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家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸

飯塚病院総合診療科

PROFILE
吉田 伸(飯塚病院総合診療科)
2006年、名古屋市立大学医学部卒業。同年、飯塚病院(福岡県飯塚市)で初期研修後、総合診療科で診療に当たる。2013年より2年間、日本プライマリ・ケア連合学会若手医師部会の代表として、若手家庭医ネットワークの発展に尽力。飯塚・頴田(かいた)家庭医療プログラム臨床教育部長、WONCA APR(世界家庭医療機構アジア太平洋支部)Rajakumar Movement(若手家庭医ネットワーク)代表。家庭医療専門医。

まっすぐに救急医を目指していた

祖母が呼吸器内科医で、戦後は50年以上、地元で開業医をしていました。地域の患者さんと腰を据えてお付き合いする祖母の姿を子どもの頃からずっと見ていたことが、高校時代に医学部受験を決めたベースになっていると思います。

ただ、もっと小さい頃、小学校の卒業文集には、将来の夢として「国境なき医師団に入って国際結婚をする」と書いたのを覚えています。実際には妻は日本人ですが、各国の家庭医と交流する機会も増えているので、夢はほぼかなったというところでしょうか。

名古屋市立大学医学部に在学中は、学生の間で心肺蘇生法(BLSやACLS)がブームの時期だったこともあって、4年生の頃からACLSの啓発活動を始めました。これが実に楽しかったですね。アクティブに全国の大学を訪れることや、活動後の飲み会の盛り上がりももちろんですが、学生同士ではありますが教える立場になったことが大きかったです。

当時の私にとって、座学で90分1コマの講義を受けることは、けっこう大変でした。その頃の先生には申し訳ないのですが講義中に寝てしまうこともあって、バスケットボール部の練習時間になって、ようやく目が冴えてくるといった毎日。

名古屋市立大学ACLSワークショップの仲間たちと(医療機具は研修用のデモ機材です)。

このような調子でしたから、自分がACLSを教える立場になったとき、どうしたら飽きずに聞いてもらえるか、楽しく学んでもらえるか考えたわけです。それで、自主的にやらせてもらえるワークショップのときは、仮装して出ていったりとか、歌を作ったりとか、寸劇を交えたりとか、いろいろ工夫をしていました。
ただ、学生のうちはいいけれど、研修医になったらシリアスな仕事の場に入るわけであって、このような調子でやっていくのは無理だろうなと思っていました。そうしたあきらめを抱きながら病院見学に回っていたとき、「マジンガーZ」の替え歌でACLSの啓発ソングを作っていた飯塚病院に出合ったんです。「これはノリが合う!」と思いましたね。

無事に飯塚病院とマッチングして、救急志望で初期研修を始めましたが、空回りの時期もありましたね。救命救急センターの壁に「血圧低下の患者さんが来たら、24時間いつでも吉田を呼んでください」と張り紙をして看護師さんたちを困惑させたり。今になって考えると、ちょっと気持ち悪いですよね(笑)。ただ、「心肺停止の患者さんを助けたい」という一心で無我夢中だったんです。

この方は、なぜお礼を言うのだろう?

研修2年目になると、心肺停止の患者さんを担当するリーダー役を担うようになりました。そこで何人も何人も、高齢者施設や自宅から搬送されて来る、寝たきりの超高齢患者さんを目の当たりにしました。カルテを見返してみると、もう3年も4年も前からずっと寝たきりで、手足は拘縮して話すこともできず、ご家族もまともにコミュニケーションが取れていない。息が止まっているのを施設職員が発見して救急車を呼び、ご家族は急な状況に驚いてしまって、「できるだけのことをしてください」と言います。

でも、医師である私たちは、蘇生したとしても、いわゆる植物状態になる確率が高いことを知っているわけです。また、亡くなっている状態で発見されるケースも多く、そのまま救命救急センターの横の冷たい霊安室へ運ばれていくのを見ていると、どうしようもなく気持ちがざわつきました。「これは人の亡くなり方としてアリなんだろうか?」と。おばあちゃん子だった私は、特にお年寄りに対して愛着がわくほうで、なんだか心が痛んでモヤモヤし始めたのです。

同じ頃、地域医療研修で末期膵がんの患者さんを担当しました。70歳くらいの男性だったのですが、高齢の妹さんが介護している「老老介護」の状態でした。研修医の立場では在宅医療の場で何もできない敗北感を味わいつつ、妹さんと世間話をするだけでもと思って、ご自宅に通っていました。ところが、その患者さんが亡くなったとき、妹さんが私に何度もお礼を言ってくれたのです。「何度も来てくれてありがとうございます。本当に話し相手がいてくれてよかった」と。病気を治すことには何の役にも立てなかったのに、なぜこの方は私にお礼を言うのだろう。それが自分にとっては衝撃で、その言葉は深く心に刻まれました。

