07

胸を張って 「スポーツドクター」と
名乗るために

岩本 航

江戸川病院スポーツ医学科・医長

PROFILE
岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)
2004年、関西医科大学医学部卒業。同大学付属病院、沖縄県豊見城中央病院、癌研有明病院での臨床研修を修了後、2009年に江戸川病院整形外科へ入職。2010年に慶應義塾大学医学部スポーツ医学総合センターへ入局し、その後、東京ヤクルトスワローズのチームドクターに就任。

一度は消えかけた情熱が再燃

学生時代はラグビーにのめり込んでいました。それで高校生のときに骨折し、整形外科医であった父親に手術をしてもらった経験があります。それがきっかけの一つとなって、医師を目指すことを意識し始めました。

医学部に入ってからもラグビーは続けたので、ケガを繰り返していましたね。医学部生だとケガをした部位を専門とする医師に診てもらえる機会も多く、その深い知識に感動しました。その頃、ラグビー部OBの紹介で、スポーツ整形外科の分野で有名な先生のところへ見学にうかがうことができました。日本のトップアスリートをたくさん診ている素晴らしい先生に出会ったことで、本格的にスポーツドクターという仕事に興味がわきました。

高校時代のラグビー部での一コマ。全力投球の日々だった。

ただ、初期研修が始まったものの、当時はカリキュラムがほとんど固定だったので、整形外科で学べたのはたったの3か月間。それでも多くの整形外科医と出会いましたが、最初は「スポーツドクターになりたい」という希望を持っていても、現実的には一般的な整形外科の治療に携わるか、肩や膝など専門領域を持ち、その部位のスポーツ障害の治療をすることになる先生が多いことに気付きました。また、「スポーツドクター」を名乗っていても、実際にプロのアスリートを診た経験のある先生は多くありませんでした。結局、スポーツドクターへの具体的な道筋が見えず、一度はその情熱が消えかけていたのです。

また、自分の中にも「スポーツだけに力を入れても、整形外科医として一人前になれないのでは?」という思いがありました。そこで、まずは一般的な整形外科手術を修得できる施設で研修を受けようと思い、後期研修先として沖縄県の豊見城中央病院を選びました。「手術件数が最も多い病院」(当時)と本で読んだからです。確かにレシデントの教育制度がしっかりしており、多くの手術をこなすうちに技術が付いてきたのを実感しましたね。

後期研修最後の1年で、知り合いのつてもあって江戸川病院に来ることになりました。そして、ここへアルバイトにいらしていた慶應義塾大学の教授と偶然に出会い、「本当はスポーツ専門でやりたいのですが……」と話したところ、「じゃあ、うちで一緒にやろう」と言っていただきました。とんとん拍子で話が進み、当時新設だった慶應義塾大学医学部スポーツ医学総合センターに入局することになったのです。医師になって7年目のことでした。これでスポーツドクターへの道筋が付いたと思いました。

ヤクルトスワローズのチームドクターとして

スポーツ医学総合センターは、プロ野球・東京ヤクルトスワローズのチームドクターを担当していましたが、若手の自分には当分縁のない話だろうと思っていました。見学を許されたので本拠地の神宮球場へ行ってみると、クラブハウスのあちこちに有名選手がいて興奮しましたね。でも、「先生、肩が痛いんだけれど」と選手に突然話しかけられて、頭が真っ白になりました。向こうは医師だと思って聞いてくれているのに、当時の自分には野球選手の肩の痛みのことは何も分からない。同じ「肩が痛い」でも、普段診ている高齢者とはまったく意味合いが違います。このときの出来事が、その後の勉強につながりました。

その後、当時チームドクターを務めていた先生の補佐で、何度か神宮球場に足を運ぶようになりました。ところが、あるときその先生が体調を崩してしまい、教授から「お前だけで行ってくれ」と任されてしまったのです。行ってはみたものの、「自分はまだまだ……」と落ち込むことばかり。とてもプロアスリートを診るスポーツドクターとは言えない状況でした。

ちょうどその頃、個人的に運動器の超音波診断に興味があり勉強をしていました。携帯型の超音波装置を選手に当てながら患部の状態を説明すると、すごく良い反応が返ってきました。一人を診ていると、他の選手も「何やっているの?」「俺にもやってよ!」と次々にやって来る。「目で見える」ということが、これだけ説得力を持つのかと驚きでしたね。知識は足りなくても、うまく道具を使うことで納得をもたらすことができると学びました。そうしたこともあって選手との距離も縮まっていき、前任の先生からチームドクターを引き継ぐことになったわけです。

