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2016.04.18

国立研究開発法人国立国際医療研究センター病院 国際感染症センターセンター長 国際診療部部長 大曲 貴夫先生

日本の感染症医療の未来を見据え、
ファイティングポーズをとり続ける決意。

日本の感染症医療の未来を見据え、 ファイティングポーズをとり続ける決意。

臨床の現場には不可欠との認知が進んではいるが、「誰にでも診られる疾患」との誤った認識がぬぐい去れていない感染症。米国で最先端の臨床感染症学を学んだ大曲貴夫は、まだまだ遅れの目立つこの分野で、日本にとってより良い、ひいては世界をリードする「誇れる感染症対策の体制」をつくり上げようと日夜努力している。逆風や無理解が残る日本の医療界で、力強いファイティングポーズをとり続ける医師の決意を聞いた。

国内に4ヵ所ある、厚労省指定の特定感染症指定医療機関のひとつ

大曲貴夫氏が統括する国立国際医療研究センター病院 国際感染症センター(以下、DCC)は傘下に感染症内科、トラベルクリニック、国際感染症対策室の3部門を持ち、

1)臨床感染症のclinical referral centerとして機能する
2)感染症領域の人材育成/トレーニングへの注力
3)情報の発信源となりネットワーキングに努める
4)国内外の感染症の研究拠点となる
5)実地疫学を実践する

を5つの柱に据え、国内外の感染症に関する包括的、多面的、先進的な取り組みを行う。国内に4ヵ所ある、厚労省指定の特定感染症指定医療機関の一つでもある。
「DCCのもっとも特徴的な側面としてあげられるのが、特定感染症指定医療機関としての活動でしょう。最近メディアなどでもとりあげられることが多くなった国際感染症においては、海外で感染症に罹患した患者さん、あるいは疑い症例を受け入れ診断し、治療しています。その過程で得た重要な知見は研究のかたちで還元します。
診療に関する知見を積み上げつつ、感染防止対策、感染が起こった場合の対策への支援をも担うのが私たちの一番大事なミッションだと考えています」
また大曲氏は政府の各種委員会、検討会にも複数参加し、日本の感染症政策に深くコミットしている。

国際感染症――島国ならではの低リスクに安心しきってはならない

この数年でもMERS、エボラ出血熱、ジカ熱と海外で発生した恐ろしい感染症の話題が報じられたが、四方を海に囲まれた島国である点が奏功するのか、これまでのところ、いずれの騒動も日本でのアウトブレイクには至っていない。
「他の先進国と比べて、島国である点は明らかに有利と思います。また、同じ島国のイギリス/ロンドンとくらべても、国際的な人の出入りが低いレベルと言えますので、国際感染症のリスクは低く納まっていると思います。
ただ、感染症対策に従事する立場の者としては、そういった優位性が国民や医療従事者の危機感の低さにもつながっていて、忸怩たる思いをすることが多々あります。他国と比べる際の明確な指標のないのが難しいところなのですが、いずれにしろ私たちは現在の日本で、『誇れる感染症対策の体制』をつくろうとがんばっています。
そういった考えのもと、DCCではIRS(国内の医療対策支援)としてEメールや電話での問い合わせ窓口を設けました。国内外の感染症危機管理について医療機関や行政、学校等からの相談への対応や情報・技術支援、ときには専門家の派遣を行っています」

JICAベトナムの短期専門家として中国に院内感染対策の指導にいった際のミーティング風景。

海を渡り、日本が学ぶべき臨床感染学を持ち帰る

臨床感染症学は、日本が欧米諸国に大きく後れをとる領域といわれる。そんな状況に憂いをいだいた若手医師が積極的に海を渡り、同領域の先進国である米国で学び、さまざまな知見とノウハウを持ち帰り、国内での活動を広げている。「永い眠りの中にあった臨床感染症学を、徐々に目覚めさせている局面」と表現する識者もいる。

大曲氏も2年間、クリニカルフェローとして米国で学んでいる。
「正直、それほど高邁な理想を掲げて留学したタイプではありません。指導医に『感染症を学ぶなら、米国がいい』とアドバイスされたので海を渡ることにしただけですし、感染症を選んだのも、お世話になった先生が感染症専門医だったから。有り体に説明すると、質問した方にがっかりされるようないきさつです(笑)」

きっかけにドラマはなくとも、渡航先には最先端の臨床感染学の壁と、厳しい臨床研修が待っている。無自覚で乗り越えられるほど甘い日々ではなかったはずだ。
「事前に留学経験のある先輩から『とにかく3ヵ月だけは我慢しろ。そこを乗り切れば、なんとかなる』とアドバイスされていなかったら、ドロップアウトしていたかもしれませんね。とにかく過酷でした。

