icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

2025.11.25

ドラキュラの診察室 第1回:ルーマニアから佐賀へ。私がここで、子どもたちを診るようになるまでの道のり【トカン・ヴラッド】

文・写真:トカン・ヴラッド

「ルーマニア」って知っていますか?

皆さんは「ルーマニア」という国名を聞くと、何を思い浮かべますか?

40代以上の方なら「ドラキュラの国」や「1976年のモントリオール五輪の体操競技で10点満点を連発したナディア・コマネチの国」、あるいは「サッカーが強い東欧の国」などと答えるかもしれません。でも、20代の皆さんは……「何も思い浮かばない」という人も多いかもしれませんね。

私はそのルーマニアで生まれ、偶然にもドラキュラ伝説の元となった15世紀のヴラッド伯爵と同じ名前をもらいました。13歳までチャウシェスク政権という、共産圏の中でもかなり独自色の強い共産主義政権の中で生きてきました。しかし、1989年にルーマニア国民が自ら革命を起こして独裁者を倒し、民主化への道を歩み始めたことで、私は18歳の時に日本への留学のチャンスを得たのです。

ここまで読んで「医学の話が出てこないな」と思った方、しばらくお待ちください。実は私の人生に“医学”が登場するのはもう少し先のことです。

日本の文化に魅せられて

私は日本文化にどっぷり浸かりたくて、京都府の大学で学部・大学院あわせて6年間、神道を中心に日本の宗教文化を学びました。

大学生の時に「茶の湯のこころ」に引かれて、卒業後は裏千家家元の下で国際業務に携わりながら茶道(ちゃどう)の修行を積みました。その頃は、あと数年で自分が小児科医になるとは、夢にも思っていませんでした。でも、人生というのは、森の中を歩いていて突然見晴らしのいい場所に出たときと同じように、いきなり新しい道が開かれるものです。

私は昔から「人」と「人が考えること」に強い関心を持っていました。人はなぜ神を求めるのか、一服のお茶を分かち合うことで何を感じているのか――。そんな問いを通して、人の「こころ」を理解しようとしてきたのです。

しかし日本に来て10年ほどたったころ、ふと気づきました。

自分は「こころ」という“ソフト”ばかり追っていて、その「こころ」を支える“ハード”、つまり脳と身体のことをまったく知らないと。

そして、医学部へ

「ソフトもハードも両方学べる道、そして、安定した生活を送りながら人の役にも立てる道はないだろうか?」。そう考えているうちに出た答えが「医学」でした。こうして私は、30歳になった年に再び大学生に戻ることにしました。

茶の湯が好きな私ですが、千利休が詠んだといわれる「利休道歌」の第一首に次の歌があります。

「この道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」

どんな道でも「これを学びたい」と感じたその瞬間のワクワクを大切に進めば、結構深いところまで行けるものです。医学の道も、まさにその一つだったと思います。

今を全力で生きる子どもたちを見て、小児科を選んだ

たくさんある医学の分野の中から小児科を選んだのは、「いまこの瞬間」を全力で生きている子どもたちの姿に感激したからです。過去や未来に縛られず、泣くのも笑うのも100%! その生き方に魅せられ、病気と共にそんな「子どもの世界」ものぞけるということで小児科に決めました。

今は毎日、数十人の子どもたちと話をし(自分は新生児とも“会話”できると自負しています)、その選択が正しかったと感じています。

こうして、ルーマニアから始まった私の旅は、医学という「人の心と身体を結ぶ学び」にたどり着きました。振り返ると、遠回りに見える道のりも、どこかでつながっていたのだと思います。

武雄市にある曹洞宗の寺、「円能寺」の参道と石門です。ここも筆者の散歩道の一つ。春には桜並木の美しい風景が見られますが、花や葉っぱがない秋の参道も侘び茶が好きな筆者のこころに響きます=2025年10月

佐賀県武雄市での開業

医学部卒業後、福岡県内の国立病院と大学病院で13年ほど働いた後、2025年5月に佐賀県西部にある武雄市で小児科クリニックを開設しました。武雄市は人口4万6千人ほどの町で、長崎県に隣接しています。

