2021.11.29
「先生。家に最期までいられて、おふくろは幸せだったと思うよ。本当にありがとう」
群馬県の長野原町へき地診療所に勤める金子稔医師は、初めて在宅看取(みと)りをした時に、患者の息子さんにこの言葉をもらったから、今もへき地での在宅看取りを頑張っていると語っています。
「先生。家に最期までいられて、おふくろは幸せだったと思うよ。本当にありがとう」
医師になって5年目の2015年4月、群馬県の長野原町へき地診療所に着任した。その年の秋、初めて在宅看取(みと)りをした時に、患者の息子さんからもらった言葉。この言葉があったから、今もへき地での在宅看取りを頑張っているのだと思う。
文/金子稔
診療所勤務の前は、大学病院で救急を担当していた。救急搬送後すぐに病院で亡くなる方や、心肺停止で搬送されてくる方をたくさん見てきた。その中には、自宅で寝たきりで過ごしていて急変した高齢者なども多くいた。人工呼吸器につながれ、モニター管理された状態で迎える最期。そんな状況を目の当たりにする中で考えていた。「人は、こんなに寂しく死んでいかなくてはならないものなのか。自宅で家族に見守られながら、最期までその人らしく生きてほしい」
診療所に着任した年の夏、在宅療養をしている102歳の女性の訪問診療を引き継いだ。ずっと長野原町で暮らしてきた人だ。認知症が進行していて何とか会話ができる程度で、介護レベルは最も重い「要介護5」。それまでは家族の献身的なサポートの下で、診療所から車で15分ほどの位置にある拠点病院、西吾妻福祉病院の訪問診療を受けていた。担当医師の転勤に伴い、女性の自宅から近い私の診療所に依頼がきたのだ。
引き継ぎを終えて1週間くらいが過ぎた日、ご家族から「ばあちゃんが熱を出してしまって。先生来てくれますか」と連絡があった。往診を行うと38度の熱があり、意識の混濁があった。ご家族と、入院させるか、自宅でできることを行うかの相談をした。いずれの場合も、年齢や体力を考えると、亡くなる可能性は高いと伝えた。ご家族からは「ばあちゃんは家にいることが好きな人だから入院はさせないでほしい。先生にお任せして、自宅でできることをお願いしたい」という意向を伝えられた。
当時、もちろん私自身は、在宅での看取りの経験はなかった。体制が整っていなかったため、診療所でも10年ほど前から行われていなかった。ずっと頭の中にあった在宅看取り。医師が一人しかいない診療所で行うのは勇気が要ったが、気合いを入れて決意した。

本人と家族の希望を尊重した看取りを行うために、風呂やトイレをどうしているか、どんなことを大切にしているかなど、まずは話を聴くところから始めた。訪問診療を週2、3回ほど行い、初めての在宅看取りに向けて奮闘した。発熱は誤嚥<ごえん>性肺炎によるものか、尿路感染症によるものかは不明だったが、抗生剤投与で徐々に解熱した。しかし、食事はほとんど取れない状態で、だんだんと尿量も減っていた。着実に最期が近づいていることが見て取れた。ご家族もそれを察していたのだろう。「点滴はもうしなくていいが、それで問題はないか」「息をしてなかったらどうしたらいいか」という相談があった。ご家族が抱える不安にできる限り丁寧に答え、「何か困ったことがあれば、僕か訪問看護師に連絡をください。いつでも大丈夫ですよ」と伝えた。
それから2週間後、女性が息を引き取った。最初の訪問診療から1カ月、食事が取れなくなってから2週間ほどが過ぎたころだった。その時、私は栃木県で開かれたある研修会に参加していた。女性が亡くなったと家族から連絡を受け、最初に自宅に駆けつけた訪問看護師が知らせてくれた。
すぐにでも女性と家族の元に向かいたくて、正直、研修会どころではなかった。しかし、途中で抜けることはできず、その日の研修日程が終わってから、高速道路を3時間かけて女性の家まで向かった。到着したのは午後9時ごろになってしまった。それでも、ご家族と親族は待ちくたびれた様子を見せることもなく、総出で温かく出迎えてくれた。
10人を超える家族と親族に見守られながら、死亡確認を行った。ご家族は口々に「本当に家で最期を迎えられて良かった。本人も喜んでいると思います。先生、お世話になりました」と言ってくれた。でも、在宅看取りには何よりも家族の協力が必要だ。「大変だったでしょうが、住み慣れた家で最期を迎えられたのはご家族の皆さんのおかげです」と声を掛けた。

