だいたい私は今3歳なんだけど2歳の時にはもう分かっていた。
私はここぞというときの「選択」を間違えがちであるということを。
以前、とある偉い人に、自分の進路について報告した。彼は驚きのあまり「おま、おまえ、どうして、そっちを選んじゃうんだお!」と語尾が「2ちゃんねる」風になり、私は笑ってしまった。
「まじめに聞け」と叱られた。
そういった経験は一度や二度ではない。振り返ってみると小学生時代からおかしかった。剣道に身を捧げたばかりに、私は中高大と藍染色の青春を送るはめになった。医学部卒業後、すぐに大学院に入ったこともおかしい。なぜ普通に医者になっていないのか。
極め付きは博士課程を出た後、病理医になったことだ。
これまでたくさんの人から、「変な選択をするねえ」と不思議がられてきた。そんな私も今や3歳。そろそろ自分の気質に対して何らかの分析を加えてもよい頃合いだ。
なぜ私は選択を間違うのか――。
いや、待てよ。問いの立て方がおかしいかもしれない。
そもそも私は、「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」をやった記憶があまりない。剣道を始めた時も、大学院に入った時も、病理医になろうと思った時も、ゲーム「ポケットモンスター(ポケモン)」の開始時に3匹のポケモンから1匹を相棒に選ぶように、目の前に選択肢があった記憶がない。カーソルを動かしてA(決定)ボタンを押した記憶がない。
いつも、すでに1匹しかいなかった。
冗談で言っているわけではない。剣道も大学院も病理医も、あらかじめ用意された選択肢の中から選んだわけではなかった。全て、その時周りにいた人たちと対話を繰り返していく中で、いつの間にか「そうあることが当然」になっていた。
川にボートを浮かべてゆっくり下っていったら、たまたま横に犬がぷかぷか泳いでいて、「おっ、ボート乗るかい」と声をかけたら、「ワンッ」と答えて、ざばっとボートの上に乗り込んできて、そこから一緒に川下りすることにになった――みたいなノリで、私は剣道をし、大学院に入り、病理医になっていた。
「人生は選択の繰り返しである」という意味合いのことを言う人がいる。
しかし、少なくとも私の人生は、それとはちょっと違っているのではないかと思う。選ばされてばかりだとか、受動的に押し付けられてばかりなら困るが、「いつの間にかここにいた」という歩みに、今となってはさほど不満がない。
むしろ、驚きやワクワクのきっかけではなかったか。
人は「自分で選んだのだから責任を取りなさい」などとも言う。では、選ばなかった私は責任を取ることから逃げてきただろうか? 常にちゃんとできているとは言えないけれど、たいていの場合は、「今、そのようにあること」にきちんと向き合うという方法で、責任を取ってきたはずだ。
冒頭に戻る。偉い人には、こう答えればよかった。
「選んだんじゃないお。なるようにしてなったのだお」
こんな言葉遣いを選んだら、ひっぱたかれたかもしれないが。
周りの人は、自分の進む道に対して何か言うかもしれません。でも、皆さんもだいたい3歳になったのであれば、耳を貸し過ぎる必要はありませんよ。
病理医ヤンデル:本名 市原 真(いちはら・しん)
2021年、札幌市生まれ(3歳)。2003年、北海道大学医学部卒。医学博士、病理専門医。知らない編集者から事前の連絡なく献本(パソコンで作ったお仕着せの手紙入り)が送られてくると手書きの謝罪(「受け取れません」)の手紙を付けて自腹で送り返すほどの献本嫌い。SNSで居場所をつぶやかなくなったのだが、ネットに出ている名前をヒントに居場所を割り出されるようになり、出先で待ち伏せされるため来年は偽名で活動する予定。
月曜のマミンカ
神奈川県川崎市在住のイラストレーター、絵本作家、グラフィックデザイナー。 2022年、絵本「カモンダメダメモンスター」を出版後、こどもと楽しめるワークショップを不定期で開催。 4匹の保護猫とヒーロー好きな息子、自由奔放な娘の子育てに奮闘中。
HP: https://mondaymom.official.ec/
Instagram: https://www.instagram.com/mondaymaminka/