あなたが初期研修でローテートしている科で、緊急に侵襲的な処置が必要な患者さんを診ることになったとしましょう。患者さんは不穏で暴れており、処置は困難です。上級医は鎮静には不慣れで、あなたに電話で麻酔科医を呼ぶように指示します。
あなた:緊急で〇〇の処置が必要でして、麻酔でちょっと軽く鎮静をしてもらえませんか? 麻酔科医:……ちょっと麻酔、ね。
電話口の麻酔科医は不機嫌そうに返事をします。
あなた:あ、あの、先生がお忙しいようでしたら、本で調べて自分でやってみます! 麻酔科医:はぁ……。すぐ行く。
麻酔科医はため息をつき、電話を切りました。
麻酔科医はすぐにやって来てくれました。患者さんに酸素を吸わせて、鎮静薬を投与します。患者が眠ると、麻酔科医は「どうぞ」と上級医に声をかけ、その後は椅子に座り何もしません。
「なんだ、簡単そうじゃないか。これなら自分でもできたのに」。あなたはそんなことを考えながら、上級医の処置の手伝いを始めました。
さて、麻酔科医はなぜ不機嫌になったのでしょう。
それは、全身麻酔よりも鎮静の方が危なくて大変なのに、軽々しく「ちょっと麻酔」なんてコンサルトをされたからです。
「いやいや、全身麻酔の方が大変でしょ。だって、全身麻酔の場合はわざわざ手術室まで行って、たくさんラインやモニターをつけて、いろいろな薬を使って、難しい気管挿管までするんだから。鎮静の場合は、ちょっと鎮静薬を投与するだけだし」……と、麻酔科をまだローテートしていないあなたは思うかもしれません。
たくさんのラインやモニターも、いろいろな薬も、気管挿管も、全て患者さんの安全を守るためのものです。手術室はそのための物品とそれらを使いこなすエキスパートが集まっている場所です。つまり、手術室で行う全身麻酔はとても安全なのです。
それに対して、手術室の外で行う鎮静は、薬も器具も最低限しかなく、スタッフも麻酔には不慣れな人たちばかりです。気管挿管もしていないので、鎮静薬を投与するときは、患者が呼吸停止しないように薬の量を見定めながら、呼吸状態をしっかりモニタリングする必要があります(ちなみに、椅子に座って視点を落とすと、患者の呼吸運動が目視しやすくなりますよ)。
例えるなら、全身麻酔は命綱などの安全装置がしっかりついた状態で行う高さ20mのバンジージャンプですね。そして、手術室でないところで行う鎮静は安全装置が不十分な状態で行う高さ4mの建物2階からの飛び降りです。
素人が4mの高さから飛び降りたとしても、けがをせずに着地ができるかもしれません。しかし、そんなことを続けていれば、必ずいつかは大けがをします。
玄人の飛び降りは違います。さりげなく安全マットを用意したり華麗に受け身を取ったりして、ほとんどけがをせずに4mの飛び降りができるのです。
つまり、麻酔科医に対して「麻酔でちょっと軽く鎮静を」と依頼することは、玄人に対して「2階から飛び降りるなんて、バンジーよりも低いし簡単だよね。ちょっとやってみてよ」と4mの飛び降りをやらせるようなものです。
「いや、できるよ。できるけどさぁ。『ちょっと』ではねぇよ」と不機嫌になってしまう麻酔科医の気持ちをご理解いただけますでしょうか。
==もう一言==
なお、一流の麻酔科医であれば、不機嫌な態度は示さず笑顔で仕事を受けて、研修医に対しては後でそっと優しく教えてくれるでしょう。
川久保弥知(かわくぼ・みとも)
1987年、高知県生まれ。初期研修までは高知で「育つ」も、麻酔と集中治療の両方を学びたいと思い立ち、後期研修(専門研修)から広島市民病院で研さんを積む。現在は呉共済病院に勤務。Twitter(現X)で麻酔科についていろいろな投稿をしていたところ、日本麻酔科学会の偉い人に拾われ、学会公式アカウント開設に携わる。
最近の趣味は、子どもと一緒に始めた「ポケモンカードゲーム」。どうせやるなら本気で、と親子で大会にも参加している。
X:@MitomoKawa
月曜のマミンカ
神奈川県川崎市在住のイラストレーター、絵本作家、グラフィックデザイナー。 2022年、絵本「カモンダメダメモンスター」を出版後、こどもと楽しめるワークショップを不定期で開催。 4匹の保護猫とヒーロー好きな息子、自由奔放な娘の子育てに奮闘中。
HP: https://mondaymom.official.ec/
Instagram: https://www.instagram.com/mondaymaminka/