2026年の春、私は一つの大きな節目を迎えました。長年お世話になった鹿児島大学病院産婦人科の医局を離れ、これまで以上に、奄美大島(鹿児島県)で地域に根差した医療に身を投じる決意をしました。
医局を離れるという大きな決断をした時、立ち返りたいと思った場所がありました。それは、長崎県の五島列島に位置する新上五島町(しんかみごとうちょう)。私が地域密着型の医療を志した原点です。ご縁があり、この春に新上五島町を訪れることができました。今回は、私のキャリアの大きな分岐点である新上五島町での経験について伝えたいと思います。
鹿児島市で開かれた、鹿児島大学病院産婦人科医局の歓送迎会。お世話になった皆さんにあいさつし、そのまま鹿児島中央駅発の新幹線に飛び乗り博多駅へ。博多港(福岡市)発のフェリーに乗り、新上五島町へ向かいました=2026年3月
初期研修後すぐに離島医療に挑戦! 待っていたのは涙を飲む日々…
私が新上五島町に初めて降り立ったのは、初期研修を終えてすぐ、医師3年目の時でした。 「離島医療がしたい」「お産がとれる総合診療医になりたい」という理想を掲げていたものの、日本には「産科総合診療医」の専門研修プログラムはありません。進路に悩んでいる中で、総合診療医として必要なスキルを離島・へき地の病院で習得するプログラムを運営する団体「
ゲネプロ」の
齋藤学先生と出会いました。齋藤先生に「大変だけど絶対成長できる場所だよ」と背中を押されて、同期の皆が各診療科の専門医プログラムに進む中、ほとんど何も持たずに新上五島町に飛び込みました。
私がお世話になった上五島病院は、島で唯一の救急患者の受け入れ病院です。当直の日は数時間おきに救急車が次々に患者を運んできます。看護師さんと二人きりで、外傷患者の縫合処置をし、同時進行で敗血症や心不全の入院患者の管理に当たりました。外来、往診、看取(みと)り、さらには胃カメラや透析管理まで、対応事項は多岐にわたっていました。
正直に告白すると、当時の私は「ヘッポコ研修医」でした。毎日が背伸びの連続で、知識も技術も追いつかず、先輩医師や看護師、そして何より患者さんに多大な迷惑をかけてばかり。医局会の議題が「小徳君が起こしたトラブルについて」になることも……。診療がうまくいかない悔しさから、医師官舎へ泣きながら帰ったことも一度や二度ではありません。
上五島病院に入職してすぐ、救急搬送の依頼の電話が来て対応していたら、私へのドッキリ(シミュレーション)でした。ちゃんと対応できなくて指導医の岸川孝之先生に怒られています=2018年4月
研修が始まって1カ月がたった頃でした。医師官舎への帰り道で、緑色に光るホタルをぼんやり眺めながら、「自分は離島医療に向いてない。もう辞めよう」と思っていたところ、当時指導医だった山口卓哉先生(現ゲネプロ代表)からスマホにメッセージが届きました。
「自分の気質は変えることはできない。しかし、患者さんの前だけではプロでいなさい」。その言葉に医師としてあるべき姿を感じ、「もう少しだけ頑張ろう」と思い直したことを今も覚えています。
新上五島町で開催した暮らしの保健室。上五島病院でゲネプロ研修中の医師たちと=2026年3月
今もなお自分を奮い立たせる8年前の経験
そんな私を、上五島病院の指導医だった岸川孝之先生は見捨てることなく、医師として、そして一人の人間として根気強く育ててくださいました。冬が来る頃には、看護師さんから「先生の指示、すごく良くなっているよ」と褒められたり、とても苦手だったカンファレンスでの症例提示もできるようになっていたり、診断がつかずに苦しんでいた患者さんの力になれる瞬間が増えたり――と成長を実感できました。
当時の岸川チーム。右から2番目が岸川先生、左から2番目が小徳=2018年5月
新上五島町で浴びた「症例のシャワー」と、厳しくも温かい指導。あれから8年がたちますが、今でも苦しい時には「あの頃に比べたら大丈夫」と自分を奮い立たせることができます。私の医師としての基礎は、間違いなくこの島で鍛えられました。
念願の再訪でうれしい再会
今回の新上五島町訪問の目的は「暮らしの保健室」を行うことでした。暮らしの保健室は、コーヒーを配るなどして気軽な雰囲気の中、街の人たちの健康や生活についての相談に乗る活動です。2023年に「奄美大島で開催している暮らしの保健室を、新上五島で開催できないか」とお世話になった新上五島町の薬剤師の先生から相談を受け、それから毎年お手伝いをしています。昨年、一昨年は小徳家の第二子の妊娠・出産と重なり現地に行くことはできなかったため、今年は久しぶりの再訪でした。
会場では、当時の病院スタッフや、かつて私が担当した患者さんも会いに来てくださり、変わらない皆さんの様子に、元気をもらいました。島を出た後も、こうして暮らしの保健室を通して、新上五島町に来ることができて、患者さんや昔の仲間とつながりを感じられて、とてもうれしかったです。
「暮らしの保健室」の輪は全国に広がっています。鹿児島県の与論島で長年離島医療に取り組んだレジェンド・古川誠二先生(前列右から2番目)は、現在故郷の徳島県で、小徳がプレゼントした看板を使ってくれています=2026年3月
原点に立ち返り、地域への尽力を決意
2023年に「暮らしの保健室」を初めて奄美大島で開催してから、もうすぐ3年になります。毎回、住民の方が健康相談に来るだけではなく、地域の開業医や看護師さん、保健師さん、獣医師さん、理学療法士さんなどさまざまな職種の方々が「今、こんな企画を考えているのだけど……」とお話をしに来てくれます。
医療者が白衣を脱いで地域に出ることは、病院という垣根を越えたつながりを生むと感じています。今回の新上五島町訪問でも、そのことを肌で感じました。時には白衣を脱ぎながら、地域のためにできることを日々精一杯やっていこう――。医局を離れたこの春、改めてその思いを強くしました。
小徳羅漢(ことく・らかん)
写真、右。奄美大島の龍郷町にある「みんなの診療所」にて総合診療医として修行中。左は「みんなの診療所」所長の原純医師。
1991年、茨城県生まれ。小学校高学年の時から神奈川県で暮らす。2016年、東京医科歯科大学卒業。鹿児島市医師会病院で初期臨床研修後、18年に長崎県上五島病院で、19年には離島へき地医療の最先端といわれるオーストラリア・クイーンズランド州で研修。20年から県立大島病院に勤務。街中で医師らに無料相談ができる「暮らしの保健室」を開催している。趣味は温泉巡りと映画鑑賞、そして島巡り。18年に結婚し、20年に夫婦で鹿児島県奄美市に移住。2人の子どもを育てている。
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