10

「本当の問題」を探り出し、
子どもも親も納得できる医療を

露﨑 悠氏

神奈川県立こども医療センター神経内科

PROFILE
露﨑 悠(神奈川県立こども医療センター神経内科)
1978年生まれ。2003年、横浜市立大学医学部卒業。北里研究所病院での初期研修を修了後、国立成育医療研究センターで後期研修(2年間)。2007年、神奈川県立こども医療センター小児総合プログラムで後期研修を修了後、他病院を経て、2013年より同センターで小児神経科医として勤務。

たった1人の研修医時代を乗り越えて

医学部の受験を決める前から、「将来は子どもにかかわる仕事に就こう」という気持ちでいました。昔から、9歳下の妹やその友達の世話をすることが多く、子どもの喜ぶ顔を見たり、成長を感じたりすることが好きだったのだと思います。学校の先生や保育士といった進路も考えたのですが、得意だった理系分野の専門性を高めたいということもあり、高校生の頃には「小児科医になる」という目標が定まりました。当然、医学部で学び始めてからは、さまざまな診療科について勉強し、実習もしましたが、「子どもにかかわりたい」という軸はまったく揺らがず、進路選択に迷いはありませんでしたね。

医学生時代はいわゆる真面目なタイプではなく、キャプテンを務めていた水泳部ばかりに入れ込んだ時期もありました。ただ、さすがに実習が始まってからは意識が変わりました。「目の前にいる患者さんに対して失礼のないレベルに成長しなければ」という強烈な目的意識が芽生えたことで、学びたいという気持ちに再び火がついたのだと思います。

私はマッチング制度が始まる直前の学年だったのですが、母校の医局に入って附属病院で働くのではなく、市中病院へ出て多くの症例を経験したいと考え、北里研究所病院を初期研修先に選びました。実はそのとき、北里研究所病院が初めて研修医を受け入れるようになったというタイミングでした。しかも、採用されたのは1人だけ。つまり、私は院内でたった1人の研修医としてスタートすることになったわけです。

やはり院内に同じ境遇の人がいない寂しさはあって、近くの病院で研修している大学の同期と会い、相談したり愚痴を言ったりしていましたね。一方、ただ1人の研修医であることによるメリットも決して少なくありませんでした。まずは、「これは勉強になる症例だ」と指導医の先生が判断したら、すべて自分に声がかかるということ。必然的に、どの科の症例も私が経験することになるので、大変ではありましたがチャンスが多く濃密な研修となりました。

また、研修プログラムが柔軟だった点も良かったと思います。当時の院長が理解のある方だったこともあり、例えば内科の研修中も週に1度は小児科の外来を任せてもらうなど、私の希望を最大限に取り入れようと工夫してくださいました。ですから、自分が何をどのように学びたいか考えて、研修内容を指導医にどんどん提案していくという貴重な経験をすることができたのです。

将来を模索する中で、転機が訪れた

後期研修先には国立成育医療研究センターの総合診療部を選んだのですが、どうしても研修のスタイルが自分に合わず、3年間の後期研修を2年までで中退。その後、神奈川県立こども医療センターの小児総合プログラムで後期研修を再開することにしたのです。さまざまな専門の科にどっぷりと浸って経験を積む中で、どのような小児科医になりたいのかを模索する時期となりました。

ターニングポイントは、神経内科での研修中に訪れました。幼稚園に通っているくらいの年齢の患児がいて、新生児期の髄膜炎の後遺症で手足の緊張が非常に強いという症状が見られていました。入院加療を始めて2カ月たっても薬物治療が奏功しないという状態で私が担当医となり、あらためて診察したところ、どうにも違和感がある。「本当に髄膜炎の後遺症なのか?」という疑問が捨てきれず、指導医に提案して新たに検査を行いました。すると、その患児は先天性代謝異常であることが分かったのです。すぐに薬剤を追加したところ、手足の緊張は劇的に改善していきました。

ただ、その先天性代謝異常についてご家族に説明すれば、治る病気ではないだけに強いショックを受けるのでは…と不安でもありました。ところが、患児のお母さんから「病名が分かり、先生の説明を受けたことで、とても納得できました。ありがとうございます」と言っていただき、驚きましたね。そして、治る病気はもちろん、治らない病気でも見落としてはならないということを実感したのです。

現時点では完治が難しい病気でも正確な診断を付けることで、将来的に治療方法が開発されたときに的確に対応することもできるでしょう。また、病名が分からないこと、診断に納得できないことに対するご家族の苦しみを和らげることもできるはずです。「原因不明」の状態を抜け出すことで、患者さんもご家族も納得できる医療につながるのだと思います。

