2022.02.01
感染防護具を手作りしたり、発熱患者を診るための診察室を設置したり――。新型コロナが国内で感染拡大してから約2年間、へき地の診療所はどのように対応してきたのでしょうか。群馬県長野原町へき地診療所の金子稔医師が、これまでの歩みを振り返っています。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が国内で流行してから、もうすぐ2年になる。群馬県長野原町へき地診療所に赴任してからの7年間で、最も忙しい期間だった。考えたくはないが、今回のような災害級の事態が再び起こることがあるかもしれない。何かの参考になればと思い、へき地の医療現場で行ってきたこと、感じたことを記しておくことにした。
文/金子稔
2019年12月、中国・武漢で未知のウイルスが発見された。厚生労働省や群馬県、吾妻郡医師会からは、注意喚起や感染対策についての情報が、続々と送られてきた(これまでに届いた資料をとじたファイルは10冊ほどになった)。メディアは、未知の感染症が猛威を振るっていると連日報道していたが、この時点ではまだ、どこか遠いところの話だと感じていたように思う。
流れが変わったのは20年2月。3711人を乗せ横浜を出港したクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で、集団感染(結果的に712人が感染したとされる)が確認された。「感染が広まった時に、うちではどうやって診療をしていくんだろうか」と、途端に現実味を帯び始めた。通院中の患者さんからは、4月初旬に緊急事態宣言が発出される少し前の段階で、「熱が出た時はどうすればいいのか」「電話再診はできるのか」と尋ねられた。じわじわと町全体に不安が広がっていったように思う。
重症化率や死亡率などがはっきりとは分からない状況の中、ウイルスと対峙するのは、医療従事者であっても怖い。発熱患者の診察を行っていくのかどうかを含めて、新型コロナの対応について、診療所のスタッフと話し合う必要があった。ただ、自分の中で答えは決まっていた。医療機関として、へき地の診療所として、具合が悪い時に一番に頼れる存在でなければならない。勤務する看護師3人と事務職員2人を集めて、考えを尋ねた。
「やりましょう。発熱患者とそれ以外の患者の動線をどう分けますか」。即答だった。みんな同じ思いを持っていることに、安心したのを覚えている。「今が、診療所として本領を発揮する時だと思う」と伝えた。

発熱患者を診ると決めたはいいが、診療所には、ガウン、マスク、キャップなどの感染防護具が圧倒的に不足していた。しばらくは、長野原町役場から感染防護具を回してもらっていた。2009年に新型インフルエンザが流行した際にそろえたものだ。それでも足りないので、一時は看護師の手作りのガウンを使っていたこともある。動画投稿サイト「YouTube」にアップされた動画を参考にして、大きなゴミ袋を裁断して作ったのだ。緊急事態宣言が出た後に、厚労省からの感染防護具の配給が始まり、ようやくまかなえるようになった。今ではマスクは2300枚、ガウン1600枚ほどの十分な備えがある。思い返すと、当時は本当に大変だった。
診療所での感染を防ぐために、熱がある人にはあらかじめ電話をしてから来てもらうようにした。町民への周知は、朝と夜に流れる防災無線、町のホームページと広報誌で行った。
厚労省は20年4月、「電話による診療でも薬の処方が可能」という内容の事務連絡を各自治体に出した。これは、対面で行う診察を減らすことで、感染リスクを抑えることを目的としたものだ。ただ、発熱はさまざまな病気に通じる症状で、深刻な疾患のシグナルである可能性もあるため、見過ごすわけにはいかない。そのため初診の電話診療は行わなかった。聴診など最低限の診察はすべきと判断し、再診の場合も電話では2カ月連続で行わないなどの取り決めをして、診療に当たってきた。

感染対策として、発熱患者の診療は2020年3月から、いつも使っている診察室とは別の部屋で行った。さらに万全を期すために、できれば診療所の外で診たいという思いがあったため、診療所の隣にあって2年ほど使われていない「旧こども館」で診察を行うことにした。木造平屋、築30年ほどの建物で、小学校の学童保育に使われていたものだ。4月の初めに、町民生活課などの役場の職員らに協力してもらい、15人ほどで丸一日かけて、建物の掃除や診察に必要な備品の準備を済ませた。診察に使うのは20畳ほどの板張りの一室で、気合を入れて雑巾がけもした。
ただ、老朽化がひどく、かび臭さはどうにもならず……。さらに、バッタやカメムシなども発生。2カ月ほどは何とか我慢していたが、梅雨に入って衛生面が気になったことに加え、感染者数が減少してきた時期だったため、再度診療所内での診察に切り替えた。
その後、新たに中古のプレハブを購入し、10月からはそこで診ることにした。3畳ほどの空間に、空気清浄機、アクリル板、簡易ベッド、診察用机、検査用の机などを配置している。設備や動線は、吾妻保健福祉事務所の職員から「これなら大丈夫です」と太鼓判を押していただいており、今もこのプレハブで発熱患者を診ている。