観光地として有名な「武雄温泉」のある所といえば、分かる人もいるのではないでしょうか。シンボルの楼門は、東京駅や日本銀行本店の設計で知られる建築家の辰野金吾(1852~1937年)の設計です。この門は1915年(大正4年)に建てられたので、1914年に竣工した東京駅の駅舎と同時期の建築です。

武雄温泉のシンボル「楼門」=2025年10月

ちなみに、東京駅の八角形の天井にある装飾には八つの干支が彫られています。「残りの四つはどこに?」という謎が長年あったのですが、2013年に、武雄温泉の改修工事で楼門の中で発見されたという話もあります。

武雄温泉には、戦国大名で初代仙台藩主の伊達政宗(1567~1636年)、幕末に長崎に滞在したドイツ人医師シーボルト(1796〜1866年)、幕末の思想家・吉田松陰(1830~59年)、さらには江戸時代の剣豪・宮本武蔵などが入浴したと伝えられています。私がよく入る旅館の温泉には宮本武蔵(1584~1645年)が使ったといわれる井戸が残っています。

医学とは関係ありませんが、豆知識としてちょっと披露しておきました。

地方の医療の現実

武雄市には以前、小児科の医療機関が3軒ありましたが、1軒が閉院し、2軒になっていました。そこに私がクリニックを開院したので、また3軒に戻りました。

一次医療の現場において、私はまだまだ初心者です。日々「これでいいのか」と自問しながら、恐る恐る診療を行っています。

武雄市には小児科を持つ二次医療施設がなく、入院や精査を依頼できるのは、15km離れた嬉野医療センター(嬉野市)、25km先の佐賀県医療センター好生館(佐賀市) 、そして30km先の佐賀大学医学部付属病院(佐賀市)など、遠方の施設になってしまいます。

特に夜間は厳しく、21時以降に入院や検査が必要な症状が出た場合は、佐賀大学医学部付属病院と好生館しか診てくれるところがありません。

救急搬送も同様です。小児科ではけいれんが比較的多く、重積(けいれん発作が30分以上持続、または発作を繰り返す状態)の場合、搬送時間が長いほど状態が悪化することが容易に想像できます。夜中に発症すれば、搬送先の病院まで30~40分かかってしまいます。

福岡市で夜間・休日の急患センターが常時開いている環境から移ってきた私にとって、これは最大の驚きであり、今も悩まされている現実です。

このテーマについては、改めて取り上げたいと思います。

禅と地域医療のつながり

さて、最後に今回のtake home messageです。

茶の湯は禅仏教と深い関わりがあり、床の間に掛かる軸には禅語が書かれ、茶道具の銘にも禅語に由来するものが多く存在します。そこで、数多くある禅語の中から、臨済宗の開祖・臨済義玄(りんざいぎげん)禅師の言葉を送りたいと思います。

「随所作主 立処皆真」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)

「どんな場所でも、自分が主となって行動すれば、その場所こそが真実の場となる」という意味だそうです。

私なりの解釈ですが、これはまさに地域医療に臨む姿勢そのものです。これまでに「地方からの便り」のコラムを書かれてきた他の先生たちの文章を読んでみると、この精神をもって診療されていることが伝わってきます。

武雄神社の大楠。武雄市の数カ所にある樹齢3000年を超える大楠の中で、筆者が最もよく足を運ぶ場所です=2025年9月

今回のコラム、ちょっと難しかったと思った方もいるかもしれません。ルーマニアの話、茶の湯の話、そして禅語まで出てきて──。「どこが『地域からの便り』やねん!」というツッコミが聞こえてきそうです。

でも、ご安心ください。次回からはもう少し肩の力を抜いた話や、日常診療のエピソードなどをお届けする予定です。

どうぞお楽しみに。
トカン・ヴラッドプロフィール画像

トカン・ヴラッド

ルーマニア出身の小児科医。1995年に来日。京都大学で日本文化を専攻し、卒業後に茶道裏千家に勤めながら茶道の修行を積む。

その後、九州大学医学部に入学し、医師国家試験合格。専門は小児内分泌学、先天代謝異常症、臨床遺伝で、小児科専門医・指導医、内分泌専門医、人間・環境学修士、医学博士の資格を持つ。

九州大学病院をはじめ福岡県内の病院での勤務を経て、2025年に佐賀県武雄市で小児科クリニック「わかば子どもクリニック」を開業。