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2025.02.28

田中かつら医師(9)人の最期にいかに寄り添うか 在宅医療ができること

健康診断の結果と焼酎の一升瓶を手に、七浦診療所の田中かつら医師のもとを訪れた男性がいました。最期まで意思を貫いた九州男児とそれを支えた妻の物語です。

※4コマ漫画は事実を「少し」盛っています

作画:松鳥むう 原案:林よしはる(ニューカリカ)


「先生、よろしく頼むよ」。健康診断の結果と芋焼酎の一升瓶を手渡された。70代後半の男性、山田さんが初めて七浦診療所に来たのは、2023年の夏だった。健診結果には「肝機能障害」と記されていた。

大の酒好きという山田さん。九州出身だ。建築や設計の仕事に長年携わり、定年後に「ここの風景が好き」と、奥さんと二人で南房総市に移ってきたという。この日から彼の人生最期の瞬間まで、医者として寄り添うことになった。

文/田中かつら

ある日、通院が途絶える

経過観察のために通院してもらっていたが、肝臓の値は悪くなる一方。なので、一度ちゃんと検査をするように勧めた。しかし、「いや、そういうことはいい。先生に任せるから」と取り付く島もなかった。心配で、自宅に電話して検査をお願いところ、それから1カ月ほどたって、ようやく別の医療機関での腹部CTの撮影に応じてくれた。

診療所に結果が届いても、その後、山田さんは確認に来なかった。大きな病院で精査が必要な結果であった。留守番電話になってしまったが、受診してほしいというメッセージを残した。しかし、その後の来院はなかった。患者の受診が途絶えることはたまにあることだし、無理に検査を勧めたので嫌がられたのかもしれない。他の医療機関を受診している可能性もある。山田さんもそうであってほしいと願った。

2度目の「よろしく」

季節が春に変わろうかというころ、山田さんが数カ月ぶりに診療所に姿を現した。大きな病院からの「紹介状」を持って。「訪問診療を頼みたい」とだけ言い残し、そのまま帰ってしまった。

それから、大急ぎで訪問スケジュールを調整し、山田さんの自宅を訪ねた。診療所に来ていない間に、自宅で倒れて病院の救急外来に運ばれ、末期の胆のうがんが分かったという。治療は望まないので、最期まで自宅で過ごしたいと伝えられた。

見晴らしの良い部屋の椅子に座る山田さんは少し痩せていたが、「そういうことだから、先生よろしく」と相変わらずの様子で、笑顔を見せてくれた。自分の銀行口座をどうするかやお墓のこと、家の小さな金庫の開け方まで、奥さんに細かく伝えたという。覚悟はすでに、しっかりと決まっていた。

変えられたのは「枕の位置」だけだけれど

在宅医療は、医師の力だけでは成り立たない。訪問看護師や訪問介護員の手が必要だ。患者さんと家族が、その人らしく暮らすためにケアマネージャーとも意見交換を重ねる必要がある。普段の診療以上に多職種との密な連携が求められる。この時も、どう関われば、残り少ない夫婦の時間を支えていけるのかを一生懸命考えた。

しかし、さすがは頑固な九州男児。快適に生活をしてもらうための提案でも、素直に受け入れてはくれない。奥さんが介護しやすいよう、ベッドの場所を変えることを提案しても「ここがいい」の一点張り。見守る奥さんは不安と申し訳なさの混じったような表情だ。結局、我々の提案で変わったのは「こっちの方が外の景色がよく見える」と勧めた、枕の位置だけだった。

意思を貫いた山田さん

訪問する度に、全身に浮腫や黄疸(おうだん)が強くなり、体はだるく、動くことすらつらい状態。しかし、「今までと同じように歩いてトイレまで行きたい」と言われた。ポータブルトイレは嫌だという。本人の考えを尊重するために、在宅医療に関わる皆さんと「転倒して起き上がれなくなった場合は誰が駆けつけるか」など、連携体制について話し合った。

そして24年の秋、とうとうその時が来た。診療後に自宅で夕飯を食べて一息ついた頃に、訪問看護師から電話が入った。「先生、呼吸が止まったようです」。急いで山田さんの家に駆けつけた。家族に囲まれ、安らかな表情で眠る山田さん。お別れのあいさつの代わりに一言、声をかけた。「頑固な山田さんらしく最期まで生きられたかな?」


私が医学生だった頃、大学では「患者をどう生かすか」ばかり教えられ、「死」については教わりませんでした。あれから40年が経ち、生きることも死ぬこともどちらも大切なことだと、日々感じます。

死と直面した時に覚悟を決めることは、誰もができることではありません。私だったら泣き叫ぶか、布団に潜り込んで出て来られないかもしれません。この覚悟は本人だけでなく、そばで見守り、見送ることになる家族にも求められます。目前に迫る死を見つめ、生き様を貫き通した山田さん、それを支え切った奥さんには感服するのみでした。

山田さんは、脚の悪い奥さんに代わって、家事や買い物も率先して行っていたと聞きました。移住後は、地域に馴染めるよう、町内会の草刈りなども買って出ていたそう。奥さんにとって、自慢の“おとうさん”でした。診療所の受診後に、二人仲良く、施設併設の総菜店で買い物をし、イートインで食事をしていた姿を今も鮮明に覚えています。

今年の正月は、山田さんからもらった焼酎を頂きながら、そんな九州男児の物語を夫にしていました。

PROFILE

田中 かつら

七浦診療所院長。
1959年、東京都目黒区生まれ。85年、川崎医科大学卒業。北里大学病院内科で臨床研修後、同病院神経内科研究員として勤務した。97年に医学博士号を取得。青溪会駒木野病院(東京都八王子市)老人性認知症治療病棟医長、鹿児島県大島郡医師会病院(鹿児島県奄美市)の非常勤医などを経て、2008年に千葉県南房総市で七浦診療所を開業した。廃校となった七浦小学校の校舎を改装し、17年に診療所を現在の場所に移転。介護、病児保育、日用品の販売などを行う施設を併設し、地域住民の暮らしを支えている。 趣味はダイビング(水中写真)、料理、音楽鑑賞、温泉巡り。夫はプロのパーカッショニストの田中倫明氏。夫婦で06年に南房総市に移住し、自然と向き合いながら生活している。

松鳥 むう(4コマ漫画 作画)

松鳥むうさんのプロフィールイラスト

イラストエッセイスト。
「離島」と「ゲストハウス」と「廃れてしまいそうな郷土料理&民俗行事」をめぐる旅がライフワーク。これまでに118カ所(2023年4月現在)の日本の島、100軒以上のゲストハウスを訪れた。その土地の日常の暮らしに、「ちょこっとお邪魔させてもらうコト」が好き。著書に『島旅ひとりっぷ』(小学館)や『島好き最後の聖地 トカラ列島 秘境さんぽ』(西日本出版社)、『むう風土記~ごはんで紐解く日本の民俗・ならわし再発見録~』(A&F)など。松鳥むうwebサイト

林 よしはる(4コマ漫画 原案)

林よしはるさんのプロフィールイラスト

七浦診療所総務職員、南房総市議会議員。
千葉県南房総市出身。1997年から吉本興業に所属し、高校の同級生であるマンボウやしろ氏(現在はラジオパーソナリティ、脚本家)と結成したお笑いコンビ「カリカ」のツッコミ担当として活動。2011年にコンビを解散し、事務所を退所したが、21年にマンボウやしろ氏と「ニューカリカ」を結成し、活動を再開した。現在も不定期でライブ活動や動画配信などを行っている。22年4月に南房総市議会議員に初当選した。