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2019.10.08

順天堂大学 医学部 整形外科学講座准教授 齋田良知(さいた・よしとも)先生

トップアスリートを支えるスポーツドクター
世界から地域へ、スポーツを核に地続きの医療を目指す

トップアスリートを支えるスポーツドクター 世界から地域へ、スポーツを核に地続きの医療を目指す

世界トップレベルのプロサッカーリーグ、イタリア・セリエA。日本人では中田英寿、本田圭佑、長友佑都などの選手たちの活躍が記憶に新しい。スーパースターが集うリーグで、優勝18回を誇る名門クラブ「ACミラン」に、医師として留学した経験を持つのが齋田良知さんだ。現在、順天堂大学医学部整形外科学講座に籍を置きつつ、スポーツ医学を専門とし、2019年初頭には全国でも珍しい社会人サッカークラブ併設のクリニックを開院した。齋田さん自身、元は“本気”のサッカー選手で、医師とプロ選手との二刀流を目指したこともある。東京五輪を控え、アスリートの健康とパフォーマンスを支える「スポーツドクター」への注目が高まっているが、国内外のサッカークラブでチームドクターを務め、この領域のトップレベルを体感してきた齋田さんが目指すのは、より裾野の広いスポーツ医学のありようだ。その稀有なキャリアをたどりながら、齋田さんが描く未来像を聞いた。

ここが違う 世界と日本 フィールドで奮闘するスポーツドクターの意味と役割

患者殺到、最先端医療の第一人者

東京都文京区の順天堂大学附属順天堂医院。齋田さんのインタビューは、2016年に完成したB棟の7階、「難病の診断と治療研究センター」で行われた。取材当時、ここに齋田さんも担当医として所属する「PRP外来」があった(その後、別の階に移転している)。

PRPとは多血小板血漿(platelet-rich plasma)のことだ。血液の成分の一つ、血小板には傷んだ組織の修復を促す物質(成長因子)が含まれている。患者自身の血液から血小板が多く含まれた部分を抽出して作ったものがPRPだ。これを傷めた患部に注射すると、けがの早期治癒や痛みの軽減効果がある。米大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が2014年、右ひじ靭帯の部分断裂に対して実施し、約2カ月で復帰したことでも話題となった。スポーツ障害に対する治療法として、近年普及が進んでいる。
齋田さんは日本におけるこの治療の第一人者だ。導入は2011年にさかのぼり、現在までPRPの作成法や適応についてのさまざまなエビデンスを蓄積、発表し続けている。特にスポーツ選手の膝のけがに対して多数の症例を重ねてきた。「PRPは、日本では歯科のインプラント治療での顎の骨の再生や、皮膚科でシワやたるみの治療に先行して用いられていました。僕たちのチームでは、難治性の膝蓋腱炎に悩むプロサッカー選手にこの治療を行って、劇的な回復を遂げて以来、靭帯損傷などのスポーツ外傷を対象に数多く実施しています」

欧米では整形外科、スポーツ医学領域で一般的なものになっているが、国内の実施施設はさほど多くはない。しかしテレビ番組で紹介され、受診希望者が急増。順天堂医院のPRP外来は2019年末まで予約で埋まるほどになった。結果、多忙を極める齋田さんだが、医師としての齋田さんの「顔」はさらに多様だ。まずは整形外科医の顔と、スポーツドクターの顔。この二つ、似ているようで実は結構違うという。まずは両者の違いを明らかにすることから、齋田さんの足跡と、その道を歩むに至った思いを紐解いてみたい。