実は、この経験をするまで、私は神経内科があまり好きではなかったというのが正直なところです。というのも、判で押したように「CP(脳性麻痺)」「Epi(てんかん)」「MR(精神発達遅滞)」という組み合わせで診断することが少なからずあり、一人ひとり背景がある患者さんを型にはめてしまうような気もしていたからです。でも、診断の技術を磨いていくことで、先天性代謝異常のような別の病気が隠れていれば、それを見抜くことができます。CP、Epi、MRという神経内科の「よくある疾患」だと決め付けずに、本当の原因が別にあるのなら絶対に見つけてあげたい…。その思いが「小児神経を極めよう」との決意につながりました。

医師は患者さんと「お話しする」商売

学生時代には分からなかったことですが、現場で経験を積む中で感じたのが、医師は「お話しする」商売だということ。研修医時代にもいまいち分かっていなくて、きちんと説明したつもりでも意図したことが患者さんに伝わっておらずクレームが入る…なんてこともありましたね。でも、特に小児科では、患児本人に対してはもちろんのこと、ご家族へ何をどのように伝えるかということがきわめて重要になります。

きちんとお話しできたかを確認するため、病状説明の際などに看護師や医療ソーシャルワーカーに同席してもらい、説明後にあえて自分だけ席を外してみることもあります。そして、そのときのご家族の様子や話していた内容などを後で看護師などから聞くわけです。すると、「きちんと伝わっていなかった」「伝わってはいるけれど私に不満があり、でも、それを表出してくれなかった」というケースも時にはあることが分かります。自分の伝え方の至らなさを反省する機会になると同時に、コメディカルの力が重要であることも実感しますね。

小児科のもう1つの特徴として、「患児の主訴とご家族の認識が必ずしも一致しない」ことがあります。例えば、歩けないという主訴で来院した子どもがいたとします。ご家族は「歩けるように治療してほしい」と訴えるわけですが、実は歩けないことの背景にあるのは身体的な問題とは限らず、精神的な問題かもしれないのです。本人にしてみれば「習い事が多すぎる」ことが一番の問題だったりする。本人も親も困っているけれど、食い違いが起こっているわけです。だからこそ、子どもだけと話す時間、ご家族だけと話す時間を別に設けるなどして、「本当の問題」を聞き出す工夫が欠かせません。

これからも小児神経科医として研鑽を積み、「隠れた病」や「本当の問題」を見落とさないようにしていきたいと思っています。神奈川県立こども医療センターには臨床研究所が併設されているため、遺伝科と連携して遺伝子検査を院内で行うことができます。そうした環境の中で、私が特に興味を持って取り組んでいるのが髄液中の代謝産物の解析です。患者さんが苦しんでいる理由を究明できる医師になりたいですね。

露﨑 悠の来歴

高校生時代
子どもにかかわることのできる理系分野の職業を探した結果、小児科医を志すことに。
初期研修
北里研究所病院で、たった1人の初代研修医として、多くの科をローテーションして経験を積む。
ターニングポイント!
後期研修時代
ある患児の「隠れた病」を診断できたことがきっかけとなり、小児神経科の専門を極めようと決意。
現在~将来
神奈川県立こども医療センター神経内科で臨床の傍ら、附属臨床研究所で遺伝子研究にも従事。「本当の原因」を究明できる医師を目指す。
バックナンバー
13
薬学の徒として始まり、小児血液腫瘍の臨床へ

杉山 正仲(神奈川県立こども医療センター血液・再生医療科)

12
計り知れない回復力に魅せられ、小児集中治療の道へ

山田 香里(神奈川県立こども医療センター救急診療科)

11
「ラッパ吹き」のドクター、「精神と時の部屋」で修行中

稲垣 佳典(神奈川県立こども医療センター循環器内科)

10
「本当の問題」を探り出し、子どもも親も納得できる医療を

露﨑 悠(神奈川県立こども医療センター神経内科)

09
波乱の時期を「ドリフト」し、「偶然の幸福」をつかむ

岡崎 寛子(家庭医療学開発センター家庭医療学レジデンシー・東京シニアレジデント)

08
現場の医師と製薬との間にフラットな架け橋を

石井 聡(日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー)

07
胸を張って「スポーツドクター」と名乗るために

岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)

06
公衆衛生の視点から「世界を診る」

坂元晴香(ハーバード大学公衆衛生大学院、聖ルカ・ライフサイエンス研究所・研究員)

05
家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸(飯塚病院総合診療科)

04
離島勤務の後でやって来る、最大のターニングポイント

三ツ橋 佑哉(三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長)

03
ダブルライセンスで、医療と法曹を「なめらかに」つなぐ

山崎 祥光(井上法律事務所)

02
精神科医として、産業医として、女性として……

石井 りな(フェミナス産業医事務所・代表/株式会社プロヘルス・代表取締役)

01
2度のターニングポイントを経て、生に向きあう緩和医療に辿り着いた

西智弘(川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)

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