04

離島勤務の後でやって来る、
最大のターニングポイント

三ツ橋 佑哉

三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長

PROFILE
三ツ橋佑哉(三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長)
2007年、自治医科大学医学部卒業。東京都立府中病院での初期研修後、離島診療へ。内地では東京都立多摩総合医療センター循環器内科に所属する。離島勤務は式根島、利島、御蔵島に続いて三宅島が4島目(2014年4月より現職)。

3つの離島での勤務を経て三宅島へ

僕が医師を志そうと思ったきっかけとしては、「国境なき医師団」の活動を知ったことが大きかったですね。医師が不在などで医療が手薄くなっている現場に駆け付け、専門的なところまでは及ばずとも幅広い患者さんを診療するという自分なりの医師像が、そこから形作られたように思います。

そうしたベースがあるところで、医療に恵まれない地域(へき地や離島など)の医療に特化した自治医科大学という教育機関があることを知ったわけです。国境を越えた活動も魅力的ですが、日本国内にも医療に恵まれない地域があるのだから、そこで医師として貢献することも自分なりに思い描いた医師像とマッチするというのが進路選択の理由でした。

自治医大にかかわるキャリアパスは特殊で、まず入学の段階から都道府県ごとの採用枠に沿って選抜されます。そして、卒業後は少なくとも9年間(在学年数の1.5倍の年数)、当該都道府県の地域医療に従事する契約を結びます(9年間のうち、4年半はへき地・離島医療に従事)。僕は東京都の採用枠なので、三宅島を含む伊豆諸島や小笠原諸島が赴任地となっています。卒後8年目が終わろうとしている段階で、離島勤務としては式根島、利島(としま)、御蔵島(みくらしま)に続いて三宅島が4島目です。

中央診療所での日常は、基本的に月曜日から金曜日まで、午前中の外来診療から始まります。患者さんは、3つの診察室を合わせて1日平均60人前後です。昼過ぎまで外来をやった後は、基本的には急患対応のみとなります。ただ、居宅や特別養護老人ホーム(嘱託医を兼務)への往診、予防接種、ケアマネジャーを交えた会議などで、午後も忙しく動いていることが多いですね。

土日も急患対応に当たりますが、帰宅が深夜になるようなことはないですし、診療所の向かいが宿舎ですから、子どもと過ごす時間もそこそこは取れていますね。仕事とプライベートをきっぱり分けることはできませんが、「島にお医者さんが来てくれてありがたい」と言ってくださる方々がいることは、大きなモチベーションになっています。

度重なる噴火もあって著しい高齢化が進む

島の住民層の特徴は、高齢独居や老老介護の境遇にある方々が非常に多いことです。三宅島では火山の噴火が繰り返し起こっているという特殊な事情もあります。2000年の噴火の際は5年近くにも及ぶ全島避難となって、指示が解除されてからも避難前の2/3くらいの人しか戻ってきていません。約4000人だった人口が2700人前後まで減っている現状です。働き盛りの年齢層は、避難の間に生活のため内地で職を見つけざるを得なかったため、帰島が難しくなっているケースもあります。結果として島の高齢化率がグッと上がっている状況で、全国的に見ても高いレベルにあります。ですから、高齢者の生活背景に配慮した医療というものを考える機会がすごく増えました。

全島避難の前は、島の主要な3か所の集落それぞれに診療所があったのですが、今では中央診療所だけに集約されています。設備としては内地とそう変わらなくて、CTや内視鏡、透析治療も行っています。心筋梗塞では時間的なアクセスの問題があるので、内地であればカテーテル治療を行うところ、まず血栓溶解療法を行うケースがあることは特徴的かもしれませんね。手に負えない患者さんは救急ヘリで都内の病院に搬送されることになります。

三宅島では月1回、産婦人科の先生が来てくれていますが、もっと小さい島なら妊婦健診も在島医師の担当です。妊婦さんは32週を超えたら出産のために内地へ行き、1か月健診を終えて帰ってきてもらうかたちです。そのほか、耳鼻科や眼科、整形外科の専門診療は、多くの島では年に1回ほどしか機会がないので、やはり基本的にはできる範囲ですべてを在島医師が診ています。

医療資源の利用という観点で見れば、へき地医療は効率が悪いでしょう。でも、こと医療に関しては、効率とは違う観点でも考えるべきことがあるのではないでしょうか。「再び噴火があっても、自分に内地での治療が必要になっても、もう絶対に島から出ない」と言い切るほど島への愛着が強い高齢者の心情は、若い世代や都会に住む人たちには理解しにくいかもしれませんが、無下にはできないと思います。