「整形外科医がなんでフィールドに出るんだ?」

「ヨーロッパ留学中によく言われました。『お前は整形外科医だろ? なぜスポーツの試合や練習の現場に行くんだ?』って」。日本でスポーツドクターという資格が最初に作られたのは1982年のこと。日本体育協会(現・日本スポーツ協会)に公認制度ができ、2018年10月現在で6092人が認定されている。認定を受けている医師の専門領域は多彩で、産科、耳鼻咽喉科などの専門医もいるが、最大級のボリュームを占めるのは整形外科医だ。これとは別に日本整形外科学会の認定スポーツ医、日本医師会認定の健康スポーツ医という制度もある。前者は当然整形外科医ばかり、後者も多数を占めている。では、欧州で齋田さんに投げかけられた疑問はなぜ生じたのか。
「ヨーロッパでのスポーツドクターは、常時チームに帯同し、選手のトレーニングや食事、メンタル、女性選手の場合は月経なども含めて、心身をトータルで見守る存在です。選手がけがをしたら応急処置はしますが、その後は病院にいる整形外科医に紹介し、手術は整形外科医が担当します。整形外科医と現場に出るスポーツドクターとは、役割がまったく違うんですよ」。言い換えれば、欧州では、スポーツ医学とスポーツドクターが、日本以上に専門領域、専門職として独立しているということだろう。

その視点に立てば、現在の齋田さんは、整形外科医とスポーツドクターの二足の草鞋を履いている。一般的な整形外科の外来も担当し、手術室にも立つ。特に専門とする膝関節の治療では、前十字靭帯の他科腱移植(アログラフト)という先進的な手術も手掛ける。一方、医師としてのキャリアをスタートした直後から、いくつものサッカークラブでチームドクターを務めてきた。現在は、福島県いわき市を拠点とする社会人サッカークラブ「いわきFC」のチームドクターだ。

そのいわきFCは、医学的根拠に基づき、選手ごとにパーソナライズしたトレーニングや食事メニューで強化とけが予防に効果を挙げたことで、全国的な注目を集めている。選手の体質を遺伝子レベルまで調べ、独自の計測項目を設定して日々の「疲労度」の数値化も行う。さらに選手がけがをした状況、重症度、けがのパターンなどを統計データとしてまとめ、アジアサッカー連盟の「けがのデータベース」に登録している。国内チームでこのデータベースに参加しているのは、J1の鹿島アントラーズ、J2のジェフユナイテッド市原・千葉、そしていわきFCだけだ。これらの取り組みの中核に齋田さんがいる。その効果は、2018年度の東北社会人サッカーリーグ2部南リーグでの優勝、2019年度からの1部昇格、という明確な結果にもなって現れている。

プロサッカー選手と医師 2つの夢を追って

本気で目指したプロサッカー選手と医師の二刀流

ここで時計の針を少し戻してみよう。

いわき市は、齋田さんの生まれ故郷でもある。医師を志すはるか前、小学3年生の時にサッカーを始めた。福島県立磐城高校時代はサッカー部でフォワードとして活躍、1年生で国体の福島選抜候補に選ばれた。ところが選抜の最終選考を兼ねた新潟での合宿中にトラブルが襲った。膝が突然痛み出し、練習に参加できなくなったのだ。

「監督からは『使いものにならない』と言われて、ずっと荷物番をしていました。何日休んでも一向によくならず、熱も出てきてきたところでついに『帰れ』と……。痛い足を引きずりながらひとりでいわきに戻りました。病院に行くと膝の中に感染が起きているといわれ、即入院でした」。今も、明確な原因は分からないが、過剰なトレーニングと試合や練習で生傷が絶えなかったことが影響していたかもしれない、と言う。

膝を切開し、関節を洗浄する手術を受けた。持続洗浄の処置のために2週間の寝たきり生活。当然、国体選抜からは漏れた。しかし、この体験が齋田さんを医学への道に導くことになる。

