頭頸部外科に求められるQOL向上の技術を、前進させ、実践し、次代に伝える。
脳神経外科領域には様々な疾患があり、様々な技術が投入され、数多くの名医の名が知られている。しかし、同じ頭部領域ながら頭蓋底を境にした向こう側にある頭頸部外科領域に関する話題は、脳神経外科領域に比べて極めて少ない。今回登場願うのは、国立大学医学部で唯一の頭頸部外科学教室である東京医科歯科大学頭頸部外科教授・朝蔭孝宏氏。単に命を長らえるだけでなく、嚥下や発声といった機能の維持までも求められ、症例によっては形成外科を巻き込んだ再建術の適応も必要となる。そんな、知られざる最先端領域で、最先端の技術と知見を振るう若き教授の原風景を追ってみた。
頭頸部外科、脳神経外科はもとより多彩な診療科が協働する究極のチーム医療
来から難病治療に積極的に取り組んできた東京医科歯科大学医学部附属病院では、2012年4月に5つの先端治療センターからなる難病治療部を新設し、高度な診療技術で数多くの患者さんを救っている。
2016年4月、5つの先端治療センターの1つである頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長に就任したのが朝蔭孝宏氏だ。前年4月に就任した、東京医科歯科大学頭頸部外科の第2代教授との兼任だ。
「頭頸部外科は首から上のうち、眼球と脳以外を対象とした医学領域です。口腔がん、咽頭がん、喉頭がんなどが典型的な対象疾患です。一方、頭蓋底領域に腫瘍が浸潤する場合もあり、そのようなケースでは脳神経外科の協力が必要不可欠となります。
たとえば、悪性腫瘍が鼻の奥にできたとなると頭頸部外科と脳神経外科の領域を隔てている骨は厚さ1㎜にも満ちません。腫瘍が頭蓋底を突き破って脳領域へ、あるいは頭蓋底付近にできた悪性腫瘍が頭頸部領域へと侵出すると技術的にとても難しい症例となります。そんな難易度の極めて高い症例を頭頸部外科・耳鼻咽喉科、脳神経外科、放射線科などがチーム医療で治療に当たる体制を有するのが頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターの大きな特徴です」
手術を選択した場合、外科系各科のエキスパートがそれぞれの分野の豊富な経験と高度な技術を活かした合同手術を実施できる。その体制のもと、症例個々の病態に応じた、より有効かつ侵襲の少ない治療を行うため、治療方針を立てる段階から多くの診療科が緊密に連絡をとりあう。
「カンファレンスでの議論の結果、支持療法を選択するケースもあります。その場合は、チームに内科系の専門家を加え、徹底的に集学的に、患者さんのQOLを最優先に治療にあたります」
多くの場合、合同手術には形成外科も参加する。
「首から上は服をまとえない部位ですから、喪失部分の再建までもがQOLに関わってきます。そんな場合の合同手術は10時間を超えることも稀ではなく、手術中のライトが消えるのは日付が変わってからということもあります」
国内でも稀有な診療体制を頼って、超進行がんや頭蓋顔面深部の頭蓋底腫瘍など難治症例の患者さんが全国から集まっている。同センターにおける医療の質の秘訣について質問した。
「カンファレンスで導き出される治療方針には、手術、放射線治療、抗がん剤治療の3つの可能性があり、参加したスタッフが徹底的に議論し、最終的に1つを選択します。
たとえば結論が手術であった場合でも、そういったプロセスで治療方針が決まり、治療計画が策定されると治療の半分は終わったと言っていいでしょう。当センターの医療は、診療科横断で集った専門家が共に考え、共に決断する点が常に最大の武器なのだと考えています」
頭頸部外科が切り拓いた患者中心、QOL重視の価値観を引き継ぎ、育てる
頭頸部外科は耳鼻咽喉科のサブスペシャリティのひとつで、比較的歴史が浅い。朝蔭氏が教授職を引き継いだ東京医科歯科大学頭頸部外科は1999年に日本初の頭頸部外科講座として誕生したもので、現在でも国立大学医学部としては唯一の講座。日本の頭頸部外科学を牽引する存在と言っていい。頭頸部外科医には聴覚、嗅覚、味覚、平衡感覚を扱うエキスパートであると同時に、呼吸、摂食嚥下、音声言語などの機能と、それに必要な鼻腔、口腔、咽頭、喉頭の専門的診察を担うことが求められる。大学病院や基幹病院では、頭頸部がんが症例の大多数を占めている。朝蔭氏も、頭頸部がん専門医資格を有する医師である。
「頭頸部がんは切除し、命を繋ぐことだけではなく、嚥下や発声といった複雑なメカニズムの維持にまで心を砕いて治療をしなければなりません。そこがまさに、この分野の難しさであり、やり甲斐でもあります」
この分野には、頭頸部がんの第一人者で寛仁親王の主治医として高名な海老原敏氏という巨星がある。朝蔭氏は国立がんセンター(現:国立がん研究センター)東病院(以下、東病院=千葉県柏市)で、海老原氏から直接薫陶を受けている。
「海老原先生が確立した温存療法に関する技術を学んだのはもちろん、常に患者さんオリエンテッドな姿勢に、強い影響を受けました。現在の私の礎は、東病院時代に確立されたと言っていいと思います」
がん領域が生存率至上だった時代から、機能温存、つまりQOLの重要性を説き、実践してきた海老原氏の医療の理念。それを引き継ぐ朝蔭氏には、『患者さん中心かつ最先端』という現代医療の理想の具現化が期待されているといっていいだろう。
外科医志望の諸君! 現役のうちに教授を超えるのが、君たちの使命だ
昨今の「外科離れ」が、話題にのぼった。
「世にそういった風潮があるのは認識していますが、正直、私の実感値としては、特段の危機感はありません。前職(東京大学医学部耳鼻咽喉科医局)時代も、現在も、やる気と見込みある若者は集まってきてくれていますので」
自信の根拠は?