離島医療の経験は専門医としてのキャリアに直結しないが……

医師のキャリアという観点からすると、残念ながら今のところ、へき地や離島で仕事をしたことが専門医としてのキャリアに直結するわけではありません。総合診療分野の専門医制度を創設する動きもありますが、制度の安定までにはしばらく時間がかかるのでしょうし、制度設計の上でへき地・離島医療が強く念頭に置かれているとも言えないようです。

卒後の義務年限が終わる頃には少なくとも30歳を超えているわけですが、その後もへき地医療にかかわり続けるというキャリアを選択する医師は、自治医大出身者といえどもさほど多くはないのが現状です。後輩のために赴任枠を開けなければならないという制度的な事情もあるのですが、僕の周りでも地域医療を離れて専門医としてのキャリアを進もうと決めている人は少なくないですね。僕自身、今もすごく悩んでいるところです。

三宅島での勤務期間が終わったら、循環器の専門医資格までは取ろうと思っています。ここまで自分が学んできた一つの証になりますし、へき地医療に携わるにしても専門医資格があって悪いことはありませんから。ただ、それから地域医療に戻るのかどうか、正直に言って心が揺れています。現時点での気持ちとしては「ほぼ五分五分で、ちょっと地域医療に寄っている」といったところでしょうか。

最大のターニングポイントは、これから迎えることになるのだと思います。いずれにしても、一番身近で自分の背中を見てくれている家族の存在は大きな支えになっています。将来、子どもが同じ仕事がしたいと言ったら、やっぱりすごくうれしいでしょうね。

三ツ橋 佑哉の来歴

ターニングポイント!
高校生時代
「国境なき医師団」の活動を知って影響を受け、へき地や離島の地域医療を担う人材を生み出す自治医科大学を志す。
医大生時代
東京都の採用枠で入学後、地域医療に貢献する医師を目指して研鑽するとともに、義務年限を終えた後のキャリアを思案し始める。
離島ドクター時代(現在)
離島ドクターとして伊豆諸島4島を転任しながら診療する。
ターニングポイント!
近い将来
循環器専門医の資格を取得後、その道を突き詰めていくのか、へき地や離島を含む地域医療の道へ戻るのか、大きな進路選択を迫られる。
バックナンバー
13
薬学の徒として始まり、小児血液腫瘍の臨床へ

杉山 正仲(神奈川県立こども医療センター血液・再生医療科)

12
計り知れない回復力に魅せられ、小児集中治療の道へ

山田 香里(神奈川県立こども医療センター救急診療科)

11
「ラッパ吹き」のドクター、「精神と時の部屋」で修行中

稲垣 佳典(神奈川県立こども医療センター循環器内科)

10
「本当の問題」を探り出し、子どもも親も納得できる医療を

露﨑 悠(神奈川県立こども医療センター神経内科)

09
波乱の時期を「ドリフト」し、「偶然の幸福」をつかむ

岡崎 寛子(家庭医療学開発センター家庭医療学レジデンシー・東京シニアレジデント)

08
現場の医師と製薬との間にフラットな架け橋を

石井 聡(日本イーライリリー株式会社 研究開発 医学科学本部(糖尿病領域)・臨床開発医師/メディカルアドバイザー)

07
胸を張って「スポーツドクター」と名乗るために

岩本 航(江戸川病院スポーツ医学科・医長)

06
公衆衛生の視点から「世界を診る」

坂元晴香(ハーバード大学公衆衛生大学院、聖ルカ・ライフサイエンス研究所・研究員)

05
家庭医療へのターニングポントは「ありがとう」の一言だった

吉田 伸(飯塚病院総合診療科)

04
離島勤務の後でやって来る、最大のターニングポイント

三ツ橋 佑哉(三宅島・三宅村国保直営中央診療所・所長)

03
ダブルライセンスで、医療と法曹を「なめらかに」つなぐ

山崎 祥光(井上法律事務所)

02
精神科医として、産業医として、女性として……

石井 りな(フェミナス産業医事務所・代表/株式会社プロヘルス・代表取締役)

01
2度のターニングポイントを経て、生に向きあう緩和医療に辿り着いた

西智弘(川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科)

お役立ち

ご利用ガイド


友人紹介キャンペーン