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2016.06.20

杏林大学医学部付属病院 呼吸器内科 皿谷 健先生

出会いも幸運も、必然とするためのたゆまぬ努力。
静かなる邁進が、今日も続く。

出会いも幸運も、必然とするためのたゆまぬ努力。 静かなる邁進が、今日も続く。

多摩地域唯一の大学医学部付属病院本院として知られる杏林大学医学部付属病院(以下、杏林大学病院)に、臨床、研究、教育のすべてで評価が高く、患者からも慕われている医師がいるとの推薦があった。外来診療の終わった夕刻の医局前通路に白衣をまとって笑顔で現れたのは、SNSを使いこなし、出会いに感謝し、研修医からも学ぼうという姿勢を持った人物だった。

胸水の世界的権威に、軽快にアプローチしたのは

2016年に受賞した、第55回米国胸部疾患学会 日本部会賞(ACCP award)について。
「前段となる話があります。2007年に学会発表のためにスウェーデンに行ったのですが、そこで、驚くべき事実を知ります。胸水の診断基準としてあまりに有名な『ライトの基準』を定めたリチャード・W・ライト教授は存命どころか、現役の医学者であると!

名誉のために付け加えますが、業績があまりに偉大なため、私に限らず多くの医学関係者が歴史上の人物と思い込んでいたのです(笑)」
伝説の医師と、学会賞受賞にどんな関係があるのか。
「その後、黒色胸水に関する論文が書き上がった際、『ご存命なら、ぜひ読んでいただこう』とメールでお送りしたのです。すると、2週間後に、感想とともに添削まで入って返ってきました!
その後何度かのやりとりがあって、できあがった論文が受賞論文の一部になりました」

胸水の診断基準『ライトの基準』を定めた、ヴァンダービルト大学・リチャード・W・ライト教授夫妻(写真右から2・3人目)と、米国胸部疾患学会世界会議にて。 (写真右端・杏林大学病院 辻本直貴先生、写真左端・杏林大学病院 石井晴之准教授)

著名な先達に論文を送るにあたって、気後れなどはなかったのだろうか。
「もちろん、だめでもともとの気持ちで送っていますよ。でも、ちゃんと応えてくださったのだから、いいじゃないですか。ライト教授とはその後も交流があり、2015年に渡米した際には教授自らの運転で丸1日ドライブを楽しみました。『きみがこっちにくるなら、ぜひ会おう』と、奥様ともども日程を空けて待っていてくださったのです。嬉しかったですね。今年の渡米時にも会う予定になっています」

心のつながりを確信できる人々とのコラボレーション

サッカー少年だったという皿谷氏。大学5年時(1997年)、東日本医科学生総合体育大会の決勝戦で東北大学と対戦

1972年生まれ。軽妙なフットワークは、年齢的に脂の乗り始めた大学人ならではなのか、世代の特色なのか。
「自分がどんな世代に属するのかは、自己分析しづらいですね。わかりません。ただ、ネットやSNSがなければできない交流が多いという意味で、今の時代ならではなのでしょう。臆面もなく人に聞いたり、頼んだりできるのはプライドがないからだと自己分析しています(笑)。それと、出会いは大切だと信じて生きてきたことだけは確かです」

皿谷氏にものを訊ねると、次々に人の名前が登場する。そして同時に、それらの人々との間にできあがったネットワークのイメージが伝わってくる。イメージの源泉のひとつは、登場人物とコラボレーションしているという事実。もうひとつは、知遇を得た人々への深い感謝の息づかいだ。

「人は、一人ではたいしたところにたどり着けません。だから、導いてくださった方、気づきを与えてくださった方々のことは決して忘れません。また、人は一人では大した仕事はできません。だから、知らないことは教えていただき、できないことを助けていただくのを恥ずかしいと思ったことは一度もありません」

