希少がんの治療から、予後のケアまで 患者さん一人ひとりと向き合う誠実な医療を
日本のがん医療の最前線で「診療」「研究」「教育」の3つの取り組みを進めている“国立がん研究センター”。同センターを率いるのが、理事長・堀田知光先生です。穏やかな笑顔と物腰が印象的な堀田医師は、理事長就任時から、常に心に問いかけてきました。「がん患者さんのために何ができるだろうか」「組織をまとめる立場として、私はどうあるべきか」――。日本の医療を取り巻く環境や、国立がん研究センターの取り組み、そして堀田先生ご自身のキャリアなどを語っていただきました。
国立がん研究センターだからこそ実現できる“最先端の領域”とは?
1962年、国の医療機関として設立された国立がん研究センターは、その長い歴史の中でがん患者さんに最良のがん医療を提供すべく、「診療」「研究」「教育」の3つの役割を果たしてきました。その後、2010年に独立行政法人となり、2015年4月からは国立研究開発法人として新たなスタートを切っています。
日本のがん医療を牽引する当センターは、「研究成果の最大化を図り、民間病院や大学病院が着手しがたい領域に挑む組織」として位置づけられています。つまり、当センターが運営する中央病院及び東病院は、研究の基盤となる医療機関として、その役割を果たしているのです。「診療」「研究」「教育」の各部門が互いに連携をしながら、がん医療の基盤を作ると同時に、ハイレベルの医療を提供しています。特に中央病院と東病院は合わせて1000床とハイボリュームの医療機関です。「希少がんのような、他の病院で取り組みづらい症例や新薬の開発研究に参加する患者のみ預かり、一般的な症例は他の病院に任せるべき」との考えを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身は、「さまざまな領域の基盤を作らずして、何ができるのだろうか」という考えを持っています。当センターが最先端のがん医療に取り組んでいくためにも、「診療」「研究」「教育」の3部門をバランスよく機能させることが大切で、これにより国立がん研究センターの社会的使命をまっとうしていけると考えております。
一方、当センターは「がん拠点病院を統括する」という役割も果たしています。現在、日本には約400のがん診療連携拠点病院があり、各地域でがん医療の均てん化を進めています。これら拠点病院の支援に加えて、がん患者さんの相談や緩和ケアなど、テーマ別に部会を設置。部会でまとめた意見を国に提言していく体制も整っています。
がん関連の医療政策に目を向けてみると、2016年1月から開始される「全国がん登録」の実施を大きな進化として捉えています。これにより、全国すべての医療機関で受けたがんの診断結果がデータベース化されることとなりました。データベース化は私たちの悲願でもあり、全国がん登録の実施はがん医療に携わる医師にとっても喜ばしいことです。ただし、全国がん登録のための取り組みはまだ始まったばかり。「ようやく第一歩を踏み出す」という状態です。個人情報保護の問題もあり、将来、検診や特定健診のデータや、レセプトデータとの統合を行うのは高いハードルかもしれません。それでも、このような課題を克服してデータベースの一体化が進むことを私たちは願ってやみません。データベース化が進めば、これまで以上に、がん患者さんの実態に即した適切な医療を提供できるからです。
予後も含めて、がん医療へのアプローチを再検討する時代がやってきた
2012年4月、国立がん研究センターの理事長に就任した際、職員全員に向けて話したことがあります。それは、当センターの社会的意義について。「最先端のがん研究やがん医療に挑む」というのが当センターのイメージでしたが、がん患者さんの人生そのものを見据えた治療にも取り組むべきだと考えたからです。
現在、がんの治療を受けた患者さんの「5年生存率」は、約60%。がんの手術を終え、ご自宅に戻り、あるいは外来での化学療法を続けながら日常の生活に復帰される患者さんが数多くいらっしゃいます。そのため、最先端の治療を受けた患者さんの予後や生活にも目を向ける必要があると考えました。そこで、緩和ケアなども含めてエビデンスに基づいた取り組みを行っていくべく、「がんサバイバーシップ支援研究部」をセンター内に発足させました。これは全国でも初の試みで、「がんの診断・治療後に暮らしていくこと=がんサバイバーシップ」に関する研究を進めると同時に、がんサバイバーシップに関する社会啓発、がんサバイバーシップに関連する人材育成の3つの取り組みを行っております。
