icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

2020.03.19

公益社団法人地域医療振興協会 総合診療産婦人科養成センター センター長 市立恵那病院 副管理者・産婦人科部長 伊藤雄二(いとう・ゆうじ)先生

「分娩をチームで支え、地方の産声守る」
へき地医療を担ってきた産婦人科専門医の新たな挑戦

「分娩をチームで支え、地方の産声守る」 へき地医療を担ってきた産婦人科専門医の新たな挑戦

産科医不足が叫ばれて久しい。当直の多さや訴訟リスクの高さから敬遠され、都心に医師が集中する偏在の問題も深刻さに拍車をかけている。当然の流れとして、地方では分娩の取り扱いを停止する医療機関が相次いで現れている。そんな中、地方でも安心して生み育てられる環境を守ろうと、新しい挑戦が始まっている。その中心となっているのが、公益社団法人地域医療振興協会が2017年に開設した「総合診療産婦人科養成センター」のセンター長、伊藤雄二さんだ。離島や山間へき地で30年以上地域医療を担ってきた産婦人科専門医で、現在は岐阜県恵那市の市立恵那病院産婦人科部長も務めている。妊産婦ケアや分娩にも関わることのできる総合診療医を育て、それを専門医がバックアップするという体制作りを目指し、「地方の産声」を守るために力を注いでいる。

産科医だけに頼り切るのではなく、 総合診療医との連携や助産師のスキルアップを図りながら、 「チームで分娩を担う体制の構築」を目指そうと考えました

11年ぶりの産声

JR名古屋駅から在来線で約1時間15分。岐阜県恵那市は、中央アルプス最南端の雄大な恵那山を望む、美しい田園風景の広がる街だ。2017年11月16日、市立恵那病院で一人の赤ちゃんが誕生した。体重2790グラムの元気な女の子。恵那市に11年ぶりに響く産声だった。

人口約5万人の恵那市は、日本各地の地方都市と同様、若者の流出や住民の高齢化、医師不足に悩んでいた。

2007年5月、市内唯一の産科医院が後継者不在のために閉院し、妊婦は隣の中津川市や瑞浪市の産科にかからなければならなくなった。市には当時、産科医院の存続を求め、1万840人分の署名が届けられたという。市はその後、産科開設に向けて努力を続けた。しかし、恵那市のような地方都市で、新たに医師を集めて産科を開設することは、当然のことながら容易ではなかった。

合言葉は「チーム恵那」

市立恵那病院は元は国立の療養所で、2003年に恵那市に移譲され、地域医療振興協会が指定管理者として運営に当たってきた。市は協会に産科開設を依頼し続け、そこで白羽の矢が立ったのが、離島やへき地の産科医療に30年以上携わってきた産婦人科専門医の伊藤雄二さんだった。

当時、伊藤さんは地域医療振興協会職員で、群馬県長野原町で協会が運営する西吾妻福祉病院の院長を務めていた。協会から依頼を受けた伊藤さんは病院勤務の傍ら、すぐに準備に取りかかった。

伊藤さんの頭の中には新しい形の産科医療の実現があった。「合言葉は、『チーム恵那』。産科医一人一人に頼り切るのではなく、総合診療医との連携や助産師のスキルアップ、他科との連携を図りながら、『チームで正常妊婦の健診や分娩を担う体制の構築』を目指そうと考えました」

地方で深刻さ増す産科医不足

産科医の不足や偏在は、日本各地で起きている。背景には、昼夜を問わない過重労働や、訴訟リスクの高さがあるとされる。

日本産婦人科医会が10年以上前から実施している就労環境に関するアンケート調査(18年度)によると、産婦人科医の1カ月の推定在院時間は288時間。近年の社会問題化により10年前より29時間減少したものの、依然として過労死基準(月80時間の残業)を遥かに超えている。月の当直回数は平均5.6回で、他科に比べて多い。

他の診療科では科を超えた連携で医師一人一人の負担を軽減する動きもあるが、分娩は医師の間にも「特別な世界」という認識があり、専門医の負担が大きくなっているという。

「総合診療産婦人科養成センター」発足

こうした状況を改善し、地方での分娩を継続させるために、伊藤さんは2015年、地域医療振興協会の中に自らがセンター長を務める「総合診療産婦人科養成センター」を発足させる。「産婦人科診療ができる総合診療医」を養成する取り組みだ。

