少しずつ、着実に前進する遺伝子治療

編集部セレクト 世界の医療News マイシュー

2024年6月6日

世界各国の大手メディアや医療メディアなどが配信しているニュースの中から、皆さんにぜひ知ってほしいものをマイシュー(毎週)選んでお届けします。今回は、「遺伝子治療」についての四つの話題を紹介します。

まとめ:医療ニュース編集部

編集部コメント

遺伝子に何らかの操作をして病気を治す遺伝子治療。この話題に接すると、いつも、ある遺伝子治療の研究者が言っていたことを思い出します。彼は筋ジストロフィーの専門家で、医師として患者の診療も行っていました。

10年ほど前だったでしょうか。彼が開発した筋ジストロフィーの遺伝子治療薬について取材した時でした。筋ジストロフィーは、筋肉の形状や維持に必要なタンパク質が作られず、全身の筋力低下などが起こる進行性の遺伝性疾患です。彼が開発したのは、タンパク質が正常に作られるように遺伝子を操作する薬で、症状の改善が見込めるかもしれないというものでした。

筋ジストロフィーは根本的な治療法がない病気ですから、彼の成果は画期的なものだと思いました。取材が終わりに近づいたころ、「筋ジストロフィーの治療の大きな一歩ですね。病気の子どもを持つ親御さんにも希望を与えますね」と感想を述べました。すると彼は少し黙った後で、こう言ったのです。

「筋ジストロフィーの子どもの親が望んでいるのは、少し体が動きやすくなったとか、症状が改善したとか、そんなことじゃないんです。他の子どもたちと一緒にサッカーや野球をさせてあげたい。友達と公園を走り回らせてあげたい。そういうことなんです。だから、この薬は、まだまだ『一歩』とは言えません」

その言葉を聞いた時、小中学生のころに一つ上の学年にいた筋ジストロフィーの男の子のことを急に思い出しました。彼は確か、中学生の時に亡くなったと記憶しています。その子の姿と、学校に付き添って来ていた母親の姿がパッと頭に浮かびました。それと同時に、治療法が見つかっていない病気を持つ患者、その家族、患者と家族の両方の姿を見守る主治医、治療法開発に挑む研究者――。さまざまな関係者の「思い」が一気に押し寄せてきた感じがして、しばらく言葉を発することができませんでした。

最近、遺伝子治療に関する研究成果が相次いで発表されています。対象の疾患は、難病から一般的な感染症までいろいろあります。今回は六つのニュースを紹介します。一つ一つのニュースの裏にある、たくさんの人々の思いを想像しながら選びました。

画期的な遺伝子治療で、小児の遺伝性難聴が回復

AP通信:Experimental gene therapy allows kids with inherited deafness to hear
BBC:Pioneering gene therapy restores UK girl’s hearing

遺伝性難聴の子どもが遺伝子治療によって聞こえるようになったという報告が、中国、米国、英国から上がっています。患者の子どもたちは、OTOF(オトフェリン)遺伝子に変異があり、音の振動を電気信号に変換するために必要なタンパク質「オトフェリン」が作られず、音を感知する内耳(蝸牛)の有毛細胞が損傷を受けているといいます。

AP通信が今年1月25日に報じたのは、中国の二つの研究チームと米国のチームの研究成果です。中国の一つの研究チームは6人に遺伝子治療を実施しました。それぞれの患者が受ける手術は1回で、正常に機能する遺伝子のコピーを内耳に送り込むのだそうです。5人は完全に聞こえない状態から日常会話ができるレベルにまで聴力が改善したとのことです。ただ、1人には効果がなく、その原因は不明だそうです。

BBCは5月9日、1歳目前の英国人の女児が、遺伝子治療で音を聞き取れるようになったことを報じました。女児の右耳に、無害化したウイルスを使って、正常な遺伝子を有毛細胞に送達する治療を実施したといいます。女児は数週間で拍手などの大きな音を右耳で聞き取ることができるようになったそうです。さらに、半年後にはささやき声も聞こえるほど聴力が改善したといいます。「ママ(Mama)」「パパ(Dada)」という言葉もしゃべっているそうです。

CRISPR技術使ったゲノム編集治療で遺伝性網膜疾患患者の視力が改善

Science Daily:Participants of pioneering CRISPR gene editing trial see vision improve

失明の恐れがある遺伝性網膜疾患「レーバー先天性黒内障10型(LCA10)」に対するゲノム編集治療が、初期の治験で有望な結果を示したようです。米国の研究チームが研究成果を米医学誌New England Journal of Medicineに発表し、Science Dailyが5月6日に概要を紹介しました。