こうした取り組みの変化は、国の医療政策を見ても明らかです。中曽根政権時代、「対がん10カ年総合戦略」がスタートしましたが、名称に「対がん」とあることからもわかるとおり、「がんに立ち向かおう、がんを撲滅しよう」という意味合いが非常に大きな取り組みでした。しかし、臨床の現場では、「がん患者さんのライフステージに合わせた医療を提供すべき」という考えが高まっています。国も、こうした医療の現場の意見を受け入れるようになり、2014年4月にスタートした第4次戦略では「がん研究10か年戦略」と名称が変更され、キャッチフレーズも「根治・予防・共生 ~患者・社会と協働するがん研究」としています。
また、近年の医療を取り巻く環境を考えたとき、高齢化の問題は外すことができないでしょう。実際、高齢者のがん発生率は高くなっており、彼らの多くががん以外の複数の疾患を抱えています。これからのがん医療には、「専門医」だけで対応はできなくなるでしょう。この問題を解決させるため、当センターでは総合内科のより一層の充実化を進めています。また、東京慈恵会医科大学付属病院や済生会中央病院との診療提携も開始しました。
名古屋時代の堀田先生
(1992年、学会で訪れたロンドンにて)
日本のがん治療は、特に未承認薬の問題から「適切な医療ができない」と歯がゆい思いをしている医師もいらっしゃいます。実際、ドラッグ・ラグの問題はがん治療において真っ先に考えていくべき課題です。海外では創薬ベンチャーが意欲的に新しいがん治療薬の開発に挑んでおり、有効性が認められたがん治療薬が数多く存在します。海外に比べると、日本の創薬環境は劣っていると言わざるを得ません。この状況から脱却するために国立がん研究センター内に発足させたのが、先端医療開発センター(NCC-EPOC)です。同センターは、国の「早期・探索的臨床試験拠点整備事業」による支援を受け、新しい医薬品開発を目指した取り組みを進めています。
50歳にして、今後のキャリアに影響を与える“転機”が訪れる
私自身のキャリアについても、お話しいたしましょう。私は名古屋大学医学部を卒業し、医局に入局。血液内科を専門とし、血液がんの患者さんの治療に注力してきました。医局に入って25年が経った頃、転機が訪れました。東海大学医学部から声がかかったのです。
ちょうどその頃、私はキャリアについて悩んでいました。医療の世界も民間の企業と同じで、経験を積む中で管理的な業務が増えてきます。50歳にして、私は「自分はどんなキャリアを積んでいきたいのか」と真正面から考えました。その結果、「臨床から離れたくない」という答えを導き出しました。25年のキャリアを積んでも、「自分はまだまだ未熟だ。自分には、まだ学ぶことがある」と強く感じたのです。
こうして、私は東海大学医学部付属病院に転籍。学閥を超えての落下傘状態での挑戦ですから、今思えば無謀な取り組みだったのかもしれません。それでも、当時の私は「誰にも頼らず、自分にできることをとことんやってみよう」という気概を持っていました。そして、10年間にわたって、東海大学で研鑽を積んできました。
私は血液内科を預かったのですが、当時の医師たちにこう問いかけました。「東海大学の血液内科を、指折りの診療科にする。みんなは、やる気あるか?」と。嬉しいことに、全員が力強くうなずいてくれた。私が東海大学の血液内科に在籍していた初期の5年間、主要メンバーの誰一人として辞めずに残ってくれたことを、心から誇りに感じています。
東海大学に転籍して5年が経ち、血液内科は「東海大学で最も勢いのある教室」と評価されるまでになりました。その後、私は医学部長を務め、学生教育や医局改革に力を入れると同時に、医学部付属病院の建て替えに携わりました。これは非常に大きなプロジェクトで、「病院を新しくする以上、今後の医療に必要な環境を整えていこう」と、メンバー全員が一丸となりました。新病棟の建て替えに当たって、さまざまな趣向を凝らしましたが、中でも手術室は斬新な取り組みだと自負しています。21室あり、どの手術室でもあらゆる手術に対応できます。設計はもちろん、効率的な運用システムを構築しており、これによりオペの回転数が一気に向上しました。私が東海大学を去ってからも抜群の診療実績を誇っています。
東海大学時代の堀田先生
(撮影年不明、東海大学の教授室にて)