「寝たきりで過ごしたために筋肉が落ち、膝は全く曲がらず、棒のようになっていました。そこからリハビリをはじめ、サッカーが再びできるようになるまでの過程で、こういう形でサッカーにかかわる仕事もあるんだ、治す仕事もあるんだ、ということを知ったんです。けがをきっかけに医師になるのもいいな、と」
しかし「サッカー選手になる」という子供のころからの夢もあきらめなかった。志望校選びのカギは「医学部に入ってもサッカーを続けられること」。そのため関東大学サッカーリーグに所属している順天堂大学を選んだ。一浪後、合格。もちろんサッカー部に入るつもりだった。門を叩こうとしたのは、順天堂大学蹴球部。全日本大学選手権優勝3回、OBには現・ジュビロ磐田監督の名波浩さんはじめ、日本代表経験者も数多くいる名門だ。齋田さんの入学時には、部員はスポーツ健康科学部の学生のみで、医学部からの入部者は一人もいなかった。「入学後、サッカー部の練習場が千葉県印西市にあることを知ったんです。医学部があるお茶の水から毎日通うのは難しいと思い、入部を断念しましたが、1年間だけでもやっていればよかったと今でも思っています」。結果、「医学部サッカー部」に入部した。医学とサッカーの両立という目標を追い、東日本医科学生総合体育大優勝など、サッカーでもしっかり結果を残した後、齋田さんはプロテストの受験を決意する。大学6年生の時だ。

「当時、日本でプロテストを実施しているチームの応募条件はすべて22歳までで、既に25歳になっていた僕が受けられるチームはありませんでした。ところがドイツのプロリーグ、ブンデスリーガのあるチームが日本でプロテストをやり、上限が25歳だと聞いて受けに行ったんです」

結果、練習生として合格した。そこからプロを目指す道もあるが、練習生であるうちは無給だ。「親は『6年間、医学部に行かせるだけで大変なのに、お前はまだそんなことを……』という感じでした。確かに、同級生が医師国家試験の勉強をしている時、僕はトレーニングをしてプロを目指していた。でもプロとしては受からなかった。今思えば、いきなりプロ契約なんてあり得ないので、練習生でドイツに行けば後にプロになれたかも、と分かるんですが、結局、プレイヤーとしてはそこで諦めました。そして医師としてサッカーとかかわることを決意したんです」

1994年1月1日、第72回全国高校サッカー選手権の開会式で、福島代表として入場行進する県立磐城高校サッカー部。背番号10番を付け、先頭で校旗を掲げるのが3年生で主将だった齋田さん=齋田さん提供

順天堂大学6年当時の齋田さん。医学部卒業アルバムの写真=齋田さん提供

大学を退職、無給で家族とともにイタリアへ

2001年、順天堂大学整形外科学講座に入局。医局には当時から、プロチームなどに帯同する「現場型」の先輩スポーツドクターが何人もいた。「病院にいてけがを治療するだけでは、けがをした後の選手の状態しか見ることができません。僕が現場型にこだわるのは練習や試合で何が起きて、選手やチームが何を求めているかを知りたいからです。一見、けがが治っているように見えても、実は完治していないケースもあります。それに気付くことができるのも現場にいればこそなので」

駆け出しのころから、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)のスポーツドクターを務めていた池田浩さん(現・順天堂大学保健医療学部教授、日本サッカー協会理事)に師事した。「どこに行くにも先生の後を、金魚のふんのようについていきました。日中は大学で診療がありますから、現場に行くのは夜や土日です。最初は休みも報酬もほぼゼロでしたけど、苦ではなかったですね」

スポーツドクターへの理解が深い順天堂の医局でも、その仕事は「アディショナル(付加的)なもの」。自身のけがの経験から膝を専門とする医師を目指しつつ、約10年間、大学で整形外科領域全般の経験を積んだ。一方で池田さんから現場型サッカードクターとしてのノウハウを継承。2008~09年にU18男子サッカー日本代表、U20女子サッカー日本代表、2010~15年は女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の帯同ドクターを兼務した。なでしこジャパンは齋田さん在任中の2011年、ワールドカップで王者の座を勝ち取り、2012年のロンドン五輪でも銀メダルに輝いた。

そして2015年4月、大きな転機が訪れる。

「チーム帯同中は多くの選手の主治医として治療を担当し、彼ら、彼女らがリハビリを経て再びピッチに立つ姿をベンチで見るという醍醐味を味わえました。そうすると『もう一つ次のステップに行きたい。知らないことを学びたい』と思い始めたんですよね」。そんな時に、ロンドンで開催されたサッカー医療に関連する学会に参加。大きな衝撃を受けた。

