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2018.01.31

北海道薬科大学客員教授/総合診療医・感染症コンサルタント 一般社団法人 Sapporo Medical Academy 代表理事 北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH:master of public health) 岸田 直樹先生

耐性菌半減、医療におけるエンパワメント――
自在な筆裁きで、思いの形を絵に描く。
こんなスタイルの医師人生もある。

耐性菌半減、医療におけるエンパワメント―― 自在な筆裁きで、思いの形を絵に描く。 こんなスタイルの医師人生もある。

耐性菌対策は、サミットの議題にもあがるほどの世界的な公衆衛生上の脅威となっている問題だ。日本でも院内感染(医療関連感染症)の事例が国民の耳に届くようになって久しい。一般社団法人Sapporo Medical Academy 代表理事の岸田直樹氏は、研鑽して身につけた総合診療医、感染症専門医のノウハウを活かし、「医療におけるエンパワメント」を実現することを決意。2014年に一躍転身を果たした。

耐性菌対策は、全人類共通の大問題である

院内感染・医療関連感染症による死亡等の事例が報道をとおして国民に知られるようになったのは、1980年代だったろうか。病気を治してくれるはずの医療機関に足を運び、逆に病気に罹ってしまう不条理に唖然とする声があちこちからあがった。以来長い年月が過ぎ、昭和が平成に変わり、さらに新しい元号に改められようとしている2018年現在も、院内感染や耐性菌の問題は定期的にメディアに登場する。岸田氏は語る。
「耐性菌拡大とその対策は、サミットの議題にもなるほど深刻な、世界的な公衆衛生上の脅威です。日本だけが特別悲惨な状況というわけではありませんし、むしろ、耐性菌の現状としては極めて多い国ではなく、菌によっては少ないものもある世界的には中位に位置している国といえるでしょう。

インドや東南アジア諸国、ヨーロッパではイタリアをはじめとした、まだ世界中に多くある、薬局で処方せんなしで抗生物質が買える国よりはよい環境とは言えます」
アレクサンダー・フレミングによるペニシリンの発見は、細菌という目に見えない刺客を完全無力化した人類大勝利の区切りだと思い込んできた。少なくとも、一般市民は。だが一方、この分野の専門家たちは、フレミングの業績が確定したその瞬間から、微生物が抗生物質への耐性を獲得するのは不可避の自然現象だとわかっていたのだそうだ。

「抗生物質が万能という短慮がいかに怖いか、一度撃退されたかにみえた細菌が耐性を帯びて生まれ変わる仕組みがいかに恐ろしいかは、ようやく一般にも知られるようになりました。ただ、無知だったのは一般市民だけではありません。昭和の頃からつい最近まで、抗生物質を解熱剤がわりに処方する医療がなんの疑いもなくまかりとおっていたのですから」

岸田氏は、「日本の医療は、ある時期に感染症を捨てたといわれる」と指摘する。たぶんそれは、抗生物質による感染症の克服という考え、臓器別医学へのシフトと引き換えに葬り去られた、あるいは忘れ去られて行ったのだろう。
「事実、つい最近まで日本の大学に感染症学の講座はなく、感染症内科を持つ病院もほとんどありませんでした。唯一存在したのは沖縄県。敗戦で米国の治世下におかれた結果、沖縄県立中部病院を中心として米国式の感染症学がしっかり根づいていたのです。
その事実は、日本の医療界にとってきわめて大きな幸運だったと言っていいでしょう。特に良い意味での古き良き感染症学が日本に残っているのは今となっては世界的にもとても幸運だったと感染症医としても思います」

感染症科を立ち上げて、当たった壁。それは、水平展開する仕組みがないこと

現在、岸田氏の活動は、主に一般社団法人 Sapporo Medical Academy(以下、SMA)を舞台に展開されている。岸田氏は、SMAの代表理事、創設者だ。肩書きは、総合診療医・感染症医/感染症コンサルタント。SMAの活動の延長線上で、北海道薬科大学客員教授の職も担うことになった。また、2017年からは北海道大学公衆衛生修士課程(MPH)で感染症疫学や・医療経済学、生物統計学、人口学などを学んでいる。

SMAの創設は、2014年のこと。創設に至った思いについて。
「2010年に手稲渓仁会病院に総合内科・感染症科を立ち上げ、4年で耐性菌をほぼ半減させるなどの成果を得ることができたのですが、壁に当たった感をいだきました。
当たった壁とは、自施設の耐性菌は減っても他の病院では変わらない現状です。意外にも耐性菌対策は一施設のみのひとり勝ちは可能です。しかし、同院で得た成果を、周囲の他の医療機関に水平展開する術がないことでした。耐性菌半減のノウハウを一刻も早く広く伝えたいと思ったのですが、組織や仕組みがなくてはひとりではどうにもならないと思い知りました。地域連携のようなかかわりでは十分対応できないと感じました。
そこで、自分で作るしかないと心に決め、実行に移したのです」