ここで、“軽妙”という形容詞が間違いであることに気づかされた。見知った顔を増やすだけが目的でできあがった、浮ついた類いのネットワークとは質が違うのだ。
現在も、看護師に聴診スキルを伝える株式会社JVCケンウッドとのアプリ開発、マイコプラズマ肺炎に関するリサーチトピックス編集(Frontiers in Microbiology)、気管支喘息とウイルスの因果関係の研究(国立感染症研究所/感染症情報センター/ウイルス第六室長の木村博一先生との共同研究)、ライト教授の指導のもと進めている胸水診断の新たなアルゴリズムの作成を探る研究、英文オープンジャーナルでの呼吸器身体所見特集(弘前大学の田坂定智教授との合同企画:Revisiting Physical Diagnosis in Respiratory Medicine )などを並行して進めているが、どの案件にも協力者の名前がある。

ちなみに、Frontiers in Microbiologyはインパクトファクター4の雑誌であり、「Mycoplasma pneumoniae clinical manifestations, microbiology and immunology」と題したリサーチトピックスとして、歴史、疫学、ゲノム、病原因子、病態生理、身体所見、画像と病理所見、治療まですべてを網羅した内容が無料で全文公開されている。

Topic editor5人に加え、米国(CDC)、ドイツ、英国、ベルギーなどのマイコプラズマ研究のスペシャリスト40人超の著者が参加。加えて、医学部だけでなく、獣医学部、理学部の教授陣もMycoplasma pneumoniaeの形態や病原因子の報告のために参加しているプロジェクト。皿谷氏は、その立ち上げメンバーの一人である。今後、計20報程度の論文掲載が予定されており、2016年4月現在で10報の掲載が完了している。
「ただつながっているだけでは、コラボレーションはできません。不可欠なのは、気持ちのつながりです。出会いの形はさまざまですが、どなたとの間にもそれがあると実感します」

研修医を教える指導医であり、研修医に教えられる臨床医でもある

杏林大学医学部講師として、臨床、研究、教育の3分野への比重配分はどんなものかと質問すると、少し考えて「等分です」との答えがあった。
「私が着任した2003年前後は病院が大きな過渡期にさしかかっている時期で、特に呼吸器内科は医師の離脱が相次ぎ、存亡の危機に瀕していました。人員不足の野戦病院のような日々でしたが、忙しさに負けるのだけはいやでした。診察と治療に飛び回りながらも、『学ぶべきことを作る』意識だけは、なくさないよう自分を叱咤しました。研修医にも、学生にも、そう語りかけ続けました。そのせいか、どうやら私の中では、3分野を分けて考える習慣は薄いようなのです」

維持し、立て直しながら導く。切り抜けるために曲芸を強いられた日もあっただろう。そんな修練を経た大学人は、こうなのかと思い知らされる一幕があった。
「研修医には『楽しんでやろうよ』と、呼びかけています。身体所見、鑑別診断は大事だよと話しています。実践しているのは、朝のカンファレンスで具体的な症例の中にあるトピックスを示し、課題として与えることです。彼らには、文献を紐解き、学んでもらいます。そしてその成果は、文書でしっかりと残すべしとも伝えてあります。なぜなら、私がそれを読んで学ぶからです(笑)。

もちろん、私の中にも指導医として『教える』という感覚は存在します。しかし、もしかしたらそれ以上に、研修医に『教えてもらう』a感覚を強くいだいているのかもしれません。忘れてならないのは、すべての医師が患者さんに『教えてもらう』姿勢を持つことですが、私は研修医にも教えを請うていて、その分、臨床医として成長できていると感じています」

「混ぜてください」から始まった、コラボレーション回診

研修医に教えられて臨床の力を伸ばすビジョンを持つとは、なんとバイタリティ溢れる生き様だろう。型破りなスタイルは、他にも垣間見える。たとえば、他科とのコラボレーション回診がそれだ。

「発端は、5年ほど前に私が循環器内科の佐藤徹先生に『回診に混ぜてください』とお願いしたところにあります(笑)。佐藤先生が研修医に素晴らしい身体所見の技術を教えていると聞きましたので。ありがたいことに、快く受け入れていただき、現在では呼吸器内科の研修医もこぞって参加し、月に1度、聴診した雑音からどう診断するかという答え合わせスタイルの勉強をさせていただいています」