学会参加の医師たちは「選手のけがの予防と軽減のためにどう協力するか」を議題に、知識や経験の共有に努めていた。主に研究成果の発表の場である国内の学会とは、議論のテーマも医師たちのスタンスも大きく異なっていたという。「これは日本の外に一度出ないとだめだ……」。つてをたどってACミランへの留学を決め、イタリアに渡った。ロンドンでの衝撃からわずか8カ月後。なでしこをはじめとするすべてのチームドクターの職、さらに大学も退職した。

「すべてを断ち切らないと新しいものには触れられないと思ったので……。子どもも一緒に家族5人で行きました。無給になりましたが、貯金を使えばいいし、医師免許があれば食いっぱぐれないだろうと」

イタリア語は大学時代から少しずつ、学んでおり、意思疎通ができるレベルにはなっていた。「大学6年生の時に短期海外研修があり、同級生は大抵英語圏を希望してましたが、僕はイタリアに行きたくて。当時、整形外科の教授だった黒澤尚先生(現・名誉教授)に実習先を探してほしいとお願いしました。先生には『どうせサッカーだろ?』と言われましたが」
- 2006年ごろ、ジェフユナイテッド市原・千葉の試合にチームドクターとして参加する齋田さん=齋田さん提供
- 2014年、なでしこジャパンのチームドクター時代、松井トレーナー(左)、宮間あや選手と=齋田さん提供
- 2006年ごろ、ジェフユナイテッド市原・千葉の試合にチームドクターとして参加する齋田さん=齋田さん提供
- 2005年11月、ジェフユナイテッド市原・千葉のナビスコカップ決勝で、先輩チームドクターの池田浩さんと。サポーターから送られた手作りのトロフィーを手に=齋田さん提供

スポーツ医学を通じて地域の医療に貢献したい

欧州と日本、体感したスポーツと医療への意識の差

ACミランへの留学は1年間。そこで得たものの大きさを齋田さんは強調する。

「最大の違いは、ACミランではジュニアチームに所属している子供たちの練習にも毎日必ずドクターが付き添うことですね。医師がいなければ練習できません。日常的なけがのほか、心臓発作や脳震盪など重大な事故の時にも対応します。日本で同じことをやろうとすると、手を上げるドクターはいても、誰が費用を出すのか、責任の所在は、と次々と指摘されて、まず実現は不可能でしょう。そういう医師の存在に、日本人はまだ価値を見出していないからだと思います」。また、イタリアではサッカー協会に毎年医師の診断書を提出しないと、選手登録ができない。「予防への意識の違いですね。日本はマラソン大会で市民ランナーに死者が出ても、原因を探ったり、予防策を練ったりの対策が足りない。国内で、運動中の心臓発作で亡くなった子供が年間何人いるか、というデータすらまとまっていませんから」

欧州サッカー連盟(UEFA)が2001年から毎年公表している「UEFA Elite Club Injury Study」という報告書は、50以上のクラブから選手のけがのパターンや欠場者の数、発生率などのデータを集積し、けがや突然死を含む重大なトラブル防止に役立てている。「イタリアでは救急車をスタジアムに待機させないと、公式の試合は開催できません。ジュニアの試合でもです。逆に、日本では救急車を特定の場所や目的に待機させることの方が問題になるそうです。スポーツの試合では脳震盪や心臓発作を起こす可能性があり、そこに救急隊がいたら助かる可能性が上がる、これは事実です。イタリアより日本の方が医療も通信インフラも発達していますが、日本ではルール上できないわけです。総じて『文化の違い』とでも言えそうなことで、変化はなかなか起きません」。言葉にどんどん熱がこもっていく。

一般的な整形外科領域においても、発見があった。

「ヨーロッパでは腰痛などの痛みに鎮痛薬や注射を安易に処方することはあまりありません。『痛くなるのには原因がある、そこを治さないとまた再発する』という考えで、治療はリハビリがメインです。このため、リハビリテーションを専門とする医師や理学療法士の数が多く、さらに神経系、スポーツ系など専門性が細分化しています。リハビリで改善しなかったら手術を検討する、という流れです。そのためもあって、イタリアでは理学療法士の人気がものすごく高く、大学の入学試験が医学部よりも難しいのではないかと言われています。日本は、保険制度によって少ない負担で検査や薬を処方してもらえることもあって、患者さんに『自分で治す』という意識が薄くなっているのかな、と感じました。そのことがリハビリの普及を阻んでいるという一面もあると思います」