まず、英会話が拙いので仕事にならない。その上、短時間で膨大な仕事をこなすよう指示される。日本の臨床研修では一人の研修医がどれくらい追い込まれているかは必ず誰かが見ていてくれるもので、何がしかのフォローが期待できます。しかしあちらにはそんなものはありません。実体験があるので明言しますが、人種差別をする指導医だっている。とにかく、すごいところでした(笑)。
先輩のアドバイスどおり、3ヵ月を死にものぐるいで乗り切ったころにやっと、やっていける自信が芽生えました」

JICAの要請で中国に院内感染対策の指導に行った際のミーティング風景。

ギリシャ人の先輩に学んだファイティングポーズで身を守る

人種差別まである、過酷なだけの日々だったのか。
「いえ、あのプログラムには感謝していますし、あそこで鍛えられたことに自負を持っています。日本にいては絶対に無理だろうと思える数の患者と症例の経験は、今も大きな財産です。
何より、米国の臨床感染学はやはり日本の一歩も二歩も先を行っていました。現在の立場で私がすべきことは、あれに『追いつけ追い越せ』です。追いかけるべき背中を見せてくれている先駆者への敬意は尽きません」
過酷な日々を乗り切った秘訣について、語ってくれた。やはり、ただただ我慢していたわけではないようだ。
早い段階で、『自分の身は自分で守るしかない』とわかったのが大きかったかもしれません。ファイティングポーズのとり方が身についた。

2003年ごろ、留学先のMDアンダーソンがんセンターの入り口で。

2003年ごろ、留学先のMDアンダーソンがんセンターの入り口で。
ギリシャ人の先輩がいました。彼は私の『やわ』な部分を見るに見かねたらしく、自分の苦労談をまじえながらいろいろと助言してくれました。実質的に彼がファイティングポーズの師匠です。闘い方は目前の敵にパンチを見舞うだけが道ではない。ときには敵の頭越しに彼らの上司と交渉する方法論だってある。そういうことを、親身になって伝授してくれた仲間がいたのは幸運だったと思います。
そんな仲間に恵まれ、いい指導医にも出会え、苦手だったプレゼンテーションもこなせるようになって、2年目の終盤には何をしても気持ち悪いくらい褒められるようになりました。ウラがあるような気がしますが(笑)」

かかわった患者さんがよくなると、認めてもらえる

米国での過酷な修業を2年で終え、着任したのが静岡県立静岡がんセンター(以下、静岡がんセンター)だ。
「当時日本に数あるがんセンターのなかでも、感染症科をつくろうとしていたのは静岡がんセンターだけでした。そこへ招聘されたのは非常に名誉なことだと感じました。
同院は感染症への問題意識も理解も深く、チーム医療を駆使して患者本位を貫いています。
総長以下全員が治療のために粉骨砕身しており、尊敬に値する病院でした。
意気に感じた私は日曜日にもべったりと在院するようなスタイルで、学びながら仕事をしていました」

同院にはいい思い出が多くあるとのこと。
米国への留学後、一本立ちして最初の勤務地で診療科の立ち上げを任されたので、大変なことも多くありました。しかしとにかく学ばせていただきました。理想的な先輩や上司ばかりで、今も感謝に堪えません。現在も多くの方と交流があり、有益な助言をいただいています」
ただし新しい診療科の立ち上げには、当然のように逆風もあった。何といっても、日本ではまだ馴染みのない診療科である。しかも、すべきことの筆頭に抗菌薬制限などの改革、改善があるのだから。

静岡がんセンター感染症内科勤務時、院内感染対策チームの仲間と。

「もちろん反発はありました。居心地の悪さを感じることもありました。『若僧が何を言っている』と怒られたことも数限りありません。ただ静岡がんセンターでは、かかわった患者さんがよくなると認めてもらえるんです。明快でした。感染症科が患者さんのためになる診療科だとわかると、感染症を疑う兆候があればすぐに感染症科を呼ぶ、検体の提出や抗菌薬の変更等は感染科に任せるなど、さっさと必要なところに分業体制までつくり始めました。多くのがん専門医が『感染症科がかかわると患者さんの予後がいい』とシンプルに評価してくれるようになりました。
優秀な臨床医というのは、こういうものなのかと感銘を受けたことを覚えています」

