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2022.04.07

【金子稔医師】在宅医療について(第4回)

在宅医療を希望する人の数は全国各地で増えています。在宅医療を希望する全ての患者の望みをかなえるには人手もシステムも不十分という状況の中、群馬県の長野原町へき地診療所の金子稔所長は、ある葛藤を抱えながらも、患者やその家族に寄り添っています。

高齢化が進むにつれ、在宅医療を希望する人の数は全国各地で増えている。私が勤務する群馬県長野原町も、例外ではない。自宅で介護を受けるのが当たり前になっているように、自宅で医療が受けられるのも、当たり前でなくてはならない。だが、現状では在宅医療を希望する全ての患者の望みをかなえるには、人手もシステムも不十分だ。そのような状況の中で、担当する患者さんやその家族に寄り添いながら、もっと多くの人が、この町で在宅医療を受けられるようにするための方法を模索している。

文/金子稔

診療所が行う在宅医療の現状

長野原町へき地診療所に着任した2015年当初から、訪問診療を行っている。患者の病状に応じて1~4週に1回、診療する。着任当初は、全ての患者を合わせても月5回ほどであったが、今では15人前後の患者を受け持ち、月20~30回ほど訪問している。

在宅医療を受ける患者さんは、がんの終末期や慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD)、認知症の方が多い。中には、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの難病を抱えている方もいる。在宅医療を専門に行っている医療機関と比較すると、診療所で扱う症例数は少ないが、疾患としては多様だ。がんの末期患者には疼痛(とうつう)管理、COPDや慢性心不全の患者には症状に応じて在宅酸素の処置を行うことが多い。認知症の方には場合によって、経管栄養などを行う。時には、胸腔穿刺(せんし)や腹腔穿刺なども施してきた。

往診に持っていく道具=筆者提供

在宅医療を選ぶそれぞれの理由

在宅医療を選ぶ理由はさまざまだ。がんの末期だった70代の女性は「一生懸命治療を受けてきたけど体がしんどくなってきたので、残された時間を自宅で家族と過ごしたいです」と本音を漏らしていた。COPDを患っていた80代の男性は「家の中を動くだけで苦しい。遠い病院に行くだけで死にそうになる。それだったら家で楽に暮らしていたい」と切実に訴えた。

レアケースだが、町の保健師からの要請を受け、訪問診療を始めることもある。独居の80代女性が認知症により生活が成り立たない状態だったところを、民生委員が発見した。連絡を受けて自宅を訪れたところ、腹水がたまっており、がんが見つかったのだ。親戚も遠方だったため、訪問介護・看護を使いながら、診療に当たった。

「攻め」の在宅医療

「10年7カ月、寝たきりで声も出ない主人を介護しました。最期の3日は、容体が気になって時間もかまわず電話しては、訪問介護スタッフやへき地診療所の医師にお世話になりました。驚いたのは、先生が主人のお尻の世話まで手伝ってくれたことです」。これは、在宅医療を行った患者さんの奥さんが新聞に投書した文章を抜粋したものだ。

患者さんの奥さんが投書した新聞記事の切り抜き=筆者提供

長野原町での約7年間の中でも、在宅医療下で積極的な治療がうまくいったケースとして、この患者さんに行った診療を紹介したい。

患者さんは80代男性で、気管切開を行っており、胃ろうが造設されている要介護5の方だ。2010年の冬に、くも膜下出血で倒れて以降、自宅で奥さんが介護していた。私が訪問診療を開始したのは、20年の春頃。自宅近くの診療所に自家用車を使って通院していたが、誤嚥性肺炎で入院してから徐々に全身状態が悪くなり、通院が困難になった。通っていた診療所は訪問診療に対応していなかったため、隣町にある私の診療所で診ることになったのだ。

以前の担当医から引き継いだ情報によると、余命は短く、在宅看取りを行う方針とのことだった。20年5月、初回の訪問を行った際、「もって1カ月くらいかな」と私も思っていた。だが、奥さんは「夫が倒れたときに、10年間介護するって決めたんです。だから頑張りたいんです」と力強く言った。「20年8月末まで頑張る」が家族の目標だった。