そして、その最初の一歩が、総合診療医が産婦人科医療を実践的に学ぶ場を恵那病院に作る「恵那プロジェクト」。総合診療医の専攻医を恵那病院で受け入れ、人材を育てると同時に、実際に恵那市の分娩を支えるチームの一員になってもらうというものだ。

リスクに応じた役割分担と連携

「センターの発足は私にとって10年越しの夢でした。『総合診療医によるお産』という発想は日本ではなじみがないため、『専門家じゃなくて大丈夫なの?』と不安に感じる方も多いかもしれません。しかし、妊婦のリスク評価の割合を知れば納得できるはずです。総合診療医が担当するのは、助産師だけでも管理できるリスクの低い妊婦なのです」

伊藤さんによると、妊婦のリスク評価は約75%がローリスク、約22%がミドルリスク、約3%がハイリスクとされる。「ローリスクの妊婦の健診や分娩介助を総合診療医が担えば、産婦人科医はそのバックアップや手術、比較的リスクの高い分娩に専念することができます」
ただ、ローリスクと思われた妊娠の分娩がハイリスクになってしまうことも、もちろんある。伊藤さんは「そうした難しさのためにお産自体が『リスク』だと捉えられ、知識や技術があってもお産から手を引く医師が多いのも事実です」と話す。そうした問題を解消するため、センターでは、単に分娩の知識や技術を持った総合診療医を育てるだけではなく、さまざまなケースのシミュレーションを繰り返しながら、総合診療医と産婦人科医、助産師、他科の医師らが緊密に連携する「チーム体制」を整えることを目指している。

目標は年間300例

恵那病院は現在、伊藤さんを含めた産婦人科の専門医2人と、総合診療医を目指す専攻医や他科の医師らが連携し、分娩を支えている。2017年11月の分娩開始から最初の1年間で181例の分娩があり、丸2年が経過する2019年11月末で累計400例を超えた。

恵那病院で扱っている分娩は「ローリスクからミドルリスクくらいまで」という。「例えば合併症があったり、ちょっと血圧が高かったり、赤ちゃんが少し小さかったり。開業医では少し難しいけれど、大きな病院に行くほどでもないという分娩ですね。一方で、それを超えるリスクがあるものは、県立病院などに移送します」

恵那病院では最初の1年間で4人の総合診療医の専攻医を受け入れた。研修期間は数カ月~半年と人によってさまざまだ。伊藤さんによると、産婦人科医療に初めて関わる専攻医でも、2~3カ月後には妊婦を直接診察してリスク評価を行うことができるようになるという。そうなると、伊藤さんら専門医と一緒にディスカッションをし、診療方針を決めていく。

「半年研修すればできることはさらに増えるし、1年も研修すれば、正常なお産には関われるようになります。もちろん、どんな場合でも急変などのリスクに備えなければいけません。それには専門医による十分なバックアップが必要で、そこを私のような専門医が担います」

恵那市の年間出生数は約300人。「現在の体制で、年間300例の赤ちゃんを恵那病院で取り上げることを目標にしています。開設以来、順調に増えてきており、需要の大きさを実感しています」

高ステータス、高収入というイメージしかなかった医師という 職業は、なんとなく自分には合っていないと思っていました

父の死が医師を目指すきっかけに

伊藤さんが総合診療産婦人科養成センターを設立するに至るまでの道をたどる。

伊藤さんの出身は、離島人口が日本一多い長崎県。理系科目が得意な活発な少年で、その頃は医師になろうとは全く思っていなかった。「両親共に教員で、祖父も教員でした。それで逆に、『教員にだけはなりたくない』とその頃は思っていました。兄が工学系の勉強をしていたので、自分もなんとなく、技術者の道に進みたいと考えていました」
成績のよかった伊藤さんに、医師になることを勧める人もいたが、「社会的地位が高くて高収入」というイメージの医師という職業は、「なんとなく自分には合っていないと思っていました」という。

そんな少年は、なぜ医師を目指すようになったのか。きっかけは中学3年生の時の父親の死だった。死因は肺炎をこじらせたことだった。

伊藤さんは「『不治の病』ではなかったので、一層ショックが大きかった」と当時を振り返る。かけがえのない家族を奪われたことで、「人の命を救うことができるかもしれない」医師という職業に、突然目が向いたのだという。