「なんといってもこの分野には、『自分の腕一本で患者さんを救える』という魅力があります。私たちがその魅力を適確に伝えることができていれば、命脈が途絶えることはないはずです」
技術の継承について、信念を示してくれた。
「私は、外科の世界に『神の手』は不要だと思っています。神の手にしかできない技術より、学べば修得できる再現性の確立の方が数段重要。私が教える若手には、なるべく早く私と同じ技術を習得してもらわなければ困ります。そして、できるならば私が現役のうちに、最低でも私が死ぬときには(笑)、私を超えていてもらいたい。そうでなければ、技術の進歩は見込めませんよね」
インパクトのあった耳鼻咽喉科の講義。この分野で外科医になろうと決意
朝蔭氏の理念と価値観を理解するため、ここまでの歩みを振り返ってもらう。
「医学部入学に関しては、理科系が得意で、偏差値が届いていたので、1年浪人して山形大学医学部の試験をクリアした。正直、それ以上の夢や動機を持ってこの世界に入ったわけではありません。ただ、この世代の常として『ブラック・ジャック』からヒーローとしての医師像をぼんやりとイメージしていた少年ではあります(笑)。
そのため、医学部入学時点から、外科に進みたいという希望を持っていました」
大きな出会いとして記憶しているのは、医学部4年時の耳鼻咽喉科の講義。
「耳鼻咽喉科講座の准教授が、手術着の上に白衣をまとって講義をしてくれました。とても、かっこよかった。『今、10時間を超える大手術の真っ最中。そこを抜け出して、ここにいる』とのこと。
それは、現在の私が日常としている、形成外科も参加した合同手術でした。いずれにしろ、『耳鼻咽喉科というのは、こんなダイナミックな治療もある世界なのか』と強いインパクトを受けました。その後、出入りするようになった耳鼻咽喉科医局の雰囲気が気に入ったことも大きく、耳鼻咽喉科で外科医になろうと決心するに至りました」
ただ、卒業後に、山形大学の耳鼻咽喉科医局には入局しなかった。
「大学に残る選択もありましたが、私は東京出身であったため、ぼんやりと『東京で、この分野で修練を積む場は見つからないだろうか』と考えてみた。すると、大学の先輩、前述の准教授の先生が、『東京で学びたいなら、東京大学医学部の耳鼻咽喉科医局を紹介するよ』と言ってくださった。
かなり悩みましたが、最終的に東京で学ぶ道を選びました」
希望の進路の前に立ちはだかった、意外な要請と意外な事実
同医局に入局し、広く耳鼻咽喉科医療を学んだ。そして、入局2年目に勤務した、都立府中病院(現:都立多摩総合医療センター)耳鼻咽喉科で運命の出会いがあった。
「部長の船井洋光先生のご指導で、がん医療への興味が大きく育ちました。耳鼻咽喉科には耳、鼻、喉、がんの4つの主要領域がありますが、私にはがんがもっとも興味深かった。
それは、『医師になった以上、人の命に関わりたい』という気持ちが自分の中にあることを、あらためて確認した気づきでもありました」
医局に「がんを学びたい」と申し出ると、ほどなく東病院でのレジデントとしての勤務が決まった。そしてそこには、海老原敏氏との出会いが待っていた。
東病院で、海老原氏のもとで、9年にわたり腕を磨いた後、朝蔭氏には次の目標がみえていたという。
「当時、東京医科歯科大学にできたばかりの頭頸部外科で、教授の岸本誠司先生が確立していた新しい技術に強い興味がありました。次は、あそこで学びたいと心が固まっていきました」
ところが、想像していなかった事態となる。所属医局である東京大学医学部耳鼻咽喉科医局から、大学に戻るよう要請があったのだ。
「耳鼻咽喉科頭頸部外科チームをこれまで以上に発展させるためにチームリーダとなってくれないかとのお話でした。耳鼻咽喉科教授の加我君孝先生が直々に面談してくださったこともあり、とても光栄なお誘いだったのですが、私の希望は違うところにあるのでと、2度お断りを入れました」
ところが、加我先生からの3度目の呼び出しの前夜、海老原先生に事情をお話ししたところ、
「『恩のある医局からのお願いを無下に断るのは、感心しない』と諭され、得心せざるを得ませんでした。」
そんなできごとがあったせいで、もうひとつ意外な事実を知ったとのこと。
「両先生は、必要に応じてていねいな文面の手紙をやりとりしていたらしいです。そして、私が東病院に着任して1年が過ぎた頃に、海老原先生は加我先生に手紙を書いていたのです。『朝蔭君は見込みがあるので、少し長くこちらで預かりたい』と。
私が9年もの長きにわたってあそこに在籍できた陰には、両先生のそんなやりとりがあったのです。無自覚に突っ走っていただけの自分を少々恥じ、海老原先生、加我先生が後進に向けて注いでくださっていた愛の深さに頭(こうべ)を垂れる思いでした」
知らぬは当人ばかりなり――朝蔭孝宏氏は『東京大学にとっても東病院にとっても、数年にひとりの期待の星』だったということなのだろう。
