患者の視力に光を。 女性医師のワークライフバランスに希望を。 若手医師の向上心に、叱咤激励を。
東京歯科大学水道橋病院に、白内障と屈折矯正手術の大家が在籍すると聞き、取材班が走った。登場したのは物腰柔らかく、解説明快な女性医師だった。診察室での患者との会話もこうであろうと察せられる丁寧で、漏れのない発言の数々。説得力というより「納得させてくれる言葉力」なのだと感心しつつ、ビッセン宮島弘子氏の紡ぎ出す言葉に聞き入ることになった。
実は、日本では難しい大学病院での最先端の白内障手術
JR水道橋駅から徒歩1分、白山通りに面した一角。歯科治療院としてのスタートから数えれば100年以上の歴史を持つ、東京歯科大学水道橋病院がある。1990年に地域の健康増進に寄与する高次医療機関、地域拠点病院として再スタートした同院に、眼科が開設されたのは2000年のこと。その立ち上げから中心的役割を担い、同科の今日の隆盛を築いた立役者が、アメリカ白内障屈折矯正手術学会フィルムフェスティバル手術手技で第1位など、数々の受賞歴を持つビッセン宮島弘子氏である。
同院同科は一般眼科診療での実績とともに、ビッセン宮島氏が世界的な評価を獲得している白内障手術と屈折矯正手術でもめざましい業績を残している。
「一般的に高度専門医療は大学病院が牽引するものと受け止められていますし、ほとんどの分野で実際にそうなっています。ところが、眼科の、特にレーザー技術を用いた先端医療の場合、日本では、牽引するのは志ある市中病院群です。思い切った先行投資が必要であったり、世界最先端の臨床の現場で何が行われているかにアンテナを張る必要があったりする点がそれを招いているのでしょうか。
そういう意味で、当院眼科は、白内障手術や屈折矯正手術で最先端の市中病院の診療レベルに比肩する数少ない大学病院のひとつと言えます。たとえば、2017年現在、国内に30台前後しかなく、そのほとんどが市中病院にある白内障手術用のフェムトセカンドレーザー設備は、当院では2013年に導入・稼働開始済みです」
最先端のひとつ、フェムトセカンドレーザー
フェムトセカンド、つまり1000兆分の1秒のスピードで組織を分子レベルで分離できるフェムトセカンドレーザーは、レーザー装置とリンクする3D光干渉断層計で患者一人ひとりの眼球を測定し、デザイン通りに正確に切開することができる。技術開発のメインストリームは米国と欧州にあり、当然のごとく極めて高価な機材なため、輸入、導入には大きな決断を要する。
「私は留学先のドイツで、1980年代にはすでに、リアルタイムにレーザー技術の進展を目撃していましたし、技術開発の中心人物から直接の薫陶をいただいていたせいもありこの技術の実用化に何の疑問もありませんでした。長くあった『眼の水晶体に直接レーザーを当てるのは、危険すぎる』との一般的な危惧も、2000年にハンガリーで成功した臨床の現場を、留学中の知遇を生かし、渡航し直接見学して完全に払拭できていました。それが、技術として広く普及し始めたのが2008年前後でしょうか。私は一連の動きを注視していましたので、2013年の導入は、文字通り満を持してのものでした」
一般的に広くある誤解について。
「1980年代に確立していた超音波乳化吸引術の術式をレーザー手術と混同して、『昔からあった』と指摘する方もいらっしゃるようです。レーザー、つまりフェムトセカンドレーザーの実用化は、繰り返しますが2008年前後で、極めて最近のことです。名称が似ているせいで混同されがちな後発白内障のヤグレーザーもまた、疾患の正体もまったく違い、レーザーの種類が違う術式にも関わらず、フェムトセカンドレーザー術と混同されることが多いようです。
保険適用を受けていない最新技術に思うこと
ちなみにフェムトセカンドレーザー術の術式の中身は、正確に表現すれば水晶体の切開をフェムトセカンドレーザーで担い、より精度を高めた白内障手術ができることです。レーザー技術によって切開部分をより正確に、より小さくした上、超音波の眼球への照射時間を短縮できるようになった点が大きな進歩なのです」
まさにオーソリティならではの整然とした解説に、目が開かされる思い。紛うことなき最先端を知り、導入・普及に尽力してきた人物が、この分野を牽引する日本白内障屈折矯正手術学会(JSCRS)理事長を務めている事実にも、深く首肯するばかりだ。
「実は、現時点では、フェムトセカンドレーザーを使った白内障手術も超音波のみの白内障手術も、患者さんが体感できる機能回復の度合いに大差はありません。
私はよく、その違いを『ズボン』の裾上げに例えます。ミシンを使った裾上げも、手縫いの裾上げも長さの調節という意味では成果は一緒です。しかし裾を裏返して縫合部分に目を凝らせば、ミシンのそれは整然ときっちりしており、手縫いのそれは縫い目も糸の絞まり具合もまばらです。フェムトセカンドレーザー術が日本で保険適用となっていないのは、その違いに効用を認められないからでしょう。ただ、将来的には保険適用となる日が来ると期待しています。まさにたった今、エビデンスを集めているところですが、出そろえば超音波の照射時間を短縮したことによる低侵襲化が証明されるはずだからです」