SMAは、「医療におけるエンパワメントの推進」を目的に定め、感染症コンサルタント、臨床推論、かぜ教育、セルフケアの推進などを事業内容とする組織。感染症はその中でも大きな部分を占める。具体的には、マイクロバイオロジーラウンドチームを形成しサポートし、抗菌薬を整理し、アンチバイオグラムを作成し、症例ごとの感染症コンサルティングをし、定期的な感染症勉強会まで行う。教育、コンサルタントの対象職種は、医師、薬剤師、看護師、検査技師と多岐にわたる。

「SMAの事業は、コアには日本の医療を上手にエンパワメントするためにあると考えています。フリーアクセス、国民皆保険という日本が世界に誇るべき医療システムの良い点は多々ありますが、なんでも医師に相談、医療機関受診が良い時代ではありません。皆さんも既にご存じと思いますが、日本は2100年に向けて人口がほぼ半減する未曽有の人口減少が予測されています。特にその人口減少は少子高齢化という側面をもっており、今のままでは様々な側面で人が圧倒的に足りないことが予測されます。特に高齢化による医療ニーズの高まりはその変化を肌で感じるほどになっています。このような社会背景を踏まえて日本の医療をより良く、より効率的に上手に変えていくために、特に医療の側面でエンパワメントすることは極めて重要で、それにできることはすべて対象になります。医師以外の医療者へのエンパワメント、つまり権限移譲が目標となりますが、究極的には国民一人ひとりがセルフケアをするといった考え方やノウハウを広めることが重要だと思ってやっています。

1998年 岸田氏が立ち上げた法人の主軸となる〝教育〟の基礎を学んだ塾講師時代。当時の教え子の10人弱が医師になっている

様々な事業のなかでも、耐性菌の世界的驚異的拡大に加え感染症専門医が極めて少ないという日本の現状があり、感染症コンサルトは大きな位置を占めています。感染症対策は究極のチーム医療です。ICT(感染制御チーム)に参加する多職種が、それぞれの専門性をいかして全員総力戦のアプローチができる力をつけることが課題解決の試金石。今もっとも力を入れているのが薬剤師、そして看護師教育。それぞれに病態生理の知識を踏まえた臨床推論の勉強まで含め、感染症に強い薬剤師に、看護師に育ってもらうよう様々なプログラムを提供しています」

日本人は組織の内側からの改革は苦手だが、外からの意見を採り入れるのは上手だ

2012年に感染防止対策加算が新設されて以来、ICTを設立し感染対策への志を示す医療機関も、ICD制度協議会の感染制御ドクター資格認定を取得する医師も徐々に増えている。ただ、具体的な、実効性のあるノウハウは確立されているとは言えず、どの医療機関も手探りで前に進んでいる状態だ。

起業家として見れば、的確にニーズを見抜いている。そして、医療人として見れば、感染症コンサルティングを「エンパワメント」と位置づけた慧眼が光る。事業の将来性も医療界への貢献度も、申し分なしと言えるだろう。
「事業を通して気づいたことがひとつあります。それは、日本人は組織の内側から変えていくのは比較的苦手という点。比べて、外から発せられる意見には耳を傾け上手に取り入れることができます。これは、いい悪いではありません。国民性。ですから、コンサルタントはそこを上手く活かしていくべきだと思っています。実際優秀な人材はすでに各病院にいるのですが、本当にこれをやってもいいのか? など躊躇している医療者もいますし、いざ内部で改革しようとすると思いのほかうまくいきません。自分は内部の優秀な人材を発掘して、その人がやりたいと思っていることに『それでOKです』と言っているだけのことも多いのです。私が、この仕事について『背中を押す』という表現を使うのはそのせいかもしれません。

1999年 夏
留学先のタイで熱帯医学を学ぶ学生時代の岸田氏

また、何も起こっていないときに病院組織をいっぺんに変えるような進め方もしません。現場が困っていないのにアクションを起こすと抵抗勢力ができやすいでしょう。“問題が起こらないようにする”というのが感染症では本当は重要なのですが、このやり方ではかえって敵を作ってしまいます。一つひとつの事例からアプローチすること、また協力的な部署を見出して、まずそこを変える。変えるべきものが明確だと変わらないことに苛立ちを覚えるかもしれませんが、現場が困っていると感じていないときに起こす変化は逆効果にすらなります。組織の一部分に生まれた成果を少しずつ全体に広げていく手法を心がけています」