診療所は2020年11月、本格的に抗原検査を始めた。PCR検査に関しては、検体の採取のみを行い、その後の検査は外部機関に委託している。発熱患者の診療や検査を行う機関「診療・検査外来(発熱等診療外来)」に、群馬県から指定された。21年4月に使い始めた新たな検査キットは、結果が出るまでの時間がそれまで使っていたキットから5分短縮され、10分で済むようになった。いくら短くなっても、その10分間、結果を待つ患者さんたちの不安そうな様子に変わりはない。これまで診療所では130件ほど抗原検査を行っており、陽性反応が出たのは数件。陽性の人に共通していたのは、「周りに迷惑をかけてしまう」という反応だ。ショックを受け、泣き出してしまう人もいた。
小学校で感染者が出て、大慌てで対応に当たったこともあった。21年5月、学校で集団接種を行っていた日の昼休みに、関係者の一人に陽性反応が出たことが分かった。濃厚接触者に当たる児童と職員、保護者をリストアップし、40人ほどをPCR検査することが夕方に決まった。診療所にPCR検査キットが10個しかなかったので業者に連絡すると、急ぎで夜には届けてくれた。急きょ、翌日午前の外来診療を休みにし、全員を調べた。最初の一人以外は陰性で、胸をなでおろしたのを覚えている。

全国的に感染拡大が進み、診療所を訪れる発熱患者数がピークを迎えたのは2021年7、8月。多くても1日に5、6人だったが、一般の外来診療や往診、ワクチンの集団接種も行っていると、休憩時間はほぼない。私もスタッフも疲弊してしまうことがあった。「いつまでこの状況が続くんだろうなあ」「これから往診か。きついな」「陽性が出たらどうしよう」と、心の中でつぶやきつつ「でも、俺がやらなきゃいけない」と発破をかけて、仕事に向かった。自分が感染したら診療所や患者さんに迷惑をかけてしまうという不安もあったし、かなり神経をとがらせて生活していた。
医療従事者以上に、町の人たちの不安は大きかったと思う。診療所に来ることを避けた人も多く、20年度の外来患者数は、19年度のおよそ7200人から、6600人に減少した。反対に往診は200件から323件に増え、在宅看取りも6件で過去最多だった。21年度の外来患者数は7000人に届くかどうかというところだ。
そうした状況の中で、正しい知識を身につけることで少しでも不安を解消してもらおうと、新型コロナの特徴や予防方法について、町の広報誌や住民団体が発行している冊子に寄稿したり、小学生とその保護者向けに講演したりもした。

へき地の診療所として新型コロナ対応に奔走してきた2年間を振り返ると、手探りで行ってきたことの方が多い。それでも何とかやってこられたのは、スタッフの皆さんと志を同じくして診療に当たることができたからだろう。体力的、精神的にしんどいと思う場面もあったが、それでも一緒に頑張る仲間がいたから、持ちこたえることができた。新型コロナのみならず、一筋縄ではいかない状況では、チームの意識を統一することが大切だ。
ワクチン接種が進み、経口治療薬も薬事承認され、新型コロナに立ち向かう武器が増えてきた。重傷者はもちろん入院が必要だが、第5波のような感染拡大が生じると、自宅療養者の数も増えてくるであろう。その時に備え、感染者に対して往診やオンライン診療を行う体制作りもしてある。小さな町の小さな診療所だけど、患者にとっては大きな存在でありたいと思っている。

群馬県北西部に位置し、山林・原野が町の80%を占める。5409人、2509世帯(2021年9月)が暮らし、高齢化率は32.8%(15年。全国平均は26.6%)。前橋市まで車で1時間強、東京都心までは3時間弱。温泉や牧場、ゴルフ場やキャンプ場があるほか、町の南部の北軽井沢地区は別荘地で、夏場は蜂に刺された人やレジャーでけがをした人がへき地診療所に訪れることもある。長野原町ホームページ

1984年、前橋市生まれ。2011年に自治医科大学卒業後、13年に群馬大学医学部付属病院で初期研修を修了。同院救急部を経て15年、長野原町へき地診療所の所長に就任。勤務しながら、17年には群馬大学大学院医学研究科で博士号を取得している。趣味は家庭菜園、野球、ボウリング(ベストスコアは238)、ランニング(月間250㎞走ることも)、ダイエット(96㎏→70㎏)。「汗をかく。人の2、3倍頑張る」がモットー。