そのような現状がゆえに、今は、フェムトセカンドレーザーを選択した時点で自由診療となり患者負担はかなり重い。混合診療が許されていない日本の医療制度下では、同技術の普及には限界がありそうだ。
「この件を思うに、混合診療を絶対悪かのように扱う日本の医療制度には疑問を感じます。お金持ちだけが、贅沢の延長線上で最新技術を選択するといった仮説は間違っていないでしょうか。少なくとも白内障に苦しむ患者さんを多く知る私には、『より良い技術なら、食費を削ってでも費用を捻出しよう』と考える方が確実にいると思えます。混合診療は決して認めないという頑なさには、違和感を持たざるを得ません」
帰国すると、日本の遅れている点が眼前に
日本の医学界、医療界が海の向こうに目を向け学ぶべきことはいまだ多い。その例のひとつが、フェムトセカンドレーザーと言えるだろう。白内障と屈折矯正手術において日本のパイオニアのひとりと評価されるビッセン宮島氏は、学び盛りの卒後4~6年目をドイツのボン大学病院で眼科医として過ごしたことを幸運と考える。
「同国の医療制度のもとでは、いくつかの条件をクリアし、試験に合格すれば日本の医師も臨床に携わることができます。私はその制度を利用してドイツの、しかも最先端の眼科医療を実体験として学ぶことができました」
その体験値の高さは――。
「帰国して日本の臨床の場に出てみると、あれとあれが明らかに遅れているといった具合に問題点がすぐに把握できました。制度的な改善や取り入れるべき技術がはっきりと認識できましたので、努力の方向はほどなく明確になったと言えます」
「外国人看護師」への不安がアジア系女性医師への期待に変化
そんな成果を持ち帰ることのできた留学は、当然だが、のんびりとした遊学などとはほど遠い「真剣勝負」の毎日だったようだ。
「医療制度の違いと国民性の違いが相まって、ドイツでの眼科診療の現場では、患者さんから『なぜそうなの? 本当にその診断でいいの?』と納得行くまで質問が繰り返され、回答が要求されます。もちろんそれを忌避などすれば、クライアントである患者さんから『Nein(ドイツ語でNo)』です。
逆にそういった要求に誠実に、正確に答え続けることが評価となり評判にもなります。日本人で女性の医師はドイツでは珍しく、臨床に出た当初は、『えっ? このアジア系の看護師さんの手術を受けるの?!』と勘違いされた上に拒絶反応を示されるケースも多々でしたが、留学の終盤には『あのアジア系の女性のお医者さんは、腕がいいらしいわね』とまで言っていただけるようになりました。そのおかげで、最終年には年間1000例の手術を行うことができました」
産婦人科医への夢を眼科へ転じさせた出会い
ビッセン宮島氏の幸運への感謝の言葉はさらに続く。眼科医療へ導いてくれた出会いへの感謝だ。
「私が医学部に進んだ時点での希望は、女性ならではの仕事は産婦人科でできるはずとのシンプルな夢でした。ところが、在学中にある産婦人科の先輩医師にその旨相談すると、『その考えもいいが、結婚や出産、育児といった女性ならではの人生と両立でき、長く続けられる仕事は? というワークライフバランスの視点でも考えてみるべきだよ』とのアドバイスをいただきました。
そんな時、スキー部で交流のあった医学部の先輩、坪田一男先生に、眼科医療の魅力についてご教示いただいたのです」
坪田氏は、現慶應大学医学部眼科学教室教授で、「ドライアイ」の概念を日本に定着させた人物としても有名。坪田先輩の言説に惹きつけられた気持ちに決定打を与えたのが、その坪田氏が引き合わせてくれた、当時の同教室教授、植村恭夫氏だったとのこと。
「坪田先生、植村先生にお会いして、眼科が魅力あふれる分野であると確信しました。しかも植村先生は『これからは、女性ががんばらなければならない時代だよ』と強く励まし、応援してくださいました。医学部規定ぎりぎりの満3年、留学生活を続けられたのも植村先生のお計らいあってのことです」
アメリカ白内障屈折矯正手術学会フィルムフェスティバルでは、数々の賞を獲得した。
「眼科学教室の大先輩である原孜先生のアドバイスで、ビデオ制作のコツなどを学びながら、術式の様子を映像作品としてつくっていきました。とてもよい修練になったと感じています」
若者よ、外へ。ガラパゴス化の隘路に迷い込むなかれ
国際眼内レンズ学会にて記念講演後、各国の著名眼科医と
そんな出会いと応援があって得たドイツでの知見を、日本の眼科医療の進展のために注ぎ始めたビッセン宮島氏の姿は前述した。手に取るようにわかる日本の「遅れ」に直面する中で、確信したことがあるそうだ。