事業はうまく行っているようだ。うまく行っているだけでなく、事業をとおした気づきがあり、楽しめている様子も伝わってくる。転身の決断が、吉と出たということだろう。

1999年 夏
現地での研究・臨床をとおして熱帯地域ならではの問題を学んだ

心臓病の疑いのはずが、お尻に壊死。辛い体験をとおして、「医療を見た」

驚きの告白を聞いた。岸田氏は、医療過誤の実体験者なのだそうだ。
「小学1年生の健康診断で、心電図検査でひっかかりました。心室中隔欠損の可能性があるとのことで、病院に行ったのですが診断の結果は『よくわからない』でした。エコー検査の精度が現在ほどでない時代だったため、結局10以上の循環器系の病院の門を叩きましたが、やはり検査で結論が出ない。そこで心カテーテルでの検査を勧められました。

問題は、麻酔の注射でした。たぶん、投与する薬剤を間違ったのだと思います。注射のせいで、お尻にぽっこりと穴が空くほどの壊死にみまわれました。
すごく痛かったですよ。しかもかなり筋肉をやられてしまい、計10回ほどの手術が必要でした。その手術も、局所麻酔でとても痛かった。結局その年は、半年ほど学校を休むことになりました。心臓は幸い問題なしでしたが……」
小学1年生の身に起こったこととしては、かなり過酷だ。

「心臓の病気のはずが、お尻の治療で半年休学ですからね(笑)。やっと学校にいけるとなった初日に算数のテストがあって結果は0点でした。嘘ではなく……。“なんだこりゃ”と答案用紙に書かれたのを今でも鮮明に覚えています。なんだこりゃって言われても全然わかりませんでしたので(笑)。ただ、おかげでたくさんの医療を見る機会ができたのです」

2000年
学生時代にバックパッカーの旅で訪れた、カンボジアのアンコールワット

医療を「見る」とは?

「半年間病院にかよってわかったのは、『彼は子どもだから』と私には話しかけることなく親とばかり会話する医師と、ちゃんと子どもに向かって説明してくれる医師がいること。もちろん、後者の方が好きでしたし、その診察に小学生ながら勇気づけられ安心感をもらいました。小学校1年生でもちゃんと医師の言葉は伝わってきました。同じお医者さんでも、こうも違うものかと感銘を受けました。検査結果や薬がどうかではなく、患者さんに伝わる話し方のできるお医者さんって素晴らしいと思い、そのような医師に憧れを持つようになりました」

小学校1年生が「医療を見る」とは恐れ入るばかりだ。しかも、痛い思いをして、辛い思いをした経験を夢に代えてしまうとは。視野の広さなのか、克己心なのか、いずれにしろ資質のきらめきが尋常ではない。

2001年
米国病院実習のステイ先にて、ホームステイのお礼に和食をごちそうしている風景

総合診療の揺籃期に医学生時代を過ごし、現在を彷彿とさせる行動力を見せる

青年期、岸田氏はここでもきらめきを発してみせる。高校卒業後に、理学部に進学したのだ。
「米国では通常の4年生大学を卒業してから医学部に進む人が多いと聞いたので、私もそんな道のりを歩こうかと考えました。素直に物理学者の夢も捨てきれなかったですので(笑)。高校の時にホーキング博士に感銘を受けた気持ちを優先して、まずは物理学の世界に入りました。物理学がまったく医学に役立たないはずはないとも思いましたから」

この軽やかさは、明らかに新しい時代のものだ。ダブルディグリー、トリプルディグリーを、悲壮感や極度の意気込みのない普通の感覚で目指している。
結局、物理学は2年で諦め、中退。旭川医科大学に入学した。当初の専攻志望は、循環器内科だったそうだ。

「投薬計画などにたくさんの数値が登場するので、数学・物理学が役立つかな、程度の着想でした。しかし、思いのほか患者さんの投与計画は計算どおりにはいきませんでした。
同時に、子供の時の経験から患者さんの全体を診て語りかけてくれる総合診療にも進みたいと思いました。『なんでも診たい』という思いというよりは、『どんな症状であれ自分の目の前に来た患者さんに不都合なことなく対応できるようになりたい』という思いでした。結局後者を選ぶことになりました」

時は総合診療の揺籃期。この分野の泰斗/葛西龍樹氏が北海道家庭医療学センターを立ち上げたのが、岸田氏の医学部4年生の年だった。上記思いから、家庭医療という領域にもとても興味を持った。
「医学部4年時に、米国の教科書を使って診断学の勉強会を立ち上げました。この勉強会は、後に3年間の集大成として、アメリカへの自費留学まで行いました。
医学部6年時には、北海道家庭医療学センターに1週間のエクスターンシップにも行きました」

