ドラキュラの診察室 第4回:クリニックでできるPrecision Medicineを求めて<上>【トカン・ヴラッド】
一次診療の現場でも、患者さん一人一人の特性、特に遺伝的背景を全く考えずに医療を行う時代ではなくなっていくのではないか――。佐賀県武雄市で働くトカン医師は最近そう感じているといいます。一次診療の現場でいわゆるPrecision Medicineがどこまで可能なのかを、上下の2回に分けて考えてくれました。今回は<上>。
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病気の原因が分子レベルまで見えてくると、医師としてはどうしても「それなら診断も治療も、もっとピンポイントにできるはずだ」と考えたくなります。しかし、日々クリニックで診療していると、常に“分子の世界”を意識するというわけにはいきません。
それでも私は最近、一次診療の現場でも、患者さん一人一人の特性、特に遺伝的背景を全く考えずに医療を行う時代ではなくなっていくのではないかと感じています。
そこで今回は、一次診療の現場でいわゆるPrecision Medicine(プレシジョンメディシン:精密医療)がどこまで可能なのかを、私なりに考えてみたいと思います。上下の2回に分けて、お送りします。
Precision Medicineとは
Precision Medicineとは、患者個々人の遺伝子やライフスタイルなどを考慮した上で、予防や治療を行う医療の在り方です。皆さんがPrecision Medicineと聞いて思い浮かべるのは、おそらくがんゲノム医療ではないでしょうか。摘出した腫瘍細胞の遺伝学的特徴を調べ、それに合った薬剤を選び、さらに副作用や効果の出やすさまで予測して治療計画を立てる。
まさに「狙って当てる」医療です。私は小児科専門医であると同時に、臨床遺伝専門医として遺伝性腫瘍の診療にも関わっています。大学では、患者さんの細胞から作り出した腫瘍特異的T細胞を用いた「CAR-T療法」について医学生に講義することもあります。こう書くと、Precision Medicineはかなり特殊な医療に思えるかもしれません。
しかし広い意味では、実は私たちはもっと前からそれに近いことをしてきたともいえるのです。
集団として診るか、個人として診るか
現在の医療の土台はEvidence-Based Medicine(EBM)です。同じ特徴を持つ患者さんたちがどのような経過をたどるか、ある治療にどの程度の効果があるかを統計学的に解析して、その知見を目の前の患者さんに生かしていくのです。
小児科外来でよく、熱性けいれんを起こしたお子さんのご家族に「ほとんどの熱性けいれんは良性で、後遺症を残すことはまずありませんよ」と説明したり、RSウイルス感染症の患者さんに「発症5日前後が症状のピークで、その後は改善していくことが多いですよ」とお話ししたりします。これらは全て、これまで積み上げられた知見に基づく説明です。
ただ、説明しながらも頭の片隅には、「この子は本当に典型例だろうか」「まだ見えていない背景があるのではないか」という警戒を常に持っています。EBMは医療の質を大きく高めましたが、それはあくまでも集団レベルの話です。
実は以前からあったPrecision Medicine
発熱した患者さんがクリニックを受診し、インフルエンザの迅速抗原検査で陽性と分かり、ウイルスの増殖を特異的に抑える薬で治療を受ける。今ではごく当たり前の流れですが、これが可能になったのはわずか30年ほど前のことです。
原因を特異的に調べて診断し、その原因に対してピンポイントで治療を行う。この流れ自体をPrecision Medicineの一形態と考えることができます。あまりに日常的なので気付きにくいのですが、十分に個別化医療なのです。
高度医療としてのPrecision Medicine
私のもう一つの専門は先天代謝疾患です。先天が付いているだけあって、この領域の疾患の多くは遺伝性疾患です。そして私は、Precision Medicineが文字通り人生を変える場面を、小児医療の現場で何度も目にしてきました。
一例として、ポンペ病(糖原病II型)の患者さんのことを紹介します。この病気は、細胞内で不要な物質を分解する酵素が欠損することで起こります。本来分解されるはずの物質が骨格筋や心筋に蓄積してしまい、心肥大や全身の筋力低下を来すのです。乳児型は、自然経過では2歳までに亡くなることが多いのですが、呼吸器管理を行うことで寝たきりのまま数年生存することもあります。非常に厳しい病気です。
私がいる九州では約10年前から、ポンペ病の新生児マススクリーニングによる早期発見の体制ができています。ただし、ポンペ病は約10万~20万人に1人と非常にまれな病気なので、導入後しばらくは患者さんがいませんでした。ところがある日、私が勤務していた九州大学病院(福岡市)にスクリーニング陽性の患児(女児)が紹介されてきたのです。遺伝子検査で診断を確定し、欠損している酵素を補う酵素補充療法を開始しました。
症状が出始めた段階で治療を開始できたこともあり、その患児は正常な運動発達を遂げ、人工呼吸器を必要とすることもなく、現在も元気に公園で走り回っています。日本で初めてスクリーニングから治療へとつながった症例として、2022年に
論文にも報告しました。私にとってPrecision Medicineの効果を強く実感した経験でした。
クリニックでできること
では、クリニックでどこまで個別化医療が可能なのでしょうか。ポンペ病のイメージに近い例として、小児内分泌領域で扱う成長ホルモン製剤による治療があります。
成長ホルモン分泌不全性低身長症はクリニックで十分に診断でき、成長ホルモン製剤による治療も可能です。何らかの原因で成長ホルモンが十分に分泌されない子どもたちに対して、足りないホルモンを補うことで成長を促す、原因に応じて補充する、という意味で、これもPrecision Medicineの考え方そのものです。
一方、ポンペ病のようなまれな疾患の診断・治療は、高次医療機関でないと難しいのが実情です。しかし、難病の患者さんやそのご家族にとって、遠方の専門施設への定期通院はかなりの負担になります。そういった場合は、専門施設と連携した地域のクリニックや在宅医療を活用することで、負担が軽減できます。このように、先端医療の「メンテナンス」を担う。それも立派なPrecision Medicineへの関わり方です。
<下>に続く
トカン・ヴラッド
ルーマニア出身の小児科医。1995年に来日。京都大学で日本文化を専攻し、卒業後に茶道裏千家に勤めながら茶道の修行を積む。
その後、九州大学医学部に入学し、医師国家試験合格。専門は小児内分泌学、先天代謝異常症、臨床遺伝で、小児科専門医・指導医、内分泌専門医、人間・環境学修士、医学博士の資格を持つ。
九州大学病院をはじめ福岡県内の病院での勤務を経て、2025年に佐賀県武雄市で小児科クリニック「わかば子どもクリニック」を開業。