研修会の残りの日程に参加するために栃木県へ戻る車の中で、いろいろなことを考えた。これから長野原を、最期の場所として「自宅」という選択肢があるような地域にしていかなければならない。診療所ができることは微々たることかもしれないが、望む人がいるのであれば、最も慣れ親しんだ落ち着く場所で、安心して最期を迎えられるように頑張っていこう。
へき地医療ではどのような看取りができるのか。高齢化も進み医療需要が大きくなっているが、人口5000人程度の町では医師や看護師、ケアマネージャー、介護士などの専門職の数も少ない。本当に自分は在宅看取りと正面から向き合えるのか。不安があった。できる限りのことをしようと、終末期専門士の資格を取ったり、緩和ケアの講習会に参加したりして知識を身につけたほか、点滴の速度を調整する機器を購入するなど設備面での整備も進めた。
そして徐々にではあるが、在宅看取りを希望する人が増え、6年半で26人の最期を見届けた。100歳を超えた方、がんとの闘病の末に自宅での最期を選んだ方、難病と闘いながら自分らしく生き抜いた方。皆さん、たくさんのことを教えてくれた。
在宅看取りを始めた当初は、点滴や血液検査など「何かをすること」が必要だと考えていた。しかし、症例を重ねるうちに、患者にとっては苦痛であるそういった行為をしないことの方が良い場合があることに気づいた。患者の苦しみをできる限り取り去ること、家族に過剰な負担を掛けないように、専門家によるサポートを必要な時に提供できる状態を作っておくこと。それが、在宅看取りには重要なのだ。
私たち医療者が1回の訪問診療にかけられる時間は、30分から1時間程度。限られた時間で今後の見通しや病状の説明をしなければならない。そんな中でも、患者さんの想いをしっかり聴くこと。患者と家族のそばにいること。そうすることで「最期は家にいられるよ」という安心感を提供しなければならない。
自宅で最期を迎えたい、迎えさせたいという要望に完全に応えられるようにするために、私が一人でできることは限られているかもしれない。でも、少しずつでもそれに近づけていくことはできると信じている。西吾妻福祉病院との連携強化など、まずは医療体制の構築に力を注いでいくつもりだ。

※金子医師には月に1回、へき地医療の現状や長野原町の暮らしぶりについて、伝えてもらいます。
「人生の最期は慣れ親しんだ自宅で迎えたい」という思いを持つ人が多いようですが、実際のところは病院で亡くなるケースが大部分です。その思いをかなえるには、在宅医療体制の整備をさらに進めることで、患者や家族への負担を軽減する必要がありそうです。
厚生労働省の調査によると、「最期を迎えたい場所」を「自宅」「医療機関」「介護施設」の中から選んだ場合、「自宅」と答える人の割合が一番大きかったといいます。「末期がんを患っているが意識や判断力は健康な時と同様」「重い心臓病が進行し、介助が必要だが意識や判断力は健康な時と同様」「認知症で家族の顔が分からず、衰弱も進んでいる」と場合分けした設問に対して、それぞれ70%前後が「自宅」を選びました。
実情として近年、医療機関で亡くなる人の割合が減少しており、反対に自宅、老人ホーム、介護老人保健施設などが微増傾向にあります。ただ、「最期は自宅で迎えたい」という人が多いのに対し、医療体制が追い付いていないのが実態です。在宅での看取りを行っている医療機関は2008~17年の間で全国的に年々増加しているものの、病院が583施設、診療所が4729施設とそれぞれ全体の約5%にとどまっています。

できることなら最期まで自宅で過ごしたいけれども、現実問題として難しいと考えている人が多そうです。厚労省の別の調査で、最期まで自宅で療養することを「実現可能」と考えている一般層の割合は6.2%でした。一方で、医師は26%、看護師は37%、介護士は19.3%と、医療・福祉従事者の方が前向きに捉えているようです。困難だと考える理由は「介護してくれる家族に負担がかかる」「症状が急変したときの対応に不安がある」が上位に挙がっています。
文/編集部・金子省吾
出典:2017年「人生の最終段階における医療に関する意識調査」「医療施設調査」、15年「人口動態調査」(いずれも厚生労働省)
群馬県北西部に位置し、山林・原野が町の80%を占める。5409人、2509世帯(2021年9月)が暮らし、高齢化率は32.8%(15年。全国平均は26.6%)。前橋市まで車で1時間強、東京都心までは3時間弱。温泉や牧場、ゴルフ場やキャンプ場があるほか、町の南部の北軽井沢地区は別荘地で、夏場は蜂に刺された人やレジャーでけがをした人がへき地診療所に訪れることもある。長野原町ホームページ

1984年、前橋市生まれ。2011年に自治医科大学卒業後、13年に群馬大学医学部付属病院で初期研修を修了。同院救急部を経て15年、長野原町へき地診療所の所長に就任。勤務しながら、17年には群馬大学大学院医学研究科で博士号を取得している。趣味は家庭菜園、野球、ボウリング(ベストスコアは238)、ランニング(月間250㎞走ることも)、ダイエット(96㎏→70㎏)。「汗をかく。人の2、3倍頑張る」がモットー。