チームは、ゲノム編集技術CRISPRを用いたLCA10治療薬「EDIT-101」を成人患者12人と小児患者2人の片目に投与。病気の原因は、視力に関わる重要なタンパク質を作るための指示を出すCEP290遺伝子の変異で、この薬はその変異を編集するそうです。治験参加者の11人(79%)が見え方に何らかの改善があったといいます。さらに、4人(29%)は視力が臨床的に意義のある改善を示したとのことです。重篤な有害事象は確認されなかったそうです。

CRISPR遺伝子療法 「鎌状赤血球症」の治療で世界初承認

AP通信:The world’s first gene therapy for sickle cell disease has been approved in Britain
AP通信:FDA approves 2 gene therapies for sickle cell. One is the first to use the editing tool CRISPR

ゲノム編集技術CRISPRを使った治療法が2023年末に、英国と米国で相次いで承認されました。AP通信が、英国の件を23年11月17日に、米国の件を12月9日にそれぞれ報じました。

英医薬品医療製品規制庁(MHRA)は23年11月、ゲノム編集技術CRISPRを使った治療法を世界で初めて承認しました。承認された「Casgevy(旧exa-cel)」は遺伝性血液疾患の「鎌状赤血球症」と「サラセミア」向けの治療法です。

鎌状赤血球症は、遺伝子の異常で赤血球が鎌状になってしまい、酸素運搬機能が低下することで貧血や疼痛、臓器障害などを引き起こします。サラセミアも遺伝子の変異によって赤血球の形に異常が生じる病気です。貧血や黄疸(おうだん)、臓器障害などの症状が出ます。

MHRAが承認した治療は12歳以上の患者が対象です。患者本人の骨髄から取り出した血液幹細胞をゲノム編集し、その細胞を体に戻すことで、永久的な治療効果が期待できるそうです。 英国に続いて米食品医薬品局(FDA)が12月、遺伝性血液疾患「鎌状赤血球症」に対する2種類の遺伝子療法を承認しました。一つは米Vertex Pharmaceuticals社とスイスのCRISPR Therapeutics社が共同開発した「Casgevy(キャスジェビー)」で、英国で11月に承認されたものです。もう一つは、米Bluebird Bio社の遺伝子療法「Lyfgenia(リフジェニア)」です。これらの治療には2回の入院が必要で、1回の入院は4~6週間続くといいます

ヘルペス感染は遺伝子療法で治せるようになる?

Medical Xpress:Herpes cure with gene editing makes progress in laboratory studies

口唇ヘルペスや性器ヘルペスを引き起こす「単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)」についても、遺伝子療法の開発が進んでいます。Medical Xpress が5月13日、米国の研究チームが開発した遺伝子治療について紹介しました。

HSV-1は一度感染すると体内に潜み、抵抗力が低下した時に病気を再発させます。HSV-1の感染者は、50歳未満の67%に上るといわれています。チームが開発したのは、HSV-1のDNAの2カ所を切断して修復不能にする働きを持つ酵素と、これを体内のHSV-1まで送達するウイルスベクターからなる遺伝子療法薬です。

この薬をマウスの血液中に投与したところ、1カ月後には口腔感染したHSV-1の90%、性器感染したHSV-1の97%がそれぞれ除去されたそうです。研究者は「感染者に話を聞くと、他人にうつしてしまうことを心配している人が多い」と話しています。この薬によって、ウイルスの排出量も大幅に減り、他者に感染させるリスクが抑制される可能性も示されたとのことです。

※この記事はマイナビDOCTORの「サクッと1分!世界の医療ニュース」を再編集したものです

PROFILE

医療ニュース編集部

藤野基文:記者・編集者。2004年から全国紙の記者として勤務し、主に医療・科学分野を担当した。18年にマイナビに移ってからは、グループ会社エクスメディオ社が運営するオンライン臨床支援サービス『ヒポクラ×マイナビ』の編集長を務め、現在は『マイナビRESIDENT』や『マイナビDOCTOR』などの各種コンテンツを制作している。

金子省吾:記者・編集者。2017年から地方紙に勤務し、主に社会部の記者として事件・事故や司法、市政、スポーツ、気象、地域活性化の取り組みなどを取材した。20年にマイナビに移って医療の取材をはじめ、グループ会社が運営するオンライン臨床支援サービス『ヒポクラ×マイナビ』編集部で医療ニュース作成に携わった。現在は『マイナビRESIDENT』や『マイナビDOCTOR』などの各種コンテンツを制作している。

許田葉月:記者・編集者。2021年からウェブメディアに勤務し、文学や音楽などのトレンド、社会課題などを取材した。23年にマイナビに転職して医療の取材を開始。『マイナビRESIDENT』や『マイナビDOCTOR』で各種コンテンツの制作を担当している。

阿部あすか:翻訳家、ライター。東京外国語大学(英語専攻)を卒業後、大手法律事務所の米国人弁護士などの秘書、英会話学校の講師、専門紙の英語版編集者として勤務した。2019年から編集部の一員として医療ニュースの記事を執筆している。

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