icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

2025.11.11

10年越しの挑戦! 「真の総合診療医」を目指して、島の診療所で修行中【小徳羅漢(1)】

文・写真:小徳羅漢

皆さん、お久しぶりです! 奄美大島(鹿児島県)の小徳です。前連載を執筆している時は島の中心部(奄美市)にある県立大島病院(県病院)で勤務していましたが、現在は島の北部に位置する龍郷町(たつごうちょう)の「みんなの診療所」で働いています。「奄美大島で真の総合診療医になる」という10年来の夢に一歩近づき、充実した島医者ライフを過ごしています。この夢を胸に抱いたきっかけは大学5年生、県病院に見学に訪れた時のことでした。

“真の総合診療医”に出会った日

県病院は、日本全国の離島の病院で唯一、救命救急センターを設置しています。救急車だけでなくドクターヘリも所有しているので、急患がひっきりなしに来る「ハイパー」な病院です。その時のセンター長が、私が現在働く「みんなの診療所」の所長、原純先生でした。

救命救急センターを見学していたところ、患者が嘔吐(おうと)しながら運ばれてきました。原先生は顔を見るなり「SAH(くも膜下出血)だな」とぼそっとつぶやき、CT室に運ぶようすぐに指示。CT画像には見事にSAHの所見が見られました。

それから休む間もなく、運ばれてきたのは目撃者のいない心停止の患者。私は見学中の学生でしたが、救命チームに加わって原先生のリーダーシップの下、心臓マッサージを行いました。残念ながら心拍が再開することはありませんでしたが、すぐに原先生は切り替え、解剖室へ。ものすごい速さで「検死」して、予想される死因を警察に伝えていました。その後はまたすぐに診療に戻り、次々に運ばれて来る患者の診療に当たっていたのです。

満を持しての奄美再上陸!も、原先生とはすれ違い…

原先生が次々に多種多様な症状の患者をさばいていく光景は、臓器別のスペシャリストが集まる大学病院の実習経験しかなかった私にとって衝撃的でした。この時、その後の進路を決定づける目標ができました。奄美大島で原先生と一緒に働きたい。そして、こんな総合診療医になりたい! ……しかし、当時の自分にそれはまだ、ハードルが高く感じられました。ちゃんと人の命を救える医師になってから戻って来よう。そう決意し、島を後にしたのです。

それから医師になって5年間の修行を積み、ようやく憧れの奄美大島に。ここで予想もしなかった事態に直面しました。なんと、原先生はすでに県病院を辞め、地域に根ざした「みんなの診療所」を設立していたのです。

ただ、すれ違いを悲しんでいる暇はありませんでした。そこからの5年間は、産婦人科専門医を取った後に総合診療専攻医として修行を積みました。そして今年4月、県病院からの出向という形で、念願かなって原先生の下で総合診療医として働けることになりました!

誰でも診る、何でも診る理想の働き方

「みんなの診療所」は、その名の通り老若男女あらゆる人たちが訪れます。医師は、原先生と私の二人だけで、風邪から骨折までさまざまな病気やけがを診ています。
(左)外来で小手術中。風邪も、耳も鼻も骨も診ます=2025年5月
(右)子どもを診る機会が増えました=2025年6月


地域の医療資源に限りがあるからこそ、幅広い知識と判断力、そして何よりも患者を総合的に診る力が求められ、それを生かすことができます。これは10年前に憧れ、目指し続けている「真の総合診療医」の働き方そのもので、毎日が大きな学びとなっています。

今後、連載を通じて、離島医療のやりがいや課題をリアルに伝えていく予定です。次回は、「みんなの診療所の一日」というテーマで具体的な仕事ぶりについてお話しする予定です。

お楽しみに!
小徳羅漢プロフィール画像

小徳羅漢(ことく・らかん)

写真、右。奄美大島の龍郷町にある「みんなの診療所」にて総合診療医として修行中。左は「みんなの診療所」所長の原純医師。

1991年、茨城県生まれ。小学校高学年の時から神奈川県で暮らす。2016年、東京医科歯科大学卒業。鹿児島市医師会病院で初期臨床研修後、18年に長崎県上五島病院で、19年には離島へき地医療の最先端といわれるオーストラリア・クイーンズランド州で研修。20年から県立大島病院に勤務。街中で医師らに無料相談ができる「暮らしの保健室」を開催している。趣味は温泉巡りと映画鑑賞、そして島巡り。18年に結婚し、20年に夫婦で鹿児島県奄美市に移住。2人の子どもを育てている。

XInstagramでも日々の様子を発信中!