それまでは「治す医療」というものにこだわっていたのに、治せなくても「支える医療」があるということを強く意識させられた経験でした。そして、救急から家庭医療の分野に移ることを考えるようになり、実際、家庭医療の診療・教育・研究施設として名高い北海道家庭医療学センターに見学に行ったりもしました。

100人の後輩に追い越されることが今の目標

家庭医療では、長いお付き合いの中で見えてくる、患者さんごとに定義が異なる「健康」に対してアジャストしていくことが必要です。「こちらの治療方針に合わせてください」ではなくて、こちらが患者さんの考える健康に合わせる。そこが面白いんです。この姿勢を推し進めていくと、患者さんやご家族の苦痛の原点にあるものが見えてきます。それは時に、地域特性によるアルコール健康被害であったり、低いワクチン接種率であったり、児童虐待であったりします。

そうして家庭医は、その地域の健康問題を引き起こす病巣に対しても、広くゆっくりとアプローチしていくことになります。行政の担当者や他の医療者とも連携して、各専門職が自らの専門性をもって地域の課題を解決していくのが面白いところ。さながら街を冒険するような感覚で、「ドラゴンクエスト」みたいなものですね。

ただ、家庭医を志した頃は、周囲に仲間がいないことが切実な問題で、それを打破するために日本プライマリ・ケア連合学会の仕事をさせてもらい仲間や情報を集めようとしました。最初は、家庭医療後期研修医や専門医資格取得後の若手医師を対象とした冬期セミナーの役員になりました。その後、前代表の推薦もあって若手医師部会の代表となり、この春で2年間の任期が終了しました。

周りに同じ方向を目指す人がいないと、自分がどう成長しているのか、どういったキャリアを作っていけるのか、常に不安が付きまとうものです。でも、家庭医を目指そうとする研修医が同じ目標を持った仲間に出会えるとずっと気持ちが楽になりますし、いい刺激にもなります。私が全国的なネットワーク作りに力を入れるのは、これが一番の理由です。

今後の展望としては、自分より優れた家庭医を100人は育てていきたいと思っています。教育に携わっていて最もシビれるのは、教え子が指導者を追い抜かして成長していくことだと思うんですよね。皆さんも自分なりの問題意識を持って、この世界に飛び込んで来てくれたらうれしいですね。

吉田 伸の来歴

高校生時代
開業医であった祖母の背中を見て育ち、医師を志す。
医大生時代
ACLSの啓発活動に奔走。研修病院を探す中で飯塚病院と出合う(救急志望)。
ターニングポイント!
臨床研修時代
救急で搬送されて来る寝たきりの高齢者を診るうち、「支える医療」を強く意識するようになり、目指す方向が救急医療からプライマリ・ケアにシフトする。
現在
総合診療医・家庭医として診療をしながら、プライマリ・ケアを志す若手医師のネットワークを強化。今後の展望は、自分より優れた家庭医を100人は育成すること!
バックナンバー
13
薬学の徒として始まり、小児血液腫瘍の臨床へ

杉山 正仲(神奈川県立こども医療センター血液・再生医療科)

12
計り知れない回復力に魅せられ、小児集中治療の道へ

山田 香里(神奈川県立こども医療センター救急診療科)

11
「ラッパ吹き」のドクター、「精神と時の部屋」で修行中

稲垣 佳典(神奈川県立こども医療センター循環器内科)

10
「本当の問題」を探り出し、子どもも親も納得できる医療を

露﨑 悠(神奈川県立こども医療センター神経内科)

09
波乱の時期を「ドリフト」し、「偶然の幸福」をつかむ

岡崎 寛子(家庭医療学開発センター家庭医療学レジデンシー・東京シニアレジデント)

08
現場の医師と製薬との間にフラットな架け橋を

石井 聡(日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー)

07
胸を張って「スポーツドクター」と名乗るために

岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)

06
公衆衛生の視点から「世界を診る」

坂元晴香(ハーバード大学公衆衛生大学院、聖ルカ・ライフサイエンス研究所・研究員)

05
家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸(飯塚病院総合診療科)

04
離島勤務の後でやって来る、最大のターニングポイント

三ツ橋 佑哉(三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長)

03
ダブルライセンスで、医療と法曹を「なめらかに」つなぐ

山崎 祥光(井上法律事務所)

02
精神科医として、産業医として、女性として……

石井 りな(フェミナス産業医事務所・代表/株式会社プロヘルス・代表取締役)

01
2度のターニングポイントを経て、生に向きあう緩和医療に辿り着いた

西智弘(川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)

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