「お金をかけずに」で自治医大入学

高校生になってから本格的に医師を目指して勉強を始めた伊藤さんは、1979年に自治医科大学に入学した。自治医大を選んだのは、単に「できるだけお金をかけずに医師になる」という理由からだ。「離島を抱える長崎県出身者として、へき地での医療を志したというのではない」と言い、「本当に何も考えず、入学して初めて『ああ、みんなへき地に行くのか』と気づいたくらいです」と笑う。

そんな伊藤さんを、入学後の出会いや経験が変えていく。

大学で学んだ「地域を支える」精神

伊藤さんは、自治医大の8期生。へき地の医療向上や住民福祉の増進を図るという建学の精神に、学校全体が燃えていた時期だという。

「今ももちろん、そうした精神が受け継がれていますが、当時は1期生がへき地で医療体制を作っていこうと必死になっている段階でした。教職員を含め関係者全員から『日本の地域医療を何とかしなくてはいけない』という思いがひしひしと感じられました。高久(史麿・前自治医大学長)先生や細田(瑳一・自治医大名誉教授)先生などから、専門的な知識や技術だけでなく、地域での心構えを教育していただきました」

One for all, all for one

ラグビー部の練習でスクラムを組む自治医科大学6年生の伊藤さん(左)=伊藤さん提供

また、特にラグビー部での経験が「大きなインパクトになった」と語る。

自治医大ラグビー部といえば、東日本の医学生が参加するスポーツ大会「東日本医科学生総合体育大会(東医体)」で11連覇した記録が今も語り継がれている。伊藤さんはその一つ上の世代で、「王者・自治医大」の基礎を作った。

「トレーニングを理論的に引っ張る先輩がいて、だんだん強くなっていったんです。僕自身はプロップで、大した選手ではなかったんですが、4年生の時にチームは東医体で初優勝しました」

ラグビー三昧の日々の中で、伊藤さんの中に刻み込まれたのが「One for all, all for one」の精神。「ラグビーは、チームの中で自分が何の役割を果たすのかを常に考えながら、その役割を全うすべく全力を尽くします。この時の経験は、今の僕の人生に確実に生きていますね」

「元気な人も診る」魅力

1985年に自治医大を卒業し、国立長崎中央病院(現・国立病院機構長崎医療センター)で各科を経験する初期研修を終えた伊藤さん。専門として選んだのは産婦人科だった。離島やへき地での医療体制を構築する上で、まず必要とされるのは内科や外科、小児科だろう。なぜ産婦人科を選んだのか。
「まず、分娩というのは、病気を治療するのが主体ではないということに興味をひかれました。元気な人と対峙し、生命の誕生を扱うというところに魅力を感じたんですね」。また、ウィメンズヘルスケアという点で、産婦人科は外科的な面も内科的な面も両方扱うことができる。がんであれば1人の患者に対し、内科医と外科医がそれぞれの分野を担当するが、産婦人科医は自らが診断し、自らが手術し、アフターケアまで患者に寄り添える。そうした点も魅力的だったという。

長崎で培われた「ゼネラリスト」マインド

産婦人科医としての最初の赴任地は対馬の南端、旧厳原町にあった長崎県離島医療圏組合対馬いづはら病院(2015年に中対馬病院との統合に伴い閉院)。

当時、対馬では多くの分娩が助産師だけで行われていた。しかし、都市部と同様に分娩に対する医療体制を構築するべきだという意見が出ており、その方法の模索が始まっていた。そうした中、町立の母子センターでの助産師による分娩を廃止し、いづはら病院で分娩を開始する構想が固まった。

伊藤さんはまず、離島の医療をバックアップする佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)の産婦人科に入局し、いづはら病院で「それこそどんな患者でも診ながら」産婦人科開設の準備に尽力したという。そして、佐賀医大から赴任してきた指導医とともに、いづはら病院で産婦人科をスタートさせた。離島の医療を支える存在として、通常の当直にも入りながら、産婦人科医療に取り組んだ。