「島国ということもあってか、日本の医学と医療には常に『ガラパゴス化』のリスクがあると強く感じました。眼科も同様ですが、その他の診療科も学術分野も、戦後に多くの先達が血の滲むような努力を重ねられ、多くの面で先進国に追いつき、時には追い越すこともできた。ただ、世の中も世界も常に動いていますし、前進しています。『追いついた』あるいは『追い越した』という認識が予断となり、気づけば時代遅れになっている怖さは常に持っているべきだと思います」
このテーマでは、さらに言葉が継がれた。
「ガラパゴス化が高齢の方や大きな業績を残された方の中に起こるのは、ある意味仕方ないかと思います。ただ、私が心底危機感をいだくのは、卒後数年の若手の中に、『日本はそれなりに進んでいるのだから、海外から学ぶ必要はないだろう』という本音が散見されることです。
日本全体の傾向として、若者が留学しなくなったと言われていますが、その傾向がそのまま医師の世界にも現れているようなのです。
医学と医療がガラパゴス化するのは、由々しきことです。あってはならないことと思います。この危機の回避には、若い世代が海の外に目と耳を向ける努力を続ける以外の解決策はないでしょう」
日本という国を愛する気持ちと、根拠なく「日本が一番」と誇り、驕る気持ちは似ているようでまったく違う。ネットを介して自室にいながら世界中の最新情報を得られる時代だが、テキストを頭に詰め込むだけでは補えないことがある。
「はっきりと言います。日本には世界に比して遅れている部分はいくらでもあります。さらに言えば、『とはいえ、アジアでは抜きん出て一番のはず』などという侮りも厳禁です。
私は、学会活動を通じてアジア諸国の医療の技術レベルを認識していますし、何より若手医師の姿勢、貪欲さをよく知っています。彼らは学会にどんどん出てきて、どんどん発表します。質問が来れば、下手な英語で(笑)堂々と、延々と答えます。あのアグレッシブさは、5年後、10年後に必ず大きなアドバンテージとなって日本の医学と医療に現実を突きつけるでしょう。
若手医師の皆さんには、とにかく視野を広げてほしい。いいものを持っている方は、とても多いのです。だからこそ、学びを止めないでほしいと願います」
女性のがんばれる環境整備は、急務である
女性医師の活躍に、ワークライフバランスの改善は欠かせないと言われる昨今。先輩医師からその点を助言され、この道を歩んだビッセン宮島氏の医師人生はどんな軌跡を描いたのだろう。
「私は、こう思っています。業績として同じ数値を残した男性と女性がいれば、評価は男性に下ります。その現実は、洋の東西を問いません。ですから、評価されたいなら、より強くがんばれる環境を手に入れる努力までもをミッションと覚悟して、私たち女性は奮闘しなければならない。だからこそ、それをバックアップする社会制度が必須ですが、この点も日本は遅れていますね。
私の場合は、40歳にして授かった娘の子育ては、理解ある夫の協力もあり無事成し遂げることができました。とても幸運だったと思いますが、これからの世代はそんな運・不運で環境が左右されてはならないと思います。制度整備、環境整備は私も含めた先達世代の大きな使命だと思います。医師国家試験合格者の女性比率が40%を超えた現在、まったなしの重要課題です。機会あるたびに、このことは発言していくつもりです」
正しい医学情報、医療情報を発信するには
実はインタビューの中で、本人から「私も還暦を過ぎまして」との一言があり、その若々しさとのギャップにびっくりさせられた。
「ということで、大学職員としては定年が間近なのです(笑)」
その一言を受け、キャリアの総仕上げに構想していることについて聞いた。
「教授として、また、任期が残り1年数ヵ月の日本白内障屈折矯正手術学会理事長として、基盤を作り、残したいと願っているのは正しい医療情報を発信する手段の確立です。現在、ネット上には根拠不明で不正確な医学情報、医療情報が溢れていて、眼科領域や白内障分野も例に漏れません。
これを何とかしたい、しなければならないと日夜思案し、手法や技術に関するレベルアップと均てん化そして正確な情報発信を目標に試行錯誤を繰り返している昨今です」
これはもう、同氏が女性か男性かといった前提なしでいい。この眼科医は、とても充実した医師人生を送っている。そこから学びを得るか憧れで終わるかは、この記事を読む人次第であることも確実である。
ビッセン宮島弘子先生
慶應義塾大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院、ドイツ・ボン大学病院、国立埼玉病院、東京歯科大学市川総合病院眼科講師を経て2003年より現職、公益社団法人日本白内障屈折矯正手術学会理事長。
著書に「LASIK(レーシック)」(メディカルトリビューン)、「多焦点眼内レンズ」(エルゼビア・ジャパン)など。
(2017年3月取材)