2023.06.16
生まれ育った東京を離れ、移住した千葉県南房総市。田中かつら医師が、七浦診療所を開業するきっかけとなったのは、パワフルでお茶目でマイペースな二人のおばあさんたちでした。

※4コマ漫画は事実を「少し」盛っています
作画:松鳥むう 原案:林よしはる(ニューカリカ)
5月頃は畑仕事が忙しい。春野菜の収穫と夏野菜の仕込みがあるからだ。家のすぐ隣にある畑に出ると、みよばあちゃんと和子ばあちゃんのことを思い出す。東京から移住してきてすぐに仲良しになった二人。毎朝、先を争うようにして我が家の隣の畑に出てきていた。どちらも腰を曲げ、手押し車を押してやって来ては、日がな一日、畑で草取り。昼食で家に帰らない日は、おむすびとスポーツドリンクを持参するほどの気合いの入れようだった。
私がこの千葉県南房総市で診療所を開業するきっかけをくれたのは、このばあちゃんたちだ。
文/田中かつら
15年以上前に出会った当時、みよばあちゃんは80代前半、和子ばあちゃんは70代後半だった。畑では、時々腰を伸ばして、高い所を音もなく通り過ぎる飛行機を眺めては、また黙々と草を取っていた。私は鹿児島県奄美大島の病院で非常勤医師として働いていた時期で、留守にして戻ってくると、「お帰り。田中さんはあの飛行機に乗ってるのかなって見てたんだよ」と飛行機を指さしていた。
ばあちゃんたちは一日中畑にいるので、トイレはもちろんその場で……。立ち上がると、まあるいお尻が草の中から顔を出す(あら失礼、見てはいけなかった)。雨が降り出すと仕事はそこでおしまいだ。いつも家までゆっくりと帰るので、濡れてしまうことを心配していると、余計なお世話と言わんばかりにマイペースで移動する。いつも元気なばあちゃんたち。
私もよく一緒に草取りをした。畑仕事に熱心なばあちゃんたちだけど、おしゃべりも大好き。同じ目の高さでする何でもない会話が楽しい。都会ではありえない特別な時間が流れる。ばあちゃんたちは百戦錬磨だから、芋はいつ植えるのがいいのか、アブラムシはどう退治するのか——など、たくさんの知恵を授けてもらった。「予防(農薬散布する)」「うなる(耕す)」「くるむ(畝立て、根元に土掛けする)」という土地の言葉を、私もいつのまにか使えるようになっていた。
二人は生まれも育ちも、ここ七浦だ。「関東大震災の時に裏の大きな岩がゴロンと転がったんだ」「当時はみんな牛を飼っていたんだよ」「東京でバスガイドをしていたけど帰ってきたの」「あそこに鍛冶屋があってね」などなど、昔話もたくさん聞かせてもらったなあ。
思えば私は子どもの時、おばあちゃん子だった。両親が共働きで、一緒に暮らしていた祖母に面倒を見てもらっていた。だからというわけではないが、七浦に移住してきて、二人のばあちゃんには、親戚のような感覚を抱いていた。雨の日は畑仕事ができないから会えない。朝起きて雨が降っていると、なんだか寂しかった。
ある日、みよばあちゃんから「あんた、医者だろ?病院やってくれないかね」と言われた。「あそこの病院の先生、この間亡くなってね。じいさんだったけどね。病院もなくなったんだよ」。七浦に一つしかなかった医院がなくなり、最寄りの医療機関が遠くなったため、一人では薬をもらいに行けなくなったのだという。都会はちょっと見渡すとたくさんのクリニックの看板が目に入るが、ここは近くても数キロ先なのだ。
「えー、開業?」。ちっとも考えていない選択肢だった。移住してからしばらくは、週3日で東京都八王子市の病院に出向き、非常勤医師として働いていた。先々のことも、どこかの病院に勤めればいいや程度しか思っていなかったし、自宅を建てたばかりで資金だってなかった。それに、私は神経内科の専門医ではあったものの、オールマイティーな家庭医の勉強も経験もしていない。
でも、大好きな大先輩からそんな言葉をもらって、気持ちがグラッと動いた。「立派にはできなくても、この土地に必要とされるならやってもいいかな?」という気持ちが芽生えはじめ、移住からなんと1年で開業に向けて動き出し、それから1年後に七浦診療所を始めた。自分でもびっくりである。そんなこんなでもう15年たつ。
3、4年前に、飛行機より高いところに行ってしまったばあちゃんたち。開業してから、ずっと診療所に通ってくれていた。リハビリや介護の施設を作ってほしいと言っていたな。「先生のところじゃないと嫌なんだ」と。「もうちょっと待って」と言いながら、間に合わなかった。でも、少しは役に立てたかな? 手が入らなくなり、草だらけになった畑を見ながら、二人の声を思い出している。
千葉県には過疎地の認定地区はありません。でも、高齢者が自力で医療機関を訪れることが困難な地域がたくさんあります。住民は「調子が悪いからちょっと行ってみよう」と気軽に医者にかかることができません。医療が届きにくいのは離島や山奥だけではなく、都会からすぐの千葉県の南端も同じです。
そういった地域は、何も立派な医療施設が必要というわけではないのです。医師は、家庭医としての経験や知識がないと務まらないということでもないと思います。健康相談、健康診断、予防接種、学校医など、私たち医師に求められている仕事がたくさんあるのです。私が暮らしているような地域は、診療科を問わず、医師を必要としています。

七浦診療所院長。
1959年、東京都目黒区生まれ。85年、川崎医科大学卒業。北里大学病院内科で臨床研修後、同病院神経内科研究員として勤務した。97年に医学博士号を取得。青溪会駒木野病院(東京都八王子市)老人性認知症治療病棟医長、鹿児島県大島郡医師会病院(鹿児島県奄美市)の非常勤医などを経て、2008年に千葉県南房総市で七浦診療所を開業した。廃校となった七浦小学校の校舎を改装し、17年に診療所を現在の場所に移転。介護、病児保育、日用品の販売などを行う施設を併設し、地域住民の暮らしを支えている。
趣味はダイビング(水中写真)、料理、音楽鑑賞、温泉巡り。夫はプロのパーカッショニストの田中倫明氏。夫婦で06年に南房総市に移住し、自然と向き合いながら生活している。

イラストエッセイスト。
「離島」と「ゲストハウス」と「廃れてしまいそうな郷土料理&民俗行事」をめぐる旅がライフワーク。これまでに118カ所(2023年4月現在)の日本の島、100軒以上のゲストハウスを訪れた。その土地の日常の暮らしに、「ちょこっとお邪魔させてもらうコト」が好き。著書に『島旅ひとりっぷ』(小学館)や『島好き最後の聖地 トカラ列島 秘境さんぽ』(西日本出版社)、『むう風土記~ごはんで紐解く日本の民俗・ならわし再発見録~』(A&F)など。松鳥むうwebサイト

七浦診療所総務職員、南房総市議会議員。
千葉県南房総市出身。1997年から吉本興業に所属し、高校の同級生であるマンボウやしろ氏(現在はラジオパーソナリティ、脚本家)と結成したお笑いコンビ「カリカ」のツッコミ担当として活動。2011年にコンビを解散し、事務所を退所したが、21年にマンボウやしろ氏と「ニューカリカ」を結成し、活動を再開した。現在も不定期でライブ活動や動画配信などを行っている。22年4月に南房総市議会議員に初当選した。