杏林大学病院循環器内科・佐藤徹教授(写真中央)の循環回診にて、ブラウン大学・南太郎先生(写真左)と

「混ぜてください」と持ちかけて生まれる診療科横断プロジェクトなど、寡聞にして知らない。しかもそれが、縦割り組織の代名詞のような大学病院でのできごとだから驚く。当の本人は、「やってみれば、けっこうできますよ」と、こともなげだ。

どうやら、好奇心と行動力が一枚板に加工されたような精神の持ち主らしい。当然、その琴線には多種多様なものが触れている。例をあげれば、漢方。
「大学勤務医の常で、今も週に一度アルバイトに出ているのですが、そこでお世話になった先生が漢方の知見が深い方でいっぺんに引き込まれました。出会って10年になりますが、今もまだ新鮮な驚きに満ちたフィールドです。

なんといっても漢方は、ひとつの処方が複合的な効能を示すところがおもしろい。そのせいで最近は、不定愁訴の患者さんを担当すると、わくわくしてしまいます(笑)」

1998年当時、総合内科医をめざす医師の選択肢は

動機と熱源を理解するために、プロフィールを読み返してみた。
1998年、順天堂大学医学部卒業。同年、東京都立広尾病院(以下、広尾病院)に入職し、初期研修医となる。

「当初から大学医局に残る気はなく、スーパーローテートで総合内科が目ざせるプログラムを探しました。当時の卒業生の中では、そういう選択をする者は全体の1割もいなかったと記憶しています。試験を受けてまで医局の外で学ぼうなんて発想自体がなかったのです」

現在施行されている初期臨床研修制度が導入されたのは、2004年。皿谷氏の卒業年次はその6年前だが、ジェネラルな研修プログラムがなかったわけではない。実質的に卒業と同時に専門科を決めなければならないストレート研修に疑問を持ったいくつもの医療機関で、内科全般を効率的に学ぶためのプログラム作りの試行錯誤が重ねられていた。

「内科医としての総合力を身につけたい」と目標を定めた皿谷氏は、文字どおり脇目もふらずに広尾病院で初期研修医としての2年を過ごし、次いで東京都立駒込病院(以下、駒込病院)で後期研修医としての3年を過ごした。

2014年6月に福岡で行われた第88回日本感染症学会学術講演会に出席した皿谷氏。同学会に出席した後藤元夫妻と記念撮影(写真前列)

努力があれば出会いも幸運も必然と思えるようになる

皿谷氏は、インタビューの中で、繰り返しこの5年間への感謝、出会った人々への感謝を口にした。 「卒業時に漠然と循環器への興味、救急への興味を持っていたのですが、広尾病院で仲里信彦先生、駒込病院では青木眞先生といった、今となっては夢のようなそうそうたる先生方にご指導いただき、呼吸器内科と感染症科へ導いていただきました。  

また、当時、杏林大学病院呼吸器内科教授であった後藤元先生に引き合わせてくださった駒込病院OBで現杏林大学准教授の石井晴之先生や、実験の指導を受けた新潟大学の中田光教授、中垣和英教授には公私ともに10年来お世話になっています。思い返すと後藤先生は、一言も『うちへきなさい』とおっしゃっていないのですが、いつの間にか自分自身がその気になっていたのが不思議でなりません(笑)」  

何たる幸運な出会いの積み重ねであろう。これは単なる出会いではなく、“出会いを呼び寄せている”ように思える。
「私にそんな力があるとは、思いませんね。一つひとつの出会いが、本当に幸運だったような気がしています。

ただ、自分で呼び寄せたとは思いませんが、すべての出会いが必然だったような気がします。あえていうなら、出会いが無駄にならないよう努力したことだけは確かです」
なるほど、努力があれば、出会いも幸運も必然と思えるようになるということか。