けがを治すだけでなく、けがをしない選手をつくる

イタリアから帰国後に就任したいわきFCは、「日本のフィジカルスタンダードを変える」ことをチームコンセプトに掲げていた。その実現のために齋田さんが取り入れたのが、前述した「データ分析とエビデンスに基づくトレーニングや食事」だ。基礎となるのは、選手個々の体の正確な把握。体重、体脂肪率、骨格筋量などを測定することに加えて、選手全員の遺伝子(ACTN3)検査を開始した。

「同じトレーニングをしても筋肉がつきやすい選手とそうでない選手、レスポンダーとノーレスポンダーがいます。遺伝子検査はそのような“体質”を見極める指標の一つです。がむしゃらではなく、効率的に体を鍛えよう、という意図です。せっかくトレーニングするんだから、みんなに成長してほしいですから」

ACTN3遺伝子はR/R型(速筋型)、X/X型(遅筋型)、R/X型(両筋バランス型)の3種類に分類される。R/R型はスピードとパワーを武器とする、陸上でいえば短距離タイプ。X/X型は持久力のある長距離タイプ、R/X型は両者の中間型だ。長距離タイプのX/X型の人は、同じトレーニングをしてもR/R型の人と同等の筋肉はつきにくい。このためより低い強度で回数を増やした運動をするのが効果的だという。

さらに採血による栄養状態のチェックも定着させた。「僕が来るまで、血液検査はやっていませんでした。今は年4回実施しています」。たんぱく質の摂取不足や貧血などが原因で、筋肉がつきにくかったり、速く走れなかったりことがある。「採血の結果に合わせて食事の量や内容を調整します。また食事で取った栄養素が実際にどう身についたかも、体重、体脂肪率、筋肉量を常時モニタリングして分析しています」。齋田さんはけがをした選手を治すだけの医師ではない。けがを予防することから、選手のフィジカル面の強化まで担う。新しいチームドクター像を創り上げている。

「日本にスポーツサイエンスを根付かせたい」

- 2005年、市原臨海スタジアムでのジェフユナイテッド市原のベンチで。右端は当時の監督、イビチャ・オシムさん=齋田さん提供
- 2015年、留学したイタリア、ACミラン選手育成施設のクラブハウスにて=齋田さん提供
- 2016年、留学先のIstituto Ortopedico Galeazzi(ガレアッツィ病院)の同僚(二人はACミランのドクター)たちと=齋田さん提供
- 2015年11月、インドで開かれたアジアサッカー連盟(AFC)の第5回AFCメディカルカンファレンスにて、第1回AFC Young Medical Officer Awardを受賞し、表彰を受ける齋田さん(中央)=齋田さん提供

順天堂大学 医学部 整形外科学講座准教授
齋田良知先生

2001年   順天堂大学医学部医学科卒業
2001年   順天堂大学整形外科・スポーツ診療科入局
2005年   アメリカ骨代謝学会Young investigator Award受賞
2007年   医学博士取得
2009年   順天堂大学整形外科 助教
2015年   AFC Young Medical Officer Award受賞
2015~16年 イタリア Istituto Ortopedico Galeazzi 留学
2018年   順天堂大学整形外科 講師
2019年   順天堂大学整形外科 准教授、いわきFCクリニック院長

【スポーツドクター歴】
2002年~  ジェフユナイテッド市原・千葉チームドクター
2008~09年 U18男子サッカー日本代表帯同ドクター、U20女子サッカー日本代表帯同ドクター
2010~15年 なでしこジャパン帯同ドクター
2015~16年 イタリア・セリエA「ACミラン」にてフェローシップ
2017年~  いわきFCチームドクター、いわきサッカー協会医事委員長
2018年   日本スポーツ外傷・障害予防協会設立、代表理事に就任

(肩書は2018年10月取材時のものです)