こんにちは! 奄美大島で、お産が取れる総合診療医になるために日々修行中の小徳です。離島医療や地域医療を頑張っている医師って格好良いですよね。僕には、憧れの先生が何人かいます。
今回の「地方からの便り」は普段とは形式を変えて、憧れの医師に僕がインタビューして、その内容をまとめたものになっています。好評なら、シリーズ化するかもしれません!
記念すべき1人目として、奄美大島で17年間、産婦人科医として働いてきた小田切幸平先生に話を伺いました!
文・写真提供/小徳羅漢
17年間、奄美大島のお産を守り続けてきた小田切幸平先生(左)=鹿児島県立大島病院で2025年2月
――(小徳)小田切先生は静岡出身でしたよね? どうして奄美大島で17年間も、産婦人科医として働くことになったのか教えてください。
(小田切)話すと長くなるのですが……元々は畜産がしたくて北海道の畜産系の大学に進むつもりでした。しかし、高校3年生の時に弟が白血病になりまして、当時は抗がん剤以外の治療法がなく、弟を助けるために医師を志しました。
それから必死で勉強して浜松医科大学に入学しましたが、大学2年生の時に弟が結局亡くなってしまったんです。小児科医になって白血病の弟を助けるという夢がなくなってしまいました。医師を諦めて畜産の道に進み直すのか、このまま医師になるのか、悩んで1年間休学しました。
そして、ワーキングホリデーを使ってニュージーランドに行き、牧場で働いたり、寿司屋で働いたり、ヒッチハイクで旅をしたりしました。300人くらいの人に車に乗せてもらったでしょうか。その中で、ネパールの医療の届かない地域で外科医をしているというニュージーランドの医師に出会いました。その先生に、医師になるべきなのか悩んでいることを相談したら「弟は、君が医師になる道に導いてくれたんだよ。世の中には君の助けを必要としている人がたくさんいる。それを見てから決めてもいいんじゃないかな?」と言われたんです。
それからネパールに渡り、数カ月、病院を見学させてもらいました。ネパールでは99%の人が自宅で出産をしており、そのため適切な医療が行えず、たくさんの妊婦や赤ちゃんが亡くなっていました。そんな光景を目の当たりにして、産婦人科医になろうと思いました。
研修医に対して飛行機で妊婦が破水した時のシミュレーション教育=県立大島病院で2023年12月
――それで小児科医でもなく、血液内科医でもなく産婦人科医なんですね。
ただ、大学卒業後はいろいろな診療科の勉強がしたいと思い、栃木県にある自治医科大学附属病院で内科や小児科、救急科、産婦人科を学びました。当時まだ研修医制度がなかったんですよ。
その時、消化器内科に進もうかと迷ったこともありました。でも、当時の産婦人科の指導医に「頭を使うな、ひたすら手を動かし続けろ」と言われていて、それが武道の「考えるな感じろ」の教えに通ずるところがあり、大学で空手をやっていた自分にはぴったりだと思ったんです。また、お産の時に大勢のスタッフが協力するチーム医療が理想と合致したというのもあります。
助産師、研修医に新生児蘇生のレクチャー=県立大島病院で2023年12月
――小田切先生が消化器内科と迷っていたのは意外です!
黒色便が、治療することで普通の便になっていくのが感動的だったんですよ! でも、産婦人科の感動の方がすごかった。
――そこから、どうして奄美大島を選んだのですか?
最初は「国境なき医師団」への参加なども考えて、説明会にも行きました。でも当時、子どもが4歳と2歳で、紛争地域に行ったり海外で生活したりすることは無理があると考えて諦めました。そこで、日本の離島に行ってみようと思ったんです。
ここ奄美大島にある名瀬徳洲会病院に相談したらセスナに乗せてくれて、喜界島や沖永良部島を空から案内されました。そして、沖永良部島の妊婦さんから徳洲会病院に届いた手紙を見せられました。
「私たち島の妊婦をなめないでください。私たちだって日本人です。同じ水準の医療を受ける権利があります」
その当時、沖永良部島には80歳の高齢の先生が持病で倒れることもありながらも何とかお産を取っている状況でした。悪いのはこの先生じゃない、僕たち若手の医師がこうした地域に行かないことや、システムだと思い、奄美大島行きを決めました。
――徳洲会病院の見学が衝撃だったんですね。
そう。海外に行っている場合じゃないぞと思いましたね。
――分かります。アフリカの難民の子の映像を見ると助けたい気持ちになりますが、こうして奄美大島で働いていると、ここでも医師が足りないことを実感します。世界のそうした地域で働く医師はもちろん素晴らしいし、医学生が志すのも良いことだと思いますが、ぜひ、海外に行く前に日本の離島医療も見てもらいたいと思っています。
名瀬徳洲会病院にある「おさんのへや」を指差し、「僕がよく昼寝しているから“おっさんの部屋”と言われています」=2022年12月
――小田切先生は奄美大島に来て17年になります。離島医療の魅力は何でしょうか?
限られた資源の中、アイデアや人の力で、本土に劣らない、本土より優れた医療を患者さんに提供できることですかね。
例えば、自分は11年ほど前から、当時としては珍しい遠隔胎児心拍モニタリングを始めました。病院だけじゃなくて、自宅にいても搬送中でも胎児と母体の状態をスマートフォンで確認することができるようになりました。その活動を日本産科婦人科学会で報告したところ、高得点演題に選ばれて表彰されたんです。他の受賞者は大学病院の研究室とかで研究しているような偉い先生ばかり。自分は島での活動を報告しただけなのに、です。でも、離島だからこそこの活動には意味があったんだと思います。
コロナ禍で対面診療ができなくなった時に、この遠隔医療が本当に役に立ちました。それから遅れて、日本中で遠隔胎児心拍モニタリングが広く使われるようになりました。だから、どんな場所でだって学ぶことができるんだと思いましたね。
後編へ続く!
PROFILE
小徳羅漢(ことく・らかん)

鹿児島県立大島病院に勤務。
1991年、茨城県生まれ。小学校高学年の時から神奈川県で暮らす。16年、東京医科歯科大学卒業。鹿児島市医師会病院で初期臨床研修後、18年には長崎県上五島病院で、19年には離島へき地医療の最先端といわれるオーストラリア・クイーンズランド州で研修。20年から現職。街中で医師らに無料相談ができる「暮らしの保健室」を開催している。趣味は温泉巡りと映画鑑賞、そして島巡り。18年に結婚し、20年に夫婦で鹿児島県奄美市に移住。2人の子どもを育てている。
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