正月に課題を書き出す習慣の成果は

皿谷氏の生き方に触れて、浮かんだ言葉は「無欲という名の貪欲」。出会いに翻弄される人生など御免だと考えれば、ライフプランを描きたくなる。どうあってもこうしたいと自分に念じ、こうなるのだけはいやだと行く末を恐怖するものだ。

しかし、この人物にはそこに徒労を重ねた痕跡が見えない。出会った後に努力するそのスタイルが、出会う前の自然体を形成しているのだろう。
一見、無欲だ。しかし、形成されているのは貪欲さきわだつアウトプットの数々。そのコントラストが、あまりにも強烈だ。
「こう見えても、毎年お正月には、前年にできなかったことを洗い出し、今年の目標として掲げる習慣はあるのですよ。毎年、同じ目標が残っているのが難点なのですが(笑)」
肩透かしを食わせるような冗談で一刻、場を煙にまいた後、引きしまった顔で話を継いでくれた。

「でも、2012年に、項目群のうちの一つを、強い決意のもとで消し去りました。それは、論文執筆です。今書かないと、書けなくなった時に後悔すると気づき、同年のゴールデンウィークから猛然と書いています。今も書き続けています」

無欲で、静かなる邁進が今日も続く

10年後、20年後の理想像などはあるのだろうか。
「まったく考えたことがないですね。突っ走るだけです。前述の論文のペースに関しては、そろそろ蓄積したものを発信しなければという認識があっての自己改革ですが、それ以外の部分は10数年前に医学部を卒業してからまったく変わりません。もうしばらくは、このままでしょう」

振り返って、後悔はないのか。
「一つだけあるとしたら、留学の機を逸したことでしょうか。海の向こうでの見聞には、確かに、強い憧れがありましたから。しかし、よく考えると、今の時代、ネットなどを駆使してそれに近い経験はできてしまっているのかもしれない。事実、欧米に心のつながった仲間は得ていますから。となるとやはり、前を向いて突っ走るだけでしょうか。私のすべきことは」

無欲という名の貪欲をまとった傑物が、最後に独り言のようにつぶやいた。
「突っ走るとか、つながるとか、どうしても自動詞で語りがちですが、後藤先生や、滝澤始先生(現杏林大学病院呼吸器内科教授)が敷いてくださったレールがなければ一歩も前進できなった部分もあるんです。先達への感謝を忘れず、その恩を後進にリレーする意識は持たなくちゃならない」

この、静かなる邁進が大きな業績を世に示す日は、そう遠くない未来にやってくるはずだ。
①杏林大学病院呼吸器内科教授・滝澤始先生(写真右から2人目)方と。(写真左端・杏林大学病院呼吸器内科准教授 石井晴之先生、写真左から2番目・日本医科大学呼吸器内科教授 吾妻安良太先生)
②2016年「米国胸部疾患学会」にてリチャード・W・ライト教授夫妻と。(写真前列中央:リチャード・W・ライト教授夫妻、写真前列右端・弘前大学呼吸器内科教授 田坂定智先生、写真後列左から、杏林大学病院 渡邉崇靖先生、市川華理先生、石田学先生、大熊康介先生、西沢知剛先生、石井晴之先生、倉井大輔先生)
③2015年「米国胸部疾患学会」のコロラド「ESTES PARK」にてリチャード・W・ライト教授夫妻と。(写真左から、杏林大学病院 石井晴之先生、下田昌史先生、辻本直貴先生、リチャード・W・ライト教授夫妻、佐田充先生、小出卓先生)
④2014年8月 薬剤師セミナー インターネット全国配信時、米国感染症専門医 青木眞先生(写真手前)とスタジオにて


林大学医学部付属病院 呼吸器内科 講師
皿谷 健先生

1998年 順天堂大学医学部卒業
1998年 東京都立広尾病院・初期研修
2000年 東京都立駒込病院・後期研修
2003年 杏林大学第一内科入局

(2016年3月取材)