訪問診療を通し、医師として成長

レントゲン写真を見ると胸水の貯留が顕著で、エコーで見ても明らかだった。入院して治療するのが一般的だが、奥さんと息子さんと相談したところ、「コロナ下だと面会が制限されてしまうので、家でできる限りのことをしてほしい」ということだった。そこで、自宅で胸腔穿刺を行うことを決めた。病院では経験がある処置だが、患者の自宅でやるのは初めてだった。うまくいき、穿刺後は呼吸回数も落ち着いて、酸素化も改善した。状態が安定したことで私もうれしかったし、何より奥さんと息子さんの安心した表情が忘れられない。

在宅医療の処置に使う器具=筆者提供

その後も訪問診療を継続し、発症から10年を迎えることができた。なんと、家族の運転する自家用車で、私のいる診療所へ通院できるようにもなった。奥さんは「夫が少しでも元気でいられる期間ができて、ホッとした」と笑顔を見せてくれた。2021年3月末、だんだんと全身状態が悪くなっていき、最終的には自宅で最期を迎えられた。

在宅医療でどこまでの措置をするのか、明確な決まりはない。もちろん設備も整っていない状況でできる手技は限られている。現状を維持していくのか、状態を少しでも改善するために処置をするのか――。慢性期の疾患であれば判断は難しい。医療的な介入が、状態を悪化させることもあり得る。だが、少なくともこの時は積極的な介入をして、患者さんの状態を少しでも良く保つことができた。胃ろうの管理などは在宅で行ったことがなかったため、介護経験の長い奥さんに教わった部分もある。訪問診療をしていたのは1年に満たなかったが、患者さんと家族に成長させてもらった、濃密な期間だった。

在宅医療で使う点滴用の注射針=筆者提供

患者・家族の心の変化と医師の葛藤について

在宅医療のゴールは、必ずしも在宅看取りではない。患者本人と家族が穏やかでいられて、最期の場所として望むのが自宅であれば、ゴールは在宅看取りにもなるだろうが、病院を希望する人もいる。

「病院よりも家が落ち着くから」「最期まで家にいさせてあげたい」と、患者本人や家族が希望して在宅医療を始めた場合でも、病状が悪化していく中で、特に家族の考えが揺らぐことがある。「苦しそうだから、やっぱり入院させた方がいいのではないか」という思いが湧いてくるのだ。重い病気を患っている時にはなおさらだと思う。もちろんその時は、苦痛が少しでも小さくなるよう手は尽くす。それでも、家族はとても不安なのだ。

「つらそうだから入院したほうがいいのでは」と家族が思っていても、患者は家で家族と過ごしたいと思っていることがある。そんな時、我々医師は、ブレることなく、しっかり時間をかけて家族に寄り添い、話し合うようにしている。家族の思いも受け止めながら、患者本人の希望を第一に、方針を決めていくことが必要だ。

医師としての判断がブレることはないが、葛藤はある。患者の病状や介護をする家族の事情、病院の設備など、あらゆる条件を考慮して、入院した方がいいのか、在宅の方が快適に過ごせるのかを、経験と知識に基づいて、その時々で判断をしている。

例えば、患者さんの状態としては介護者がいれば在宅医療でも大丈夫だが、患者さんも家族も高齢なので介護をするのが難しいというケースがあった。しかも保険が適用されるため、入院した方が費用は抑えられる。この場合はやはり、入院するのが妥当だ。ただ、家族の介護力や自宅の環境をどうすることもできないことは分かりつつ、「本当はずっと自宅で過ごせたらいいのにな」という思いが駆け巡る。

この葛藤は在宅医療には付き物だし、葛藤の末に判断するからこそ、在宅を選択した場合は、診療で少しでも苦痛を取れるようにしようとか、看護師や介護士と連携を強めて患者の家族をフォローしようと、思うことができるのだ。

