奄美大島で17年間、産婦人科医をしてきた小田切幸平先生のインタビューの後編です。
小田切先生は2025年の3月をもって、奄美大島を離れます。24年10月、先生が勤めていた名瀬徳洲会病院が突然分娩(ぶんべん)をやめることになりました。それによって奄美大島の分娩施設は、僕の勤務先である鹿児島県立大島病院だけになりました。いわゆる「分娩施設の集約化」。日本全国で起きていることです。
先生はその時に奄美大島を去ることを決めたそうです。ですが、今まで診てきた妊婦さんの安心のため、やり残したことをやり切るために徳洲会病院を退職し、11月から2月まで、県立大島病院で働いてくれました。先生と過ごした日々は僕にとって大きな財産です!
文・写真提供/小徳羅漢
中学生に性教育の授業をする小田切先生(右)=奄美大島・大和村で2020年2月
――(小徳)小田切先生は産婦人科医としての仕事のほかに、性教育などにも力を入れて活動してこられました。島の人たちとの交流は活発でしたよね。
(小田切)この17年間で患者さんや、この地域での活動を通していろいろなことを学び、成長させてもらえました。僕はもともと恥ずかしがり屋で、人前で話すことが苦手だったんです。
――それは嘘ですね(笑)。
本当なんです。昔、養護教諭の方にお願いされて高校生に性教育を初めて行った時に、僕の話がつまらな過ぎて高校生たちが寝たり、「苦痛だった」とアンケートに書かれてしまったりしたんです。それが悔しくて、勉強して、いろいろな工夫をして少しずつ生徒が聞いてくれるようになったんです。
学会と違って、性教育はそもそも生徒が聞く姿勢がないので、耳をこちらに向けさせることから始まります。だから性教育を何年もやっていると、最初から聞く姿勢のある学会が簡単に感じるようになりました。
――奄美大島にきたばかりの頃、小田切先生の性教育を一度見学させてもらいました。クイズを取り入れたり、赤ちゃんの模型を使ったり、妊婦体験を行ったりと、いろいろな工夫をされていました。僕も昨年から高校生を中心に性教育を行っていて、それは小田切先生の活動を手本にしています。
僕がいなくなった後は頼んだよ。
産婦人科の医局で同僚と学会の準備をする小田切先生(右)と産婦人科医たち=県立大島病院で2025年1月
――頑張ります。小田切先生がいなくなるのは本当に寂しいです。産婦人科は、2人の子どもを育てるお母さんの部長、その下に若手医師という構成で、いつもギリギリで診療をしていました。小田切先生は部長の心の支えにもなっているし、僕たち若手や助産師さんへのシミュレーション、フィードバックが的確で、本当に勉強になっています。スタッフも僕たちも本当に笑顔が増えました。
僕の方こそ数カ月ですが、県立大島病院で働けてよかったです。急に島を去ることになったら、それまで徳洲会病院に通っていた妊婦さんが不安になるんじゃないかと思いましたし、涙を流す妊婦さんもたくさんいました。でも、実際に県立大島病院に来てみると、助産師さんや先生たちが一人一人の妊婦さんの声を聞いて、本当に丁寧に診療されているのを見て、自分の方こそ本当に勉強になりました。
小田切先生(右)と妊婦さんの妊娠高血圧腎症の予防について協議=名瀬徳洲会病院で2024年6月
――どうして名瀬徳洲会病院はお産をやめたんでしょうか。
どこの病院も一緒ですが、名瀬徳洲会病院も分娩件数が減っていく中で、麻酔科医がいなくなり、安全な分娩を維持することができなくなったためです。妊婦さんにとって出産場所の選択肢がなくなってしまうので、なんとか維持しようと手を尽くしたんですが、ダメでした。今まで奄美大島のために、病院のために頑張ってきただけに、こんな最後になってしまって、僕も心が折れてしまいました。他の病院への人事異動も打診されていたのですが、断り、来年からは奄美大島を出て、香川県の病院で心機一転、頑張ることにしました。
――心が折れますよね……。
でも、香川県に行く前に、ここで働けてよかったです。徳洲会で見ていた妊婦さんに声をかけてもらえたり、スタッフの皆さんが優しく接してくれたり、逆に僕が癒されています。
この17年間で3200人の赤ちゃんを取り上げました。この間、かつて私が取り上げた子が子どもを産んだんです。
――世代を越えてお産を取ったんですね。
また、島民の皆さんもオンライン署名をしてくれたり、徳洲会病院の本部にまで掛け合ってくれたりして。たくさんの方が自分のために動いてくれて、それだけでも自分がこの17年間やってきたことは間違ってなかったのかなって思えました。
――それは本当に小田切先生だからです。奄美大島は割といろいろな医師が出たり入ったりで、島民の方も来る者を拒まず、去る者を追わずでした。こんなにたくさんの方が自分事として考えて、動いたのは小田切先生のためだからです。先生が奄美大島を愛してくれたことが、ちゃんと皆にも伝わっているんだと思います。
ありがとうございます。僕の人生は本当にこれからどうなるか分からないけど、まずは香川で本気で頑張ってみます。
――奄美大島はいつでも小田切先生が帰って来るの、ウェルカムですからね!
実は、奄美大島に来る前から小田切先生のことを知っていました。そして、いつか先生の下でお産を学びたいと思っていました。
先生のことを知ったのはたまたま目にしたインタビュー記事です。「奄美群島は日本の縮図で、奄美大島は本島、喜界島が北海道、沖永良部島が四国で、徳之島が九州、与論島が沖縄。ここで通用する医療システムが作れれば、日本全体のお手本になる」。そう書いてありました。
「何て壮大な! こんな格好良い離島医療を一緒にしてみたい!」と研修医だった僕は、出会ってもいない頃から、小田切先生と働くことを夢見ていたのです。それから数年後、僕は産婦人科医として県立大島病院で働き始めました。小田切先生は変わらず、名瀬徳洲会病院で働いていました。
県立大島病院はドクターヘリとNICU(新生児集中治療室)があるため、奄美群島全体の地域周産期センターとして患者さんの搬送の受け入れを担っています。たまに、妊婦さんの搬送で救急車に同乗してきた小田切先生を見かけては、芸能人に会えたような気持ちになっていました(笑)。
先生はこの17年間でたくさんの愛情を奄美大島に注いでくれました。その愛は3200人の赤ちゃんに、お母さんに、性教育を受けた子どもたちや、周りのスタッフに、僕たち若い医師に届いています。
小田切先生が奄美大島を去ってしまうのは寂しいのですが、その愛のバトンを僕たちも次の世代や妊婦さんたちに届けられるように、力を合わせて頑張ります。
小田切先生、本当にありがとうございました。そして本当にお疲れさまでした。新天地でのご活躍を心から応援しております。
小田切先生(右)と最後に分娩介助のポーズ 数カ月だけでも一緒に働けて本当に幸せでした=2025年3月
PROFILE
小徳羅漢(ことく・らかん)

鹿児島県立大島病院に勤務。
1991年、茨城県生まれ。小学校高学年の時から神奈川県で暮らす。16年、東京医科歯科大学卒業。鹿児島市医師会病院で初期臨床研修後、18年には長崎県上五島病院で、19年には離島へき地医療の最先端といわれるオーストラリア・クイーンズランド州で研修。20年から現職。街中で医師らに無料相談ができる「暮らしの保健室」を開催している。趣味は温泉巡りと映画鑑賞、そして島巡り。18年に結婚し、20年に夫婦で鹿児島県奄美市に移住。2人の子どもを育てている。
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