東京医科歯科大学頭頸部外科教授への就任が決まった朝蔭氏を、東大耳鼻咽喉科名誉教授加我君孝先生(写真左)、国立がんセンター東病院名誉院長海老原敏先生(写真右)が『お祝いの会』で祝福。
12年にわたり頭頸部外科チームの発展に傾注した後、新たな冒険の旅に出る
巨頭からの愛を受けた希望の星は、すくすくと育ち、先達からの願いも叶えながら前に進んだ。東病院から出身医局に戻り12年間、要請された頭頸部外科チームの立て直しに精力を傾けた。
「東病院で学んだ最新技術の移植もできましたし、乏しかった研究風土も開拓できました」
「区切りがついたかな」と思えるようになった時期に、東京医科歯科大学医学部頭頸部外科の教授選があることを知った。12年前に憧れ、側で学ぼうと欲した岸本教授の後任を選ぶ選挙だ。迷わず、手をあげた。
「ライバル関係にある医局間での移籍となりますから、軋轢や好奇の目があることは覚悟の上です。実は、私自身は、そういったことはあまり気になりません。
そんなことより、国立大学で唯一の頭頸部外科講座で腕を振るうポジションを得られる数少ないチャンスを逃したくはありませんでした」
教授就任2年目、頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長就任初年度というタイミングで実施されたインタビュー。有り余るような気負いこそ発していないが、興味に従って邁進してきた専門領域で培った技術と知見を花開かせようとの意気込み、覇気は部屋中に満ちていたように思う。
今後の展望について質問すると、臨床、研究、教育について直近の課題、現状などについて解説してくれたのに加え、もっとも新しい個人的興味についても触れてくれた。
「今、とても興味があり、知見を得たいと感じているのは医療経済です。この医療、この治療にはどれくらいの費用対効果があるのかということをよく考えるようになりました。
“先進医療であればコストなど関係ない”――そんな価値観だけを振り回していては、医療が地に足のつかないものになり、本当の意味で国民の幸福に貢献できないのではないかと思うようになったのです」
新しくできあがったばかりの管理棟の一室は、まだ新しいはずだが、すでに十分に雑然として朝蔭氏のキャラクターが息づいていた。まだ始まったばかり。複数の先達が希望を託した俊英の冒険の旅は、ここからどこに続いていくのだろう。
2000年「厚生省がん克服新10か年戦略外国への日本人研究者派遣事業 」にて。アメリカ、ニューヨークのMemorial Sloan-Kettering Cancer Center へ留学。頭頸部外科の部長で、この領域の世界的スーパースターJatin P Shah先生と。
東京医科歯科大学医学部附属病院 頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長
朝蔭 孝宏先生
1991年 3月 山形大学医学部卒業
5月 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科
5月 医師免許取得
9月 JR東京総合病院耳鼻科
1992年 9月 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科
1993年 7月 都立府中病院(現:都立多摩総合医療センター)耳鼻咽喉科
1994年 9月 国立がんセンター(現:国立がん研究センター)東病院頭頸科
2000年 2月 The University of Texas MD Anderson Cancer Center, USA
Memorial Sloan-Kettering Cancer Center, USA
(厚生省がん克服新10か年戦略 外国への日本人研究者派遣事業) (同5月まで)
2001年 11月 医学博士取得
2003年 4月 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科 (講師)
2008年 3月 同 (准教授)
2015年 4月 東京医科歯科大学頭頸部外科 (教授)
2016年 4月 東京医科歯科大学
頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長
役員等)
日本耳鼻咽喉科学会(代議員)、
日本頭頸部癌学会 (評議員、ガイドライン委員)
日本頭頸部外科学会(理事)、日本気管食道科学会(理事)
日本頭蓋底外科学会(理事)、日本喉頭科学会(理事)
日本癌治療学会(教育委員)、日本嚥下医学会(評議員)
日本甲状腺外科学会(評議員)、耳鼻咽喉科臨床学会(評議員)
日本口腔・咽頭科学会(評議員)
日本耳鼻咽喉科感染症・エアロゾル学会(評議員)
日本コンピュータ外科学会(評議員)
(2016年8月取材)