行動力が光る。後に、思いにしたがって法人を立ち上げる成り行きは容易に想像できる立ち居振る舞いと言えまいか。

2001年 夏
多くを学んだ米国病院実習先の病院前にて

「そして、医学部卒業後に手稲渓仁会病院に入職し、初期臨床研修。ここで感染症学と出会った。
「病院が総合内科を開設するのに立ち会えたのが幸運でした。病院は、研修のために沖縄県立中部病院の先生方を招聘したのです。まずは、あの高名な成田雅先生が、専属の指導医ということでいらっしゃいました。初めて学ぶ感染症学は、目から鱗の落ちる思いの連続でした。抗菌薬の使い方から効果判定など他科の先生方と全然違いました。感覚的にやっている感染症診療ではなく極めて論理的でした。身につける喜びと同時に、“日本の感染症診療はまずいのでは?”とも感じ、広めなければならないという使命感も育ったのだと思います」

「感染症をしっかり体系的に学びたいと思い、現国際医療研究センター副院長の大曲貴夫先生がいらした静岡がんセンター感染症科で研修を受けた。そして、総合内科・感染症科を立ち上げ、感染症科チーフ兼感染対策室室長まで務めた後に、転身。

「医師免許を持ち、しかし勤務医でも開業医でもない人物――現在の、岸田氏。今後は、こういった属性を持つ人物が増えて行くのだろうか。
「増えるのではないでしょうか。医学部で学んだことを臨床や研究以外にも活かす道は実際に多くあるのですから。医学知識を活かして医療だけではなく社会に、特に公衆衛生学的な視点をもって横串を入れるような働きで、貢献する人がもっと増えていくように感じていますし、増えていくことがこの変化の社会ではとても重要だと思います。その思いもあり、現在は北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH)で社会人大学生として学びの場を持っています。医師のひとつのキャリアとしてこのようなニーズがあると感じます。特に日本では先ほども述べたように人口学の側面から社会の変化を考えることは極めて重要です。未曽有の人口減少の背後には少子高齢化という、特に医療に大きな影響があるコンポーネントがあります。この社会変化に対して医師に期待されていることはとても多いと思います。公衆衛生学的な視点をすべての医師が持つことが、これほど重要な時代はないと感じます。そしてなにより、この難局を良い形で子供たちの世代になんとかつないでいきたいという思い、ただそれだけでやっています」

「医師免許を持ち、「医療界のエンパワメント」に邁進する岸田氏。その究極の目標は――。

「SMAの究極の目標ということで言えば、それは国民一人一人の適切な医学知識、特にセルフケアです」

なるほど、視線の先に患者を見据えていたのか。
「義務教育の、たとえば道徳の時間などを使って風邪かどうかの判断や、鼻血の止め方とか、病院へ受診するか否かの判断基準を学ぶカリキュラムを入れる。そうすればフリーアクセスによる外来の飽和の問題が改善されるひとつになるはずです。カリキュラムには、かかりつけ薬剤師の活用法もあるべきですね。『風邪をひいたら薬局で薬剤師に相談する』という行動規範が定着すれば、有名無実になりかかっている医薬分業だって息を吹き返すのではないでしょうか。

『総合診療医が教える よくある気になるその症状 レッドフラッグサインを見逃すな!』(発売元:じほう)というテキストを使って、近々、本格的にセルフケア教育に進めればと思っています」
医療界のエンパワメントの最終目的地が、患者教育。理論と実践を伴う思想家にしか提示できない、瞠目の視点だ。

2001年 夏
米国病院の臨床実習にて、共に学んだメンバーたちと

2001年 夏
米国病院で臨床実習を行ったときのようす

資格・役職

北海道薬科大学 客員教授
日本感染症学会専門医・指導医
日本内科学会総合内科専門医
日本化学療法学会抗菌化学療法指導医
インフェクションコントロールドクター
東京女子医科大学女性医師再教育一般内科プロジェクトメンバー
東京都病院薬剤師会 特別委員
横浜市中区薬剤師会 特別顧問
感染症総合誌「J-IDEO(ジェイ・イデオ)」編集委員
日本感染症教育委員会(IDATEN)世話人
IDATEN北海道 代表世話人

北海道薬科大学客員教授/総合診療医・感染症コンサルタント
一般社団法人 Sapporo Medical Academy 代表理事
北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH:master of public health)
岸田 直樹先生

1995年 国立東京工業大学理学部中退
2002年 国立旭川医科大学医学部医学科卒業
2005年 手稲渓仁会病院初期臨床研修修了
2008年 手稲渓仁会病院総合内科フェロ-修了
2008年 手稲-ハワイ医学教育フェロー修了
2010年 静岡県立静岡がんセンター 感染症科フェロー修了
2010年 手稲渓仁会病院 総合内科・感染症科 感染症科チーフ 兼 感染対策室室長
2014年 一般社団法人Sapporo Medical Academy 代表理事
2017年 北海道薬科大学 客員教授
     北海道大学医学院公衆衛生修士課程(MPH)