2021.12.24
へき地で働く医師はどのような仕事や生活をしているのでしょうか。群馬県長野原町へき地診療所の金子稔医師は「町の人たちとの距離の近さ」を特徴の一つに挙げます。金子医師のとある一日のスケジュールも掲載しているので、ぜひご覧になってください。
毎年、勤労感謝の日は、特別元気をもらう。近くのこども園の園児のみんなが診療所に来て、感謝の言葉と手作りのプレゼントをくれるのだ。診療所の入り口に約20人の園児が並び、元気いっぱいに声をそろえて言ってくれる。「せんせい、いつもありがとう。これからもおしごとがんばってください」。年々、涙をこらえるのが大変になってきた。この町に来て、乳児から100歳を超えるお年寄りまで診ている。皆さんから頂いた手紙や贈り物は、大事に診療所に飾ってある。地域の方々との距離の近さはへき地ならではかもしれない。
文/金子稔

母校である自治医科大学の卒業生は、基本的にはまず出身地の都道府県で働き始める。自治体にもよるが、群馬県の場合は、2年の初期研修を含め病院で4年、へき地診療所で3年、再び病院で2年勤務することが一般的だ。県内での勤務が6年目を迎えるタイミングで、同期卒業の医師同士で話し合い、空きがある診療所に赴任する。私の時は同期は3人で、それぞれの適正を考慮し、決めた。長野原町へは研修で数回行ったことがある程度。でも、不安よりもわくわく感が勝っていた。
2015年4月、長野原町へき地診療所に着任した。その年の夏ごろ、3年だった任期を4年に延長してもらえないかと町長に申し出た。まあこれはある程度「勢い」というもの。ただ、2年目には10年やらせてくださいと再度申し出た。10年かけて、自分がいなくなった後も回っていくような医療体制を作りたいという思いがあったのだ。へき地診療所に10年も勤務する医師は極めて珍しい。町長は「え、そんなに長くいて大丈夫なの」と面食らった様子だったが、快くOKしてくれた。
へき地診療所の仕事の特徴の一つは、診療科にとらわれず、あらゆる年齢の人を診ることだ。家族丸ごとを一人で診療する。なので、風邪をひいた子どもを連れてきたお母さんに「おばあちゃんはちゃんと薬飲んでいますか」と、確認することもある。また、こども園、小中学校と、年代をまたいで園医・校医を務めているのもへき地ならでは。着任当初、子どもたちは見慣れない医師に緊張していた様子だったが、すぐに顔なじみになった。
園児の予防接種では、「先生、痛くしないでね。いつもの痛くない注射にして」という子、「一人でできるもん」と自信たっぷりに椅子に座って一生懸命涙をこらえる子。みんな愛らしい。登校する中学生は、私を見つけると元気にあいさつしてくれる。そんな子たちが小学生、中学生、高校生とだんだん成長していく姿を見るのも、長くへき地診療所にいる醍醐味だろう。
住民の方々と接する機会は、仕事以外でも多くある。草野球のナイターリーグ、ソフトボールなどで体を動かしたり、真冬の朝5時から温泉のお湯をかけ合う奇祭「湯かけ祭り」に臨んだりと、行事にも喜んで参加している。コロナ禍以前は町の人とよく酒を飲んでもいた。もっと町のことを知りたいと思い、いろいろな人たちと話をさせてもらっている。

長野原に来て3年が過ぎたころ、町立図書館で「北軽井沢30年史」という本を見つけた。北軽井沢の開拓の歴史が書かれていた。「軽井沢」というと、避暑地で有名な長野県の町というイメージが強いと思うが、その一部の北軽井沢は長野原町なのだ。貸し出されていない本だったため、途中までしか読めず、その日は図書館を後にした。
ある日、90代の女性の自宅を往診すると、本棚にその本が置いてあった。続きが気になっていたので貸してもらった。戦後、満州から引き揚げた人々が、山林だった北軽井沢の土地を開拓し、酪農ができるまでにしたという。その過程が鮮明につづられ、開拓に奮闘した人たちの名前も記されていた。貸してくれた女性や、診療所へ通院している方の見慣れた名前もあり、驚いた。町の風景と身近な人の存在が結び付き、町への愛着が深まった気がする。
本のことや昔のことを聞くと、みんな目を輝かせて話をたっぷりとしてくれる。ある90代の男性は「あの道は俺が作ったんだ。俺がいろんな人たちに交渉して広い道路を作ったんだ。先生、往診行くときに通りやすいだろ」と自慢げに語った。往診に向かうため車を運転していると、よくその言葉を思い出す。今の豊かな時代があるのは、大変な時代を生き抜いてきた人たちのおかげなのだとつくづく思う。
写真をたくさん見せてくれる人もいる。浅間山の噴火、北軽井沢マラソン大会、夏祭り。何十年も昔の写真から最近の写真まで、次から次へと出てくる長野原の記録に私や看護師が驚くと、満足そうににんまりする。温かいな、と私も満面の笑みを浮かべる。何となく、居心地が良い。


町の人たちの支えになりたいと日々診療を続けながらも、最初は自分が空回りしているのではないかという不安があった。月に1度通っている出張診療の女性患者さんから手紙をもらったのは、そんな思いを抱えながら過ごしていた、着任から半年が経った頃だ。手紙は「先生の笑顔を見るだけで元気が出ます。この先もよろしくお願いします」という内容だった。涙が出そうなくらいうれしかった。「私はここにいていいのだ」と確信した。
誰かに必要とされることは、人間を元気にする。この町で必要とされ続けるために、「自分に求められていることは何なのか」と自問自答を繰り返す日々だ。
町の人から「どうして長野原で長く働こうと思ったのですか」と尋ねられることがある。単純に、長野原町が「何となく」好きだからだ(本当は「大好き」と言ってしまいたいのだが、なんだか恥ずかしいので、「何となく」)。
専門は何かとも聞かれる。専門医の資格はないが、プライマリケア認定医は取得しているため、総合診療と言ってもいいのだろう。でも、それはしっくりこない。30歳近く年上の同郷の大先輩が、自分が担当していた地域の名前を挙げ、それが自分の専門だと話していた。その表現を拝借し、堂々とこう答える。専門は「長野原町」だ。
群馬県北西部に位置し、山林・原野が町の80%を占める。5409人、2509世帯(2021年9月)が暮らし、高齢化率は32.8%(15年。全国平均は26.6%)。前橋市まで車で1時間強、東京都心までは3時間弱。温泉や牧場、ゴルフ場やキャンプ場があるほか、町の南部の北軽井沢地区は別荘地で、夏場は蜂に刺された人やレジャーでけがをした人がへき地診療所に訪れることもある。長野原町ホームページ

1984年、前橋市生まれ。2011年に自治医科大学卒業後、13年に群馬大学医学部付属病院で初期研修を修了。同院救急部を経て15年、長野原町へき地診療所の所長に就任。勤務しながら、17年には群馬大学大学院医学研究科で博士号を取得している。趣味は家庭菜園、野球、ボウリング(ベストスコアは238)、ランニング(月間250㎞走ることも)、ダイエット(96㎏→70㎏)。「汗をかく。人の2、3倍頑張る」がモットー。
