08

現場の医師と製薬との間に
フラットな架け橋を

石井 聡

日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー

PROFILE
石井 聡(日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー)
2005年、日本医科大学卒業。独立行政法人国立病院機構東京医療センター初期研修医・同院循環器科後期研修医を経て、日本医科大学大学院生体機能制御学を卒業。2013年に日本イーライリリー株式会社へ入社し、現在に至る。動脈硬化と心血管イベントの予防をテーマに、循環器内科・内分泌代謝内科の両側面から取り組んでいる。

「尊厳死」のテーマを追って奥深い世界へ

高校2年生のときに取り組んだ「社会調査」という課題が、私が医師を志すきっかけの一つでした。政治経済の授業で、7人ほどのグループを作って任意のテーマを定め、3か月以上かけてレポートを作成するというものでした。私たちのチームは偶然にも「尊厳死」をテーマに選び、街頭アンケートや医師への取材を敢行しました。

その経験を通して、医師とは、医療の知識や技術を極めていく科学的な側面だけでなく、人間の健康や生死にまつわる社会的な側面も担う存在だと気付いたのです。「普段、病院の診察室で会う医師の仕事の背景には、こんな世界も広がっていたのか」と興味を覚えて、医学部を受験することに決めました。

日本医科大学に入学してからは、ボート部で練習に明け暮れる日々でした。荒川近くの戸田公園に合宿所があるのですが、少なくとも年間200日はそこに泊まっていたと思います。最終的には、東日本医科学生総合体育大会(東医体)で決勝常連校となり、優勝することもできました。医学部受験の予備校に面白い講師がいて、「あなたたちは医師になるのだから、患者さんの苦痛を想像する力を養う必要がある。そのためには、きついスポーツをやりなさい」と言われたことがありましたが、そういった意味でも価値ある体験だったと思っています。

6年生になり卒業が近付いてくると、いよいよ臨床研修へ向けての身の振り方を考えなければなりません。私が初期研修先に選んだのは、当時、既にスーパーローテーションの長い実績があった、東京医療センターでした。必修科目が幅広く、内科や一般外科のほか、整形外科、麻酔科、救命センター、産婦人科、小児科、放射線科など、さまざまな科で経験を積むことができました。

学生時代のことですが、大阪大学からアディポネクチン(動脈硬化を抑える物質)にかかわる論文が次々に発表され、動脈硬化が大きく注目されていました。私も強く興味を引かれた一人でした。偶然、後期研修の行き先を決める頃に動脈硬化を専門とする樅山(もみやま)幸彦先生が赴任されてきたこともあり、東京医療センターの循環器科で後期研修することに決めました。大変多忙な生活でしたが、循環器専門医の中でも動脈硬化を専門とする方は多くはないので、恩師である樅山先生に出会えたのは幸運でしたね。

議論を重ねて新薬の方向性を削り出す

後期研修を終えてからは、医学の最先端をよりきちんと理解したいという思いで、日本医科大学大学院へ進学しました。4年間、動脈硬化や内分泌代謝の基礎研究を行い、内分泌代謝内科の手ほどきも受けながら、どうにか学位論文も完成させることができました。

その過程で、基礎研究よりももっと医師の社会的な側面に興味を持って医師を志した自分を思い起こしました。このまま大学で基礎研究の成果を求め続けるよりも、世の中にインパクトを与える方法はほかにもあるのではないだろうか…。そんな思いを抱えて、ほかの道を模索しようと決めたわけです。

私が大学院博士課程を修了したのは、ちょうどDPP-4阻害薬やGLP-1作動薬による糖尿病の治療方法が急速に確立されようとしていた時期でした。血糖コントロールの改善とともに、患者さんの負担も軽減され、医師としても大きな武器を手に入れたという感覚で、新薬が世の中に与えるインパクトの大きさに驚きました。この大きな変化を目の当たりにしたことで、製薬という分野に俄然興味がわいてきたのです。

そして、ご縁があって就職することになったのが当社(日本イーライリリー株式会社)でした。大学院でお世話になった恩師たち(南史朗先生〔日本医科大学先端医学研究所所長〕、岡本芳久先生〔現・横浜市立大学附属市民総合医療センター内分泌・糖尿病内科講師〕)も嫌な顔一つせずに私を企業に送り出してくださいました。

製薬会社に所属する医師が果たす役割は大きく3つあります。1つ目は、開発。臨床試験を経て薬剤の承認を取得する領域ですね。2つ目は、安全性の担保。有害事象や製品の不具合の報告を受けて評価・検討する、製薬会社にとって欠かせない屋台骨です。そして3つ目が、私のようなメディカルアフェアーズという役割です。新薬が上市されても、医師にとってその新薬の特徴・性質を具体的に理解し、すぐに使いこなすことはなかなか難しいことです。ですから、医師の言葉をもって「議論」し、「紹介」する必要があるのです。自社製品の価値の最大化を目指すという意味では、ビジネスサイドに近い立場とも言えますね。

現在、私が担当しているのは他社とのアライアンス(戦略的提携)の中で事業を展開している製品群です。アライアンスパートナーと連携を取りながら事業を展開するに当たり、企業文化の異なるパートナーと共に、販売戦略の医学的妥当性について担保しながら、学会などでも積極的にデータの開示を行っていきます。先日も、私たちのアライアンスチームから欧州糖尿病学会(EASD)で、今後の糖尿病治療のパラダイムをシフトさせるような大きな試験結果を発表しました。既に、この試験(EMPA-REG OUTCOME)は衝撃をもって医学会での話題になっています。