東海大学在籍中、私は医師として、また血液内科や病院、医学部を束ねる立場として、数多くの貴重な経験をしました。「この環境だからこそ、経験できた」と思うことも多く、「私の選択は間違っていなかった」と感じています。
常に心を開いて、患者さんと向き合う姿勢を忘れずに抱いてほしい
名古屋大学医学部から東海大学医学部に移って10年。私は再び名古屋に戻り、その後、国立がん研究センターの理事長に就任しました。振り返ってみれば、私のキャリアは波乱に満ちたものなのかもしれません。けれど、私自身は自分のキャリアを「ごく自然な流れ」と感じています。優秀な先生や指導者と出会い、新しいキャリアへのステップがありました。私は環境が変わることをプラスに受け止め、自分のキャリアを築いてきました。
医師は、「病を抱えた患者さんと向き合う」という意味においても、「看護師やコメディカルと連携を図ってチーム医療を進める」という意味においても、コミュニケーション力が必要な職業です。医療機関が閉鎖的な環境になってしまったら、それこそ、良い医療が提供できなくなってしまうでしょう。だからこそ、私は常に「オープンマインド」を心がけてきました。東海大学時代から誰でも気軽に入れるよう、私の部屋は開けっぱなし。もちろん、当センターの理事長に就任してからも、この試みを続けています。私自身が心をオープンにすれば、若手職員も含めて、あらゆる職員が意見を言いやすくなります。社会からの要請をもとに全職員の意見を参考にしながら、国立がん研究センターのあり方を模索していく。これが、私の理事長としてのポリシーです。
オープンマインドの姿勢は、もちろん患者さんに対しても持つべきです。最近はICT化により、直接、顔を合わせずにコミュニケーションを取ることが簡単になりました。けれど、医師の顔が見えなかったら、患者さんはどう思うでしょうか。きっと、不安に感じるはずです。医師は患者さんの顔を見て、患者さんも医師の顔を見る――“Face to Face”の医療は、どんなに情報化が進んだとしても、変わらずに続けていくべきだと思います。希少がんなど、治療法の確立されていないがんに挑む姿勢ももちろん大切ですが、患者さん一人ひとりと誠実に向き合い、ていねいに治療を行う“医師としての当たり前の姿勢”を大切にしてほしいと思っています。
理事長に就任して2年が経った今、新生国立がん研究センターのビジョンとミッションを全職員で共有して、「わが国のがん医療とがん研究の中核機関かつ先導役として世界に貢献する」という方針が組織内に定着しつつあると実感しています。まだまだ、やるべきことは多々ありますので、任期満了までの1年をしっかり務めたいと思っています。
最後に、臨床の現場で医療に取り組んでいる皆さんに、メッセージを贈りたいと思います。皆さんの中には、「日本の医療に貢献したい」と大きな志を抱いている方もいらっしゃると思います。それはとても立派なことですが、ぜひ、遠い先の目標だけでなく、目の前の目標にも視点を向けてほしいと思います。「今、自分がすべきことは何なのか」と問いかけ、目の前の目標に取り組む。その繰り返しにより、輝かしいキャリアが開かれていくことを、どうか心に留めておいてください。
また、医師として経験を積む中で、マネジメントを任される機会も出てくることでしょう。組織に属している以上、「臨床医として患者さんを治療すること」だけが、仕事ではありません。さまざまな医療従事者の意見を取りまとめ、調整し、ときには組織を率いていく機会も出てくるかもしれません。ぜひ、マネジメントの力も育んでいってほしいと思います。これから先、若き臨床医の皆さんが日本の医療の現場を力強く率いてくれることを、大いに期待しています。
堀田 知光先生
1944年生まれ。69年、名古屋大学医学部卒。70年、名古屋大学医学部第一内科入局後、助手、講師を経て、96年、東海大学医学部内科学教授に就任。2002年、東海大学医学部長に。06年、独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター院長、12年、独立行政法人国立がん研究センター(現・国立研究開発法人国立がん研究センター)理事長に就任。専門は血液内科。内閣官房研究・医療戦略室 健康・医療戦略参与、厚生労働省「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会」座長など、社会的活動にも意欲的に取り組む。
(2015年3月取材)