在宅酸素療法で使われることもある酸素ボンベ

在宅医療を始めて回復した患者

在宅医療を始めてから、患者さんの回復力に驚かされたこともある。70代男性の方だ。

「夫がトイレで倒れてるんです」。ある日の夕方、診療が終わって一息ついている時に、電話があった。現場は、診療所から5分の住宅。奥さんには救急車を要請するように指示してから、看護師と一緒に駆けつけた。男性は意識はないが、痛み刺激で反応がある。呼吸もしている状態であった。脳出血が疑われた。しばらくして救急車が到着し、高次医療機関へ搬送された。診断は「くも膜下出血」だった。

3カ月の入院後、退院を希望され自宅へ帰ってきた。担当ケアマネージャーと共に訪問すると、男性は経管栄養をして、膀胱バルーンカテーテルを入れた寝たきりの状態。意識はあるが、話すことはできない。奥さんは「庭が歩けるようになるまで回復させたい。話せるようにしてあげたい」と、自宅での介護に強い意欲を示していた。在宅でのリハビリを早々に開始した。理学療法士、言語聴覚士による訪問リハビリとデイサービスを利用し、訪問看護師も入った。みんなで話し合い、今後のリハビリの方針や注意点も共有した。

徐々に嚥下(えんげ)ができるようになり、食事も少量なら取れるようになったころ、奥さんから衝撃の発言。「カツ丼食べたんですよ」。「え? マジですか?」。驚きとともに、内心は不安であった。その時は、無理をさせないようにきつく注意をした覚えがある。

訪問診療を始めて1年ほどたったある日、男性にあいさつすると、「お世話になります」と本人から言葉が返ってきた。また、ある日は、歌が歌えるようになったと奥さんから言われた。好きだという歌手の動画を見せると、しっかりとした声で歌っていた。すごい回復力だと本当に驚いたし、うれしかった。これからの目標を本人に聞くと、「ラーメン屋でラーメンを食べたい」という。ぜひ叶えてあげたい。

患者さんと=筆者提供

「家」の力 一人でも多くの人に在宅医療を届けたい

「家」に秘められた力にも驚かされることがある。病院や診療所で診る時と比べ、患者さんの表情が穏やかになったり、空気が柔らかい感じになったりする。我々の行う支援が、患者にとって「何てことのない生活の一部」と感じられるようにしたいと思っている。

ただ、欲を言えば、主治医と副主治医をつけて、訪問診療ができればベストだ。マンパワーのことを考えるとそれも難しいので、少しでも気持ちの余裕をもって診療に当たれるよう、これからは緩和ケアのテクニックを磨いていきたいと考えている。痛み止めの使い方のバリエーションを増やしたり、終末期の食欲不振や全身の倦怠(けんたい)感の緩和をうまくできるようにしたりしたい。地域全体を診る診療所の医師として、緩和ケアだけに時間を割くことはできないが、先輩医師や書籍から知識を吸収していきたい。

病院からこの町に、自宅に、安心して戻って来られる人を一人でも増やしていくことが使命だと思っている。

長野原町について

群馬県北西部に位置し、山林・原野が町の80%を占める。5409人、2509世帯(2021年9月)が暮らし、高齢化率は32.8%(15年。全国平均は26.6%)。前橋市まで車で1時間強、東京都心までは3時間弱。温泉や牧場、ゴルフ場やキャンプ場があるほか、町の南部の北軽井沢地区は別荘地で、夏場は蜂に刺された人やレジャーでけがをした人がへき地診療所に訪れることもある。長野原町ホームページ

毎年4月から5月にかけて町内各地の神社で、祭りが行われる。伝統の「太々神楽」が受け継がれている=つなぐカンパニーながのはら提供

PROFILE

金子稔(かねこ・みのる)医師

1984年、前橋市生まれ。2011年に自治医科大学卒業後、13年に群馬大学医学部付属病院で初期研修を修了。同院救急部を経て15年、長野原町へき地診療所の所長に就任。勤務しながら、17年には群馬大学大学院医学研究科で博士号を取得している。趣味は家庭菜園、野球、ボウリング(ベストスコアは238)、ランニング(月間250㎞走ることも)、ダイエット(96㎏→70㎏)。「汗をかく。人の2、3倍頑張る」がモットー。

金子医師プロフィール写真