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2015.06.23

総合診療医/ 独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO) 本部及びJCHO東京城東病院顧問 徳田 安春先生

総合診療能力を身につけた若き医師達が、
未来の日本医療を支えるリーダーとなる!

総合診療能力を身につけた若き医師達が、 未来の日本医療を支えるリーダーとなる!

琉球大学医学部に医学科が設立され、第1期生が入学したのは1981年のこと。その翌年に、徳田安春先生は医学部に進学しました。医学部卒業後、沖縄県立中部病院に入った徳田先生は、多くの優秀な指導医と出会い、先進的な医学教育を受けます。そして、活躍の場を本土に移し、自らが中心となって日本型病院ジェネラリストの育成に励んできました。沖縄時代のお話から本土での取り組みに至るまで、徳田先生の挑戦の軌跡をご紹介しましょう。

日本の最南端・沖縄で、先進的な医学教育を受ける

私は沖縄の出身で、琉球大学医学部医学科を卒業後、沖縄県立中部病院で研鑽を積んできました。ご存じの方も多いかと思いますが、沖縄県立中部病院は先進的な臨床研修を行っていることで知られており、臨床研修先として医学部生に圧倒的な人気を誇っています。私自身も、同病院で多くの諸先輩方の指導を仰ぎ、地域医療に必要な総合診療能力を育んできました。

そもそも、沖縄は長きにわたってアメリカの統治下にあり、本土とは異なる医療のシステムをつくり上げてきました。1950年代、沖縄は医師不足に悩んでいました。けれど沖縄には医学部がなかったため、琉球政府は内地留学制度をつくり、本土の医学部に優秀な人材を送り出していました。「本土の医学部卒業後、沖縄に戻って地域の医療に貢献してほしい」という願いを込めた制度でしたが、「沖縄県内に研修病院がないため、本土で学んだ医師を受け入れることができない」という問題が生じました。そこで、琉球政府は研修病院をつくるべく、ハワイ大学との連携を実現し、その指導を得て沖縄県立中部病院が研修医を受け入れることになりました。そして、アメリカから優秀な医師を指導者として招き、1967年に今日の研修制度のさきがけとなるシステムがスタートしました。
そして、プログラム団長のアレン先生が宣言された「沖縄の地域医療を支えるジェネラリストを養成する」という言葉が沖縄県立中部病院の基本理念となり、この教えが指導医から研修医へと継承されてきました。

沖縄県は沖縄本島を中心に、47の島で構成されている沖縄諸島、さらには宮古、八重山を含む先島諸島など、無数の島で構成されています。これら有人島のほとんどが、人口数千人単位の小さな島です。琉球政府はそれぞれの島に診療所を築き、「医師一人、看護師一人、事務員一人の三人体制」で離島医療に臨む体制を整えました。

離島医療の環境は非常に厳しく、特に台風の季節になると外部との交通手段が遮断されてしまうことも珍しくありません。そのような中で、医師は離島の住民の命を守るわけです。日常的に外傷患者さんが来院しますし、妊婦さんだって来ます。乳児の患者さんも来るし、お年寄りの患者さんも受け入れます。島民のあらゆる医療ニーズに応えるだけの総合診療力を備えた医師が必要でした。

沖縄県立中部病院が築いた研修システムは、このような沖縄の医療ニーズに応える力を育みます。当時、研修医を2年間で離島医療を担えるレベルにもっていきましたから、これは驚異的なスピードだと思います。かなり過酷なトレーニングになりますが、この研修を乗り越えた人材が離島に派遣されました。こうして、琉球政府は「沖縄独特の医療ニーズにマッチさせる医療人の養成」に徹底して取り組んできたのです。

研修医からシニアレジデントまで、全員がスキルを磨ける環境

沖縄県立中部病院が行っている研修の最大の特徴は、 “屋根瓦方式”を採用している点です。1年目の研修医から指導医までがチームを組んで医療にあたっています。1年目の研修医を2年目の研修医が指導し、2年目の研修医をシニアレジデントが指導。そしてシニアレジデントには、10年以上のキャリアをもつ指導医が“アテンディング”として、相談に応じる。医療の現場で疑問や困ったことが生じたら、いつでも先輩医師に相談できる体制ができているので、全員が着実に実力を磨いています。
沖縄県立中部病院の診療はチーム制です。一人の患者さんを、1年目の研修医も含めた医療チームのメンバー全員でケアします。病院全体が“救命救急センター”となって、みんなで患者さんを助けています。沖縄の診療体制は主治医制ではなく、主治医チーム。日勤の主治医チームと当直チームの連携も図れており、当直時に患者さんが急変したときには、当直チームがすべての治療内容を変更する権限をもっています。だから主治医チームは安心して、当直チームに患者さんの対応を任せることができます。

一方、本土の病院の多くが、主治医制を採っています。「当直医が主治医の治療内容を変えてはいけない」としているところも多い。そのため、夜に急変があったら、主治医が現場にかけつけます。

また、離島医療の場合、医療設備も整っていないため、できる検査が限られています。CTもないし、MRIもありません。血液検査も限られています。自分で顕微鏡をのぞいて診断し、レントゲンも自分で撮らなければなりません。「病歴と身体所見からどう判断するか」というスキルを身につけて離島医療に従事します。