いづはら病院の後に赴任した長崎県離島医療圏組合上五島病院(五島列島の中通島内)時代を含め、長崎県で医師として過ごした10年間のうち7年間は離島勤務だった。こうして、産婦人科の専門医でありながら、さまざまな疾患を横断的に診療できる「ゼネラリスト」伊藤さんが生まれていった。
- 1988年、長崎県離島医療圏組合対馬いづはら病院の医局で=伊藤さん提供
- 1992年、長崎県離島医療圏組合上五島病院のカンファレンスで話す伊藤さん=伊藤さん提供

大学病院から再びへき地へ

上五島病院での勤務の後、佐賀医科大学付属病院でキャリアを築き始めた伊藤さんだったが、6年ほど勤めたころ転機が訪れる。自治医大ラグビー部の先輩から、群馬県の西吾妻地区に新設する病院で働かないかという誘いを受けたのだ。

新病院の場所は、前橋市から車で約1時間半のいわゆる「山間へき地」。この地域の医療を担ってきた群馬大学附属病院の分院が閉院することになり、地域医療振興協会が新たな病院開設を依頼された。そのプロジェクトを任されたのがラグビー部の先輩だった。

この時、伊藤さんは40代前半。「大学病院は新しいフィールドで勉強になることも多かったのですが、もう一度地域医療に従事したいという気持ちが大きくなっていました。へき地で新しい病院を一から作り上げるというのは大きなチャレンジですから、踏み出す決意をしました」

そして2002年2月、へき地の拠点病院として、地域住民の健康を支える西吾妻福祉病院が誕生した。

家族にも支えられ

地域医療振興協会西吾妻福祉病院で部下の産婦人科医(右)と=伊藤さん提供

群馬行きの決断は、家族も巻き込むものだった。小学校6年生だった長女は、佐賀市内の国立中学の受験準備中。小学生の次女と長男にも転校を強いることになる。それでも、家族は快く伊藤さんの決断を受け入れてくれたという。家族5人で群馬県前橋市に転居し、伊藤さんは週の半分を病院のある西吾妻で過ごし、時々家族の住む前橋に帰るという生活を送った。

西吾妻福祉病院は草津温泉などの観光地も抱える地域にあることから、観光客の救急拠点としての役割も担っている。こうした環境では、外科系、内科系を問わず、いかなる患者にも臆することなく対応する技術と知識が必要になる。伊藤さんは、副院長として病院の開設に関わり、15年以上をその地で過ごしながら、地域医療の体制作りや後進の育成にあたった。2009年には院長職に就き、「病院経営についても多くを学んだ」という。

認定医制度を発足し、「総合診療産婦人科医」として 全国の病院でお産に関わる仕組みを創りたいと考えています

新たな挑戦の先に

恵那病院の産婦人科開設とともに始まった総合診療産婦人科養成センターの挑戦は、まだ緒に就いたばかりだ。

伊藤さんは「母体である地域医療振興協会の中で、地域限定あるいは組織内のプログラム限定でもいいので『認定医制度』を発足させたい。一定の研修期間を条件に、『総合診療産婦人科医』として全国のグループ病院でお産に関わる仕組みを作り、同じような志を持った人たちとその制度を共有していきたいと考えています」と中長期的な展望を語る。
自治医大の卒業生を中心に1986年に設立された同協会は現在、全国各地の70カ所以上の病院・施設を運営。多くが離島や山間地域で、名実ともに日本のへき地医療を支えている。産婦人科医療に関わることができる総合診療医を育てることは、単に産婦人科医の負担を取り除くことではなく、これらの地域のお産を守っていくことに直結するのだ。

ALSO普及にも尽力

分娩開始から2年がたち、恵那病院での産婦人科医療は軌道に乗ってきた。住民の信頼も得ることができているようで、分娩数、外来数、腹腔鏡を含めた手術件数も増えている。

軌道に乗ってきた恵那の産婦人科医療

伊藤さんが参考にしているのが、米国やオーストラリアの研修制度だ。米国では、家庭医の認定取得には産婦人科医療の習得が必要だ。産婦人科が必修でない日本の初期研修制度とは考え方が大きく異なる。またオーストラリアでは、へき地医療を担う総合診療医に対するサブスペシャリティの研修・認証制度がある。実際にGP Obstetrician(総合診療産婦人科医)として働く多くの医師がいる。

