷つける。つい、抜け落ちてしまいそうな視点だ。
「世は根拠に基づく医療(EBM)華やかしき時代ですが、がん医療には、それに加えて物語と対話に基づく医療、NBM(Narrative Based Medicine)までもが求められると知っていただきたいです。患者さんに寄り添い、いっしょになって人生の、この後の物語を語り合うことの大切さ。私はEBMとNBMを統合したがん医療を目指していきたいのです」
勝俣先生の宝物(患者さんからの直筆の手紙)。手紙はすべて捨てないで取ってあるとのこと
勝俣 範之先生
1982年3月 山梨県立吉田高等学校卒業
1988年3月 富山医科薬科大学医学部医学科卒業
1988年6月 大隅鹿屋病院研修医
1989年5月 茅ヶ崎徳洲会病院内科レジデント
1992年6月 国立がんセンター中央病院内科レジデント
1997年6月 国立がんセンター中央病院第一領域外来部乳腺科医員
2003年8月 国立がんセンター中央病院薬物療法部薬物療法室医長
2004年1月 ハーバード大学公衆衛生院留学
2004年4月 国立がんセンター中央病院第二通院治療センター 医長
2010年6月 国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科外来医長
2011年10月 日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授
(2017年1月取材)