水戸時代 国際学会で

都会の大病院の場合、最新の医療機器が整っているので、まったく環境が異なります。ただし、弊害もある。たとえば過剰検査や過剰処方の問題。「検査をしすぎてしまう」「薬を出し過ぎてしまう」といった傾向があり、多くの患者さんに大きな副作用を与えてしまうという危険性をはらんでいます。

このように、沖縄の医療と本土の医療には、大きな違いがあります。沖縄県立中部病院を離れ、本土に渡った私は、これらの違いをまざまざと感じたのです。

日本の医療ニーズにマッチした総合診療医を育成

本土に渡ってからの私のキャリアは、「日本型病院ジェネラリストの育成」に主眼を置いてきました。特に水戸協同病院で取り組んだ“臨床教育の改革”は、私自身にとっても大きな転機となりました。

そもそも、水戸協同病院がある茨城県は、医師不足が深刻な地域です。そのため、地域医療体制を早急に整えて、優秀な医師を育成する必要がありました。そこで、教育・研修から診療研究に至るまで一貫して行う“実践型のカリキュラム”を築き、守備範囲の広い総合診療医を養成してきました。院長が全面的に協力してくださり、水戸協同病院に勤務する医師たちの気持ちを一つにすることができました。

水戸協同病院の総合内科では、消化管出血も診れば急性腎不全の患者さんや急性心筋梗塞の患者さんも診ます。内科系のすべての科を合併させ、臨床研修や医学生の教育体制も整えていったことで、水戸協同病院から次世代のリーダーとなる人材が次々と羽ばたいていきました。

現在私が顧問を務めている地域医療機能推進機構本部(JCHO)の東京城東病院も、水戸協同病院と同様に、日本型病院ジェネラリストを育成する体制を構築しています。私たちのやり方は、今の日本の医療ニーズにマッチしている。だから、全国から医師が東京城東病院に集まってくるのです。
若き医師の皆さんの中には、研鑽の場を海外に求める方もいらっしゃることでしょう。けれど、特にアメリカにおいては、医療のシステムが激変しています。医療費の高騰により、社会的弱者が医療を受けられなくなっているのは、その一例。医療費が高いため、患者さんの入院期間が極端に短く、研修医が経過をフォローしようとしても患者さんが退院してしまって、すでにいないということもあります。

NHK「ドクターG」スタジオにて

また、分業化も大きな問題となっています。たとえばジェネラリストは、病院での外来を専門に診る“GIM”、入院患者専門の“ホスピタリスト”、救急専門に診る“ERフィジシャン”と、病院内で役割が細分化されています。家庭医は病院の患者は診ません。これでは、総合診療のスキルを磨きたくて渡米しても、「入院患者しか診ることができなかった」といった問題が起こってしまいます。

ロールモデルとなる指導医が、若き医師の成長を後押しする

超高齢社会が到来した日本では、全身を診ることができる総合診療医のニーズがますます高まっています。実際、臨床の現場で活躍されている皆さんの多くが、「総合診療医の重要性」を感じてくださっていることと思います。地域医療を支えていくには、総合的に診る医者が不可欠です。

では、どのようにして総合診療医のスキルを磨いていけばいいのか。最も効果的なのは、全国で活躍する医師一人ひとりが、少しずつ守備範囲を広げていくことです。ほんのわずかでもいいので、守備範囲を広げていってください。その姿勢が、多くの患者さんの命を救うことになります。たとえば内科のお医者さんが「小児科も診てみよう」と思う姿勢。また、耳鼻科のお医者さんが「鼻以外も診てみよう」といったマインドを抱くこと。このような姿勢を医師全員が持てば、莫大な効果が生まれます。

私も沖縄県立中部病院時代、心から尊敬できる数多くの指導医に出会いました。彼らの指導はとても厳しいものでしたが、そこには愛がありました。「研修医を指導することは、患者さんにより良い医療を提供することにつながる。だから、どの研修医に対しても全力で指導すべき」とおっしゃった先生もいました。

近い将来、皆さんが総合診療能力を身につけたら、次は指導医として、“医師のあるべき姿”を後輩に伝えてください。総合診療スキルの習得は間違いなく地域医療の礎になるはずです。実際、私が顧問を務めるJCHOでは、その教育を受けた30代の若き医師達が総合診療医が不足している、他のJCHOの病院に派遣されてがんばっています。

JCHO東京新宿MC

かつて、沖縄県立中部病院でアレン先生が提唱した「地域医療を支えるジェネラリストを養成する」というマインドは、あらゆる地域で通用する普遍的な価値観です。一人でも多くの皆さんがこの考えを継承し、次の世代へとつなげていってくださることを願ってやみません。

総合診療医/ 独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO) 本部及びJCHO東京城東病院顧問
徳田 安春先生

1988年、琉球大学医学部卒。沖縄県出身。沖縄県立中部病院で臨床研修を受けた後、院内で総合診療科の立ち上げに尽力する。その後、聖路加国際病院へ転籍し、聖ルカ・ライフサイエンス研究所臨床疫学センターの副センター長に就任。2009年、国立大学初のプロジェクトとして知られる筑波大学の取り組みに参加し、筑波大学附属水戸地域医療教育センター(水戸協同病院)の立ち上げに従事。総合診療科を中心とした“総合内科Department of Medicine”体制を構築する。現在、独立行政法人地域医療機能推進機構本部(JCHO)の本部顧問及びJCHO東京城東病院の顧問を務める。

(2015年4月取材)