「感染症は誰にでも診られる疾患」という認識を払拭すべき

日本における、感染症科の一般的な認知について。
「臨床経験への自負を背景に、『感染症は誰にでも診られる疾患』と考える医師がまだ多いようです。専門家の立場からいわせてもらえば、現代の、最先端の感染症学は専門とする私たちでさえキャッチアップするのが容易でないほど難易度が上がっており、あまつさえ院内感染の難しさを考えると、度を超した楽観には警鐘を鳴らさざるを得ません。
診療科それぞれに他科にはない技術背景を持ち、その上に成立した独特の感染症対策があるのも知っていますが、そろそろ標準化への意識も高めるべき時期かと思います。医師の技量の差が感染症対策の差となり、患者さんの予後に違いをみせてはいけないと思います。標準化の仕組みづくりに、感染症専門医がもっと力を発揮すべきだと考えています」

抗菌薬は人類の資源である。だから、耐性菌をつくってはならない

米国とくらべると、日本の病院の感染症医の数は少ないといわれる。大曲氏も「まだまだ少ない」と感じている。サイエンスとしても地味で、がんや難病のように研究費が落ちる領域ではない。しかし、ここ数年で徐々に問題意識が共有されるようになり、病院での院内感染対策が加算の対象になったり、感染症科を新設する病院が増えたりと追い風が吹き始めている。

「追い風は追い風として喜ばしく思いつつ、気になることはいくつもあります。たとえば、高齢者を多数収容している長期療養型施設の院内感染対策はどうか。現在、専門家の目がまったく届いておらず、インフルエンザ、ノロウイルスなどのアウトブレイクが起こっている可能性が高いでしょう。
そういった、いわば死角にも専門家の目が届き、しかるべき施策が届くような仕組みづくりをするのも私たちの仕事だと考えています」

専門家への取材で、目から鱗が落ちる瞬間がある。大曲氏へのインタビューでも、そんな場面があった。耐性菌をつくってはならない理由について。
抗菌薬が、人類が細菌から身を守るための貴重な資源だからです。もちろん、無尽蔵ではなく、限りある資源。特に最近は新薬開発のペースが鈍っていますから、希少性は日々増しています。そんな抗菌薬を使い放題に使い、耐性菌をつくってしまうともう使えない。つまり、資源損失です。医療関係者にも、一般市民にもそんな視点でこの問題をとらえてほしいと思うのです」
もちろん、専門家の間ではその認識が定着している。2016年4月には、厚労省から薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン――National Action Plan on Antimicrobial Resistance 2016-2020――も発表された。
「この分野では、関係者が長く努力を続けています。特に農水分野では抗菌薬低減の取り組みがかなり進んでいて、成果もあらわれています。抗菌薬を減らす努力が最も遅れているのは、実は医療界なのです」

2015年に日本人の若手感染症医達とEuropean Centre for Disease Prevention and Control (略称ECDC ストックホルム)を訪問。

闘うべきときは闘う。ファイティングポーズは、まだ解かない

感染症の専門家として、DCCの統括者として、今後の課題は?
医療現場での感染症対策の実践の底上げです。感染症に関する医師の力の底上げが一つ。もう一つは、その医師の能力だけでは届かない部分を補う仕組みづくり。この2点に注力していきたいと考えています。現場を強くすることが最も重要です。
そういった活動を通して『DCCが世界でも有数の感染症対策のセンターである』と認知されるようになれば、これ以上の喜びはありません。
ただ本当に目指しているのは、こうした活動を通じて安全・安心な社会づくりに貢献していくことです。そこにこそ感染症の専門家の存在意義があると思っています」
帰国した今も、あのファイティングポーズはとり続けているのだろうか。
「もちろん日本では米国と同じ闘い方はしませんが、ファイティングポーズは解いていません。職は、いつ辞してもいい覚悟で務めています。闘うべきところで闘わないと信じる理想は達成できませんし、組織の長として部下も守れませんから
構えた両拳の間から前方を見据える大曲氏の眼には、感染症医療のあるべき姿がしっかりと像を結んでいるようだった。

国立研究開発法人国立国際医療研究センター病院 国際感染症センターセンター長
国際診療部部長
大曲 貴夫先生

1997年 佐賀医科大学(現:佐賀大学)医学部医学科卒業
     聖路加国際病院内科レジデント
2002年 The University of Texas-Houston Medical School 感染症科
2004年 静岡県立静岡がんセンター感染症科医長
2007年 静岡県立静岡がんセンター感染症科部長
2010年 静岡県立静岡がんセンター感染症内科部長(部署名変更)
2011年 国立国際医療研究センター病院国際疾病センター副センター長
2012年 国立国際医療研究センター病院国際疾病センターセンター長
2012年 国立国際医療研究センター病院国際感染症センターセンター長

(2016年1月取材)