また、メディカルアフェアーズとして欠かせないのが、該当する治療分野のエキスパートとのディスカッションです。全国的に影響力の高い医師、特に新薬の開発・普及に貢献したいという意識が高い医師との打ち合わせを重ねる中で、「今後どのように新薬を形作っていくべきか」という方向性を削り出していきます。このときに、医師としての臨床経験のみならず、大学院での基礎研究から学んだ科学的理解は欠かせません。

もちろん、社内的にも果たすべき役割は少なくありません。例えば、開発や臨床試験の段階で、「どのようなデータがあれば医療現場での医師の判断に役立つのか」という視点でディスカッションに参加しています。自らが医師であり、現場の医師の声を生で拾っているからこそできる提言があるわけです。ほかにもメディカルアフェアーズの仕事は多岐にわたり、1時間ごとにがらりと違うことをやっているような感覚ですね。仕事を進める中で国際会議を行うことも多いため、時差を考えながら動く必要もあります。

新薬が世界を変える瞬間のために、地道な一歩の積み重ね

今や新薬開発は世界同時で進むことが多くなり、ドラッグラグも少なくなってきました。かつては、アメリカで承認されたものが日本で承認されるまで5~10年ほどかかるのが当然でしたが、国や規制当局、企業の努力で劇的に短縮されつつあります。一方、開発スピードの向上の陰で、思いもしなかった副作用が出るというデメリットも起こり得ることが浮き彫りになってきました。日本でも、新薬の副作用が出た場合の対応を迫られるケースが増えています。

そこで必要になるのが、医師と製薬会社とのフラットな関係性です。日本では、医師はあくまで薬剤の「ユーザー」。そして、製薬会社は「薬の売り子」という認識の医師も少なくありません。しかし、医師の社会的な使命の一つに、適切な治療手段を構築し、それを啓蒙して普及させることがあります。薬剤はあくまで商品に過ぎないという見方もできますが、一方で患者さんにとってはかけがえのない光明となり得ます。だからこそ、新薬を用いた治療戦略だけでなく、副作用などの問題が起こったときも、医師と製薬会社が同じ目線で議論する中で、最善の道を探っていく必要があるのではないでしょうか。私は、そうした関係を構築するためのキーパーソンとなるのが、メディカルアフェアーズであると思っています。

製薬業界に興味のある医学生の皆さんに伝えたいのは、製薬の門をたたく前に、必ず一定の臨床経験を積んでほしいということ。患者さんに何を提供すべきか、具体的に想像できる力がなければ、製薬会社の中でリーダーシップを発揮することはできません。最終的に患者さんの利益に寄与するんだという強い思いを持って、新薬によって世界にパラダイムシフトを起こしたいと考える方を、仲間としてお迎えしたいですね。

石井 聡の来歴

高校生時代
授業の課題で「尊厳死」について調査するうち、医学の世界の広がりに興味を引かれ、医学部受験を決意。
研修医時代
東京医療センターで初期・後期研修。恩師となる樅山幸彦先生と出会い、動脈硬化によって起こる心血管病に関して知見を深める。
ターニングポイント!
大学院時代
大学院へ進学。
インクレチン薬が糖尿病治療に与えた変化を目の当たりにし、新薬が臨床現場にもらたすインパクトに興味を持ち、製薬業界へ。
現在
メディカルアフェアーズとして主にアライアンス(戦略的提携)製品を担当し、新薬による医療のパラダイムシフトを目指す。
バックナンバー
13
薬学の徒として始まり、小児血液腫瘍の臨床へ

杉山 正仲(神奈川県立こども医療センター血液・再生医療科)

12
計り知れない回復力に魅せられ、小児集中治療の道へ

山田 香里(神奈川県立こども医療センター救急診療科)

11
「ラッパ吹き」のドクター、「精神と時の部屋」で修行中

稲垣 佳典(神奈川県立こども医療センター循環器内科)

10
「本当の問題」を探り出し、子どもも親も納得できる医療を

露﨑 悠(神奈川県立こども医療センター神経内科)

09
波乱の時期を「ドリフト」し、「偶然の幸福」をつかむ

岡崎 寛子(家庭医療学開発センター家庭医療学レジデンシー・東京シニアレジデント)

08
現場の医師と製薬との間にフラットな架け橋を

石井 聡(日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー)

07
胸を張って「スポーツドクター」と名乗るために

岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)

06
公衆衛生の視点から「世界を診る」

坂元晴香(ハーバード大学公衆衛生大学院、聖ルカ・ライフサイエンス研究所・研究員)

05
家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸(飯塚病院総合診療科)

04
離島勤務の後でやって来る、最大のターニングポイント

三ツ橋 佑哉(三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長)

03
ダブルライセンスで、医療と法曹を「なめらかに」つなぐ

山崎 祥光(井上法律事務所)

02
精神科医として、産業医として、女性として……

石井 りな(フェミナス産業医事務所・代表/株式会社プロヘルス・代表取締役)

01
2度のターニングポイントを経て、生に向きあう緩和医療に辿り着いた

西智弘(川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)

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