伊藤さんは「他の科を希望している医師に産婦人科研修で何を教えるべきなのか、受け入れる側も戸惑うことがあります。でも、少し発想を変えると、産婦人科を学ぶことの意義はとても大きいことに気づくわけです。どんな科の医師でも、診る患者さんの半分は女性。ウィメンズヘルスを学ぶという目的をもって産婦人科での研修を捉えれば、多くの若手医師たちも、意欲をもって取り組んでくれます」と強調する。

伊藤さんが今、自ら講師となって普及に取り組んでいるのが、米国で生まれた教育コース「ALSO(Advanced Life Support in Obstetrics)」だ。

産婦人科専門医だけでなく、助産師、総合診療医、救急医らを対象にしたトレーニングプログラムで、妊産婦の救急医療に関する知識や技術を実践的に学ぶものだ。米国では現在、ほとんどの分娩に関わる医療従事者に対してALSOの受講が義務付けられている。

2008年に日本で初めて開催されたコースを受講した伊藤さんはその後、講師として後進の育成に努めている。「助産師もいれば総合診療医もいて、救急医もいる。その中で、みんながお互いの立場を尊重しながら、お産に関わるあらゆるケースに対処するためのトレーニングを積んでいきます。非常に意義深い教育制度です」
研修の受け入れを積極的に行うことで、産婦人科の体制も充実しつつある。恵那病院が新専門医制度の産婦人科研修プログラム連携施設になったことによって、今後は産婦人科の常勤医、専攻医ともに人数が増える見込みだ。また恵那病院には総合診療専門医のプログラムがあり、将来そのプログラムで研修予定の専攻医1人が現在、研修の一環として継続的に産婦人科の外来見学・研修を行っている。2019年度は、恵那病院産婦人科が独自に実施している家庭医の研修(期間は3カ月間)に1人が参加した。過去の研修参加者には、恵那病院の外来に関わり続けてくれる医師もいる。

恵那から全国へ

足元が固まりつつある一方で、伊藤さんは日本全体の産婦人科医療の先行きには不安も感じている。早くから専門に特化した医師を作る新専門医制度、日本産科婦人科学会が進める分娩施設の重点・大規模化といった流れは、確かに産婦人科医の労働環境改善という視点からは必要かもしれないが、地域の産婦人科医療・ウィメンズヘルスを守るという視点からは伊藤さんの構想とは逆向きともいえるからだ。伊藤さんは「今の流れは、分娩の安全性を高め、産婦人科医の労働環境は改善するかもしれません。しかし、地域のウィメンズヘルスがおろそかになったり、妊婦健診へのアクセスが悪くなったり、妊婦の救急搬送が増えたりするリスクがあります。その中で、セーフティネットとして、総合診療医の産婦人科に関するトレーニング、助産師を中心とした多職種連携、緊急時のシミュレーショントレーニングは絶対に必要です」と強調する。

伊藤さんによって、「地方の産声を守る医療」が恵那で芽生えようとしている。「変わりつつある産婦人科医療の大きな流れの中で、いったい自分に何ができるのかは、まだ模索中です。でも、まずは教育の場を整えたいと思っています。そこで学んだ若手医師たちがそれぞれの地域に戻り、地域の分娩を守るコアになっていってもらうために。今後5~10年の間にそれを実現させることが、僕の使命だと考えています」

公益社団法人地域医療振興協会
総合診療産婦人科養成センター センター長
市立恵那病院 副管理者・産婦人科部長伊藤雄二先生

1985年 自治医科大学医学部卒業
1985年 国立長崎中央病院(現長崎医療センター)臨床研修医
1987年 長崎県離島医療圏組合 対馬いづはら病院産婦人科
1990年 佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)産婦人科研究生
1991年 長崎県離島医療圏組合 対馬いづはら病院産婦人科
1992年 長崎県離島医療圏組合 上五島病院産婦人科医長
1995年 佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)産婦人科講座助手
2001年 自治医科大学産婦人科講座講師
2002年 地域医療振興協会 西吾妻福祉病院副院長
2007年 自治医科大学附属さいたま医療センター総合医学第2講座准教授
2009年 地域医療振興協会 西吾妻福祉病院院長
2015年 地域医療振興協会 総合診療産婦人科養成センター
2017年 地域医療振興協会 市立恵那病院副管理者・産婦人科部長

(肩書は2018年12月取材時のものです)