2022.06.21
一人しかいないへき地の医師が入院した場合、診療所はどうなるのでしょうか。群馬県長野原町へき地診療所の金子稔所長は、ある日突然、病気で入院することになりました。その時の気持ちや、診療所の対応などを振り返っています。
3月末に、具合が悪くなり1週間ほど入院した。体は強い方だと思っていたのに、突然のことだった。個人的な話なので、病気の詳細は伏せさせてもらうが、入院中の出来事や、入院を通して見えたへき地医療の課題を、書き残しておこうと思う。
文/金子稔
ある朝、目覚めると、明らかに調子が悪かった。「とりあえず仕事に行かねば」と、何とか勤務する群馬県長野原町の診療所に行ったものの、全く仕事にならず、近くの西吾妻福祉病院を受診することにした。その時は、ちょうど群馬大学医学部の学生が診療所へ実習に来ていたため、車で病院に送ってもらった。MRI検査をした結果、群馬大学医学部付属病院へ救急搬送となった。
「どうしてこんなことになっているんだろう」というショックから頭がぼんやりとしており、搬送中のことはあまり覚えていない。群大病院へ到着すると、ストレッチャーに乗せられ、再度さまざまな検査を受けた。気分は最悪だった。群大病院は、初期臨床研修を終えた後に計4年間働いていた古巣だ。顔見知りの先生も多く、「ああ、みっともないところを見せてしまっているな」と自己嫌悪に陥っていた。
ストレッチャーに乗ったまま救急外来で入院の手続きを待っている間に、妻と弟が駆け付けてくれた。妻は明るく振る舞っていた。「久しぶりに帰ってきたと思ったら、こんな状況なんて。ウケるね」。笑いながら言ってくれたことで、少し心が落ち着いた。
元同僚の看護師さんも声を掛けてくれ、改めて自分が「病気になったんだな」と実感した。自然と涙があふれてきた。「このまま医者を続けられるのだろうか……」。どん底だった。正直、この時は診療所のことを考える余裕はなかった。

入院して初めの2日間は、 点滴とモニターにつながれており、なんとか歩いてトイレに行ける状態で、安静にしていた。だが、その直後は入院期間中の代診医を確保する必要があったため、けっこうバタバタした。
担当している長野原町の新型コロナワクチンの集団予防接種に関しては、幸い、西吾妻福祉病院から代わりの人員を確保できると連絡が入った。しかし、年度末の異動の関係で人手が足りず、診療所の代診医はしばらく未定のままだった。個人的な知り合いを頼るしかなく、群大に勤務する自治医科大学の後輩に連絡してみた。すると、快く引き受けてくれ、本当に救われる思いであった。
代診医が決まるまでは数日、診療所を休診しなくてはならなかった。町の防災無線でその旨を放送したところ、問い合わせが診療所に数多く寄せられたという。「診療所はいつまで休むんだ?」「これからどこに通院したらいいのか?」などの声が多かったと聞く。どのような問い合わせがあったとか、在宅療養中の患者に体調変化があったかなどを確認するために、診療所の看護師とは密に連絡を取っていた。

ただ、体調の悪い中で自分で代診医を探して手配し、その間、患者のことを気に掛けて診療所と連絡を取り続けるのは、正直つらかった。
私の不在の影響が、これまで気づかなかった部分にも及ぶことが分かり、深く考えさせられる出来事もあった。
入院中、介護施設に入っている家族の在宅看取りを希望する方からの依頼が、ケアマネージャー経由で入った。私の退院日は決まっていたので、何とか対応できると判断し、引き受けた。だが、退院する前に、その方は施設で亡くなった。私が病気になっていなければ、自宅で最期を迎えられたのではないかという思いを抱えながら、後日ご家族に電話をした。
実は、入所していた施設でコロナ感染者が見つかったため、その方は施設を出られなかったということだった。結局、私が入院していなかったとしても、結果は同じだったのかもしれない。でも、もし働けていたら、やれたことがあったのではないかとも思ってしまう。自分が動けないことで、悲しい思いをする人たちが生まれてしまうかもしれないのだと痛感した。
1週間の入院生活が終わり、退院した翌週には職場に復帰した。まあ、2週間も休んでいると仕事はたまっている。まだ本調子ではなかったが、復帰するということは体は問題ない状態なのだと自分を鼓舞し、数日間はいつも以上に気合いを入れた。
通院してくる患者さんは「先生、頑張りすぎないようにしてね」と言葉を掛けてくれ、中には「先生がいないと私は医者には掛からない。先生がいなければ今の治療は受けません」という大胆な発言をする人もいた。「休憩の時に読んで」と手紙を手渡してくれる患者さんもいたし、診療所に「町民より」と書かれた便せんも届いた。手紙には私への感謝の気持ちが書かれていた。うれしいような、くすぐったいような気持ちになると同時に、改めて「頑張ろう」と思った。

患者としての入院体験は発見の連続で、言い方は変だけれど、興味深いものだった。
入院直後のほとんど身動きが取れない状況と、その後の代診医の手配が終わると、入院中は思いのほか時間を持て余した。朝はいつも通り午前5時には起き、気持ちを前向きにするためにも少し体操をして、いつでも復帰できるように準備をした。でも、それ以外は特にやることがない。だから、よく耳にする「入院中は食事の時間が唯一の楽しみだ」という話は、まさにその通りだった。
そして、患者から見る看護師さんは、普段一緒に仕事をする看護師さんとは全く違って見えた。検温の時間に看護師さんが優しく声を掛けてくれ、本当に「天使」のように感じられた。
お見舞いに来てもらう体験も新鮮だった。元の職場なだけあって、研修医時代の同期の循環器内科医や、救急科の先輩や後輩、母校の自治医科大学の同級生や先輩が病室に顔を出してくれた。なんと、最初にお見舞いに来てくれたのは救急医学(救命救急センター)の教授だった。私は群大病院の救命救急センターの医局を飛び出して診療所で働いている身なので、まさか気に掛けてくれているとは思っていなかった。その時はすごく驚いたし、さすがに緊張した。モニターに映し出される心拍数が急に上がったほどだ。

教授をはじめ、お見舞いに来てくれた皆さんが「働きすぎだよ。休みなさい」と温かい言葉を掛けてくれた。元気な時も同じ言葉を掛けられることはあるが、それとは全く違う感じで、心にしみた。
自分が病気になり入院したことで、へき地医療には、もろさがあるということを実感した。医師が少ない地域だからこそ、医師一人当たりの業務の量は多く、範囲が広い。毎日の診療のほかにも、予防接種、介護認定審査会の委員、産業医としての面談、学校医など、医師でなければできない仕事を抱えている。職種を越え、連携を取ってはいるが、やはり医師の権限と負担は大きなものがあると感じる。
今回はどうにか代診をしてくれる医師が見つかったが、たくさんの業務を一人で抱える医師が働けなくなってしまった場合に、手を貸せるほどの余力がある医師が必ずいるとは限らない。だからといって、いつ起こるか分からない出来事に備えるために人員を増やすのは、財政面から難しい。へき地の診療所同士や近隣の病院が連携し、有事の際にスムーズに補い合えるような体制を作っておくことが必要なのではないかと思う。

これまで、「頼まれたことは断らない」をモットーとして仕事を続けてきた。しかし、そのために無理を続けてきたことが今回のことにつながった可能性がある。業務の優先順位をつけて、もう少し肩の力を抜いて仕事をしていかなければ、一番大切にしている「へき地医療の継続」が揺らいでしまうと、考えさせられた。
また、「患者」になったことで、得られたこともある。入院中、さまざまな患者の気持ちに思いを巡らせた。病気の先行きに対する不安。慢性疾患や後遺症がある人の苦しみ。不便さを克服するための努力。すぐに大きく変わることはできないかもしれないけれど、以前よりも、患者に寄り添えるようになりたいと感じた。
何はともあれ、周囲からも今以上に信頼される「お医者さん」になれるように、まずは自分と向き合おう。そう思った。
群馬県北西部に位置し、山林・原野が町の80%を占める。5409人、2509世帯(2021年9月)が暮らし、高齢化率は32.8%(15年。全国平均は26.6%)。前橋市まで車で1時間強、東京都心までは3時間弱。温泉や牧場、ゴルフ場やキャンプ場があるほか、町の南部の北軽井沢地区は別荘地で、夏場は蜂に刺された人やレジャーでけがをした人がへき地診療所に訪れることもある。長野原町ホームページ

1984年、前橋市生まれ。2011年に自治医科大学卒業後、13年に群馬大学医学部付属病院で初期研修を修了。同院救急部を経て15年、長野原町へき地診療所の所長に就任。勤務しながら、17年には群馬大学大学院医学研究科で博士号を取得している。趣味は家庭菜園、野球、ボウリング(ベストスコアは238)、ランニング(月間250㎞走ることも)、ダイエット(96㎏→70㎏)。「汗をかく。人の2、3倍頑張る」がモットー。