現在は、私を含めて同じ医局の先生3人でスワローズのチームドクターを担当しています。私は土曜日にホームゲームがあるときは神宮球場へ行き、クラブハウスで待機。脳震盪や熱中症、突発的なケガなどに対応しています。頭に打球が当たった選手が運ばれてくるケースなどもあります。また、春期キャンプ(公式戦期間外に行われるチームとしてのトレーニング)にも同行して、選手やトレーナーたちと寝食を共にしています。

スワローズ優勝が決定した瞬間! 同じくチームドクターを 務める、慶應義塾大学医学部スポーツ医学センターの医師と共に。

プロ野球選手の中には年に何億円も稼ぐ人もいるため、彼らに処置をすることには重圧も感じます。また、ただケガが良くなればいいというのではなく、選手のレベルやキャリアなど、様々な状況に鑑みて治療を考慮しなければならない難しさもあります。例えば、「あと少しで引退するから、一時的に痛みが取れればいい」という選手もいれば、「今、手術をしたら、クビになりかねない」という選手もいます。他の人には言えない本音を選手から聞くこともあり、責任が重いぶんやりがいも大きい仕事ですね。

トップアスリートを診ることが「ゴール」ではない

ただ、思ったよりも早くトップアスリートにかかわる仕事をするという夢がかなった今、「プロのスポーツ選手を診ることがすべてではない」と思うに至っています。プロの選手は経済的にも余裕がありますし、情報もたくさん持っていて、自分にとってより良い医師を探して、いくらでもそこに行くことができます。一方、地元の子どもたちのほとんどは、目の前にいる私という医師を信頼して治療を続けてくれます。たとえ全員がプロになるわけではなくても、そういう子どもたちが好きなスポーツを長く続けられるよう支援したい、と考えるようになりました。

そこで、江戸川病院で「夕方診療」をスタートさせました。多くの総合病院では夕方には外来が終わってしまうため、ケガをした子どもたちは学校を休まなければ受診できません。そこで、週に2回、17~19時まで夕方診療を行い、学校が終わってからでも整形外科を受診できるようにしました。学生の間で口コミが広がり、たくさんの患者が受診してくれています。現在では診察室を2つに増やし、4人の医師で診療に当たっています。

スポーツドクターを目指す方に伝えたいのは、「やる気があれば、いずれどこかで誰かと出会う」ということです。自分が今いる場所だけで物事を考える必要はありません。全国には素晴らしい先生がたくさんいます。そうした方々との縁をつかむために大切なのは、人との出会いを大切にする気持ちを持つことだと思います。

スポーツドクターの世界は人間関係のタテ・ヨコのつながりが強く、学会などでも熱心に情報交換をしたり、良い治療方法を教え合ったりする雰囲気があります。積極的に自分の熱意をアピールし、尊敬できる先生と仲良くなれるようなコミュニケーション能力が重要なのです。必ずしも「体育会系っぽい」人間である必要はないので、スポーツを愛する情熱を絶やさず、自分の信じた道を突き進んでほしいですね。

江戸川病院 スポーツリハビリテーション 理学療法士の皆さんと。

岩本 航の来歴

高校生時代
ラグビーで負ったケガを整形外科医である父親に手術で治してもらい、医師を志す1つのきっかけとなる。
医学生・研修医(初期研修)時代
整形外科領域で著名な医師のもとを見学に訪れ、スポーツドクターの仕事に興味をかき立てられる。しかし、スポーツドクターになるための具体的な道筋が見えず、情熱が消えかける。
ターニングポイント!
研修医(後期研修)時代
偶然の縁をしっかりとつかみ、スポーツ医学に興味があることをアピールして、慶應義塾大学医学部スポーツ医学総合センターへ入局。
現在
ヤクルトスワローズのチームドクターとして、プロ野球選手をサポートしている。同時に、子どもが受診しやすい「夕方診療」にて、精力的に診療に当たっている。今後の展望は、子どもたちが長くスポーツを楽しめるよう支援できる医師になること!
バックナンバー
13
薬学の徒として始まり、小児血液腫瘍の臨床へ

杉山 正仲(神奈川県立こども医療センター血液・再生医療科)

12
計り知れない回復力に魅せられ、小児集中治療の道へ

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11
「ラッパ吹き」のドクター、「精神と時の部屋」で修行中

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10
「本当の問題」を探り出し、子どもも親も納得できる医療を

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09
波乱の時期を「ドリフト」し、「偶然の幸福」をつかむ

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08
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07
胸を張って「スポーツドクター」と名乗るために

岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)

06
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05
家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸(飯塚病院総合診療科)

04
離島勤務の後でやって来る、最大のターニングポイント

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03
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02
精神科医として、産業医として、女性として……

石井 りな(フェミナス産業医事務所・代表/株式会社プロヘルス・代表取締役)

01
2度のターニングポイントを経て、生に向きあう緩和医療に辿り着